渾身の…ドヤッ!
意思の疎通が図れないまま、時は過ぎた。
お互いに相手の真意を訝しみながらの日々。
それでもひと月、ふた月と時は流れゆき、彼らの成長と共に環境もまた急速に変化してゆく。
閉め切られた室内に、床に並べられた布団。ど真ん中に放流された二人の赤子。
その耳には、隣室からの穏やかならぬ会話が聞こえてくる。
「ねぇっ、昨日の夜どこ行ってたの? 遅くなるなんて…朝、言ってなかったのに。昨日はアタシ達の初デート記念日だったんだよ。お祝い、したかった…」
「うるせぇな。いちいち干渉すんなよ。大体、お前の言う記念日とかはアホみたいに多すぎて覚えられねぇって、前にも言ったろ」
「だって、お祝い…。…アタシ、奥さんなんだよ? なのにどこ行ったかも知らないとか、変じゃん。ただの彼女じゃなくて奥さんなのにっ」
「あー、うぜぇなっ。俺は別にまだ結婚なんかしたくなかったのに。お前が勝手にガキなんか身ごもるからこんなことになったんじゃねぇか! 少しくらい遊んで何が悪いってんだ!」
「そんな…、だって…だってぇ…」
「はぁ。また泣くし。…かったりぃ」
「どこ行くのぉ。じゅんクン、じゅん…」
頻度の増してきた不和に、こっそりと彼は溜息をついた。
父親がなかなか目の前に現れないことで概ね予測はついていたが、どうやら『じゅんクン』には子供に対する愛情は皆無のようだ。
部屋向こうの声は聞こえるけれど、室内に入ってこないから、未だ父親の外見が認識できない。子供を可愛がるなんて行動は、パパンの選択肢にも浮かんでいない様子。
(これは近々、じゅんクン帰ってこなくなりますな…。いや、むしろ母親と俺達が追い出される可能性もあるのか? 参ったな、前世トレース機能とかマジ要らないんですけど)
前世では、まだまだ遊びたい盛りの父親に対し母親が罠を張って身ごもり、父親は嫌々結婚した。
始めから足並みにズレがある結婚生活で、次第に増えていく不和はいつしか愛よりも憎悪を互いに植えつけていった。そして『ゴムに穴開け事件』が明らかになったとき、ついに母親と彼は追い出された。
前世においても当然、誰も明確な経緯を面と向かって幼な子に伝えることなどはなかったが…母親本人が口を慎まなかったために、彼は聞いていないふりをしつつしっかりと情報を得ていた。
今生でも、何気ない身内の会話から得られる情報こそが、明日の我が身を救うと信じている。そう、昔取った杵柄だ。
(…うーん。困ったな)
ちらりと彼は弟に目を遣る。相手の詳細は相変わらずわからないままだが、向こうもまたじっと眉をひそめて状況を見守っている。両親の不穏な声の調子くらいは察知できたのだろうか。
母親に笑いもせず、オムツを濡らそうと泣きもしない無口な弟を、ただの赤子とは思えないでいる。
打てるようになったばかりの寝返りを駆使し、彼は弟の側へと移動した。
気付いた弟は硬直し、ばったんばったんと回転しながら近づいてくる彼に、若干引いた目線を向ける。
「おー、うだぁ?」
(おう、最近どうだ?)
片手を挨拶変わりに上げて見せると、相手もおずおず「おー…」と片手を上げ返した。
なんと、意思の疎通に成功。会話はできないが、ボディランゲージによる挨拶くらいは通じるようだ。
赤子らしくただ相手のポーズを真似をして返したわけでは、恐らく、きっとない。
(早く喋れるようになるといいんだがなぁ…。でもその頃には離婚して…施設か親戚か…俺達が別々に引き取られる展開もありそうだ。せっかく兄弟に生まれたってのに、何だか残念だよな。せめて今は仲良くしようか)
テレパシーなどないということはわかっていても、何となく思いを込めて見つめてしまう。
相手は真面目な顔をして、小さな手で口許を覆った。いや、何かを考えているようだ。
だが問いかけても返事は期待できないことはわかっている。
お互い、相変わらずまだ言葉を操ることができない。双方共通の理解ともなれば、それができるようになるのは、年単位で先の話だろう。通常ならば。
ぽんぽん、と二の腕を叩かれた。
相手からのコンタクトは初めてだ。
「…うぇ、あーぁうおぴゃー」
(いや、一度謎の光をぶつけられそうに…って、お前ぇ、また「おぴゃー」かよ?)
ジト目になる彼を宥めるように、再び腕がぽんぽんされた。
口の端を歪め、いつかのように謎の光を集めた赤子。前回と違い物体Xをこちらへ投げつけることはせずに、ゆっくりと光る手を差し出してくる。
明らかな、理性。
(…何だよ、魔法使い)
警戒を解かずに見つめてみても、唇を引き結んだ赤子は「ん」と手を差し出してくる。
その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
(…体力使うのかな…赤子だしな。まぁ、この光を食らっても、別に死なないのかもしれない。前回も避けるどころか突っ込んじゃったけど、無事に生きていたしな。それに死んだところで、前世トレースなら…碌な人生じゃない。それなら…)
謎のひとつくらい、受け入れてやろう。
そんな気持ちで彼は手を伸ばした。
光が小さな指先に触れて瞬くと、相手が安堵したように口許を緩める。光はじわりと彼の手に移り、ゆっくりと染み込んで…消えた。
(…どうなったんだ)
説明は期待できない。それでも、彼は相手を見た。しっかりと合わされる目線。
「おおーぁ、いーあ?」
『俺の声が、聞こえるか』
発せられた音は今までと変わらないのに。
「…ぷぉっ?」
相手の不可解な言葉が脳内に翻訳されて届き、思わず彼は動揺した声を上げる。
対して、ドヤりいっぱいの顔で、発光物を押し付けてきた弟は言い放った。
「おえいぇーう、あうあー、あいあ!」
『私はイリヤトーレ。ファルグラント王国の第三王子であり、国一番の魔法使いだ!』
…………………。
「……………………えーぅ? …あー…。おーいぉあぃあー…」
ないわー。いや…、ないわー。
弟にかけるそれ以上の言葉を、彼は持たなかった。




