ところで、お前。知っているか?
ないわー、王子とか、ないわー。
そんな思いを、彼は全力で目力に乗せる。
『…何だ、その態度は…。私の言っている言葉は、わかるのだろう?』
わかるはずだ、との副音声も聞こえた気がした。実際に声を発していない間も聞こえてきたそれに、必ずしも発声を伴う必要はないのだなと納得する。
あの日探した赤子テレパシー、満を持しての登場である。
謎の光を見た時から、自分は何者でもないのだと覚悟はしていた。それでも、弟が王子様は、ちょっとないかな。
(とりあえず、魔法使いでいいのか?)
言葉はわかるが、意味がわからない。そう伝えたい気持ちでいっぱいだ。
とはいえ現実が非情なのは今に始まったことではないから、彼はしばし思案した後、何とか心に折り合いをつける。
肩を竦めてそう問えば、相手は満足そうにふんと鼻を鳴らした。実に生意気な赤子だ。
『今のは調教魔法だ。動物や魔物を手懐ける際に使う。人間には通常、作用しないのだが…言葉の通じない赤子は、動物と変わらんということが証明されたな』
(おいぃ、何だよ調教とか! 何してる!)
『ふふふ。調教魔法の一種で、意思の疎通のためのものだ。あれを使っても、相手を従属させることはできんよ、安心しろ』
(じゃあ、始めからそう…いや、誤解上等で言ったな。性格悪そうだな、この調教王子)
呆れた彼は、こてんとその場に身体を倒す。
おもむろに寝返りをひとつ。ふたつ。
『お、…おいっ』
遠ざかる彼に、短い手が伸ばされた。
調教されたつもりはないので、そのまま離脱。
(何の因果か双子の兄弟に生まれたんだから仲良くしようかと思ってたけど、やーめた。異世界で勝手に苦労しなさい、やまんちゅ。お前が主人公なら何とかなるでしょ。俺はどうせせっかくの転生も同じ世界で前世トレースの、冴えない中途半端野郎ですからァ?)
『やまんちゅって何だ』
(今生でのお前の名前だよ。おつむの弱い母親が言ってたろ)
『…お前、彼らの言葉がわかるのか』
驚愕の声色に、寝返りをやめた。
フレーバーテキストの量が違う…これで明らかだ。そう彼は思った。
「転生」という一点だけの物珍しさを持つ兄。
ならば主人公は、「元王子様で何かのNo.1魔法使いで異世界に転生してきた、まだ日本語も分からぬくせに妙に自信家」の弟の方に違いない。添え物の兄は、前世と変わらずに、ただ中途半端に主人公のサポートでもしていろということなのかもしれない。
落胆と、納得が入り混じる。
つまり恋愛シミュレーションゲームで言えば、お相手の好感度や情報を仕入れてくるサポートキャラ辺りの立ち位置なのだろうか。まさか神(仮)に前世の埋没力による情報収集に期待されてしまったのか。好んで埋没するだけで、別にスパイでも何でもないのに。
しかし弟は見るからに何も情報を得ていないのだから、知ってる方が教えることになるのは明白。
…それでも、ただ便利に使われるのはごめんだ。うみんちゅは敢えて余裕の態度を取り繕う。
(そうか、やっぱりお前、言葉がわからないのか。異世界転生はそこが基本のスタートだものな。どうやらハードモードの家庭環境だし、まぁ、頑張れよ。俺は慣れてるけどね)
ちらりと目を向けてみると、調教王子は眉根に皺を寄せて俯いていた。
両親の言葉がわからなかったのならば、現状もしっかりと理解はしていないのだろう。
『…、お前、名は?』
(昔の? 今の?)
『…両方』
(昔はヨースケ、今は…クッ…、うみんちゅ、だな。でも、もうこの身体で生きなきゃいけないんだ、前世の名前なんか無意味だぞ。でもなぁ…漢字だったら海の人なのかな…カイトか何かに読みを変えての改名コースか…。やまんちゅは山の人なのかな。だとしたら、ヤマトとかで何とかしないといけないのかな…字面、マタギになるしかなさそうですけども)
戸籍、平仮名じゃないといいなぁ…。
遠い目をしながら彼が考え込んでいる間に、溺れた平泳ぎのような動きをしながら、弟が迫ってくる。安定したハイハイは、どうやらまだできない。
(おい、寝返りできないのかよ。シーツに皺寄るだろ。段差、寝心地悪い)
『そんな瑣末なことを気にしている場合ではない。いいか、我々は同じ環境に置かれた仲間ではないか。ここは一つ協力してだな…』
(いいえ、俺がお兄ちゃんです)
『…な、に…?』
(お兄ちゃんを敬いなさい、やまんちゅ。それができなければ協力なんぞ致しません)
信じられないというように、やまんちゅは目と口を見開いた。
だぱぁ、とその口からヨダレが垂れ落ちる。赤子の口にストッパーはないのだ。
(きったねぇな! …だって俺はまぁ、ほら。大体先が読めてるから。対策は立てなきゃなんないけど、結局自力で動けるようになるまでは何にもしようがないしな)
苦労は見えているけれど、言語も状況もわからない異世界の元王子ほど現状に困惑はない。
オムツがなかなか取り替えてもらえない未来と、ミルクが適切にもらえない未来は多分そう遠いことではないだろう。それはもはや疑っていなかった。
流石に赤子前半戦の記憶までは保持していなくとも、前世の記憶さんは言っている…境遇が同じなら多分、君らわりかし放置されて育ちますよ、と。
しかし今生の母親はそれでも、まだ双子の世話をしようとはしている。
不要の話題と泣き声は気の滅入った母親をウザがらせ、時には暴力に駆り立てるファクター…前世の経験を活かし、なるべくおとなしくしていれば母親を育児ノイローゼに追い込むことはないだろう。そんな風にも思っていた。
万一のことがあっても自分の意識が明確な今なら大声だって上げられるから、コインロッカーで息を引き取ることもない、はず。
(やまんちゅ。お前一人だったら相手が何を言っているかわからないし、そこらの家電も何だかわかんないから、危険が迫ってたとしてもそれに気付けないんだろうな…)
『…か…でん…? 何の話だ?』
(俺の持つアドバンテージは、兄として敬うに足るものだと思うぞ。ところで、お前。知っているか? …我々の………パパの名は、じゅんクンだ!)
『…今、その情報に、意味はあるのか!』
(きちゃないって言ってんだろうがァ!)
ヨダレを飛ばすな、と彼は拳を振り上げた。
短い腕は、決して相手に届かない。それでも見えない敵を殴るが如く振り回してみた。
『くそっ、やったな!』
届かないので、全然何もやってなどいない。
しかし溜まりきったストレスに、異世界の元王子も限界だったのだろう。兄と同様に、届くわけもない腕で殴り返そうとする。
あうー、あうー。ぺしん、ぺしん。
向かい合った赤子が必死に手元の布団を叩き合う、謎の図。時折勢いを付けすぎて、シャチホコのように反り返る。
双方、これで、喧嘩のつもりであった。




