夜職すると死ぬ(真顔)
たった一日の検証ではあるが、それでも情報は蓄積されていく。例えば運動量。腕立て、腹筋、懸垂。室内でやれる限りのものにはなるが、身体能力の確認と共に裏側で検証された、筋肉痛との関連性。
運動量をメインに増加してみたものの、夜になって齎された結果は「何をしても最早これ以上筋肉痛は悪化しない。元々が苦痛最大値」というものであった。
運動してもしなくても同じ苦しみであるのなら、逆に安心して肉体労働に向かえる。
『その考え方はおかしいと思う』
「そうかな。肉体労働した反動で翌日も動けなくなるっていうなら、バイトも職種を厳選せねばならなくなる。身元確認もうるさくなく、手早くそれなりに収入を得たいなら避けては通れないのが工事現場の仕事だと思うがなぁ…」
最悪無言で居なくなっても、責任感のないクソバイト野郎めと白い目で見られるだけで済むはずだ。
可能ならば、うみんちゅだって楽して稼ぎたい。
しかし楽してすぐに大金を得たいなら、個人情報を売るくらいしか思い付かない。個人口座の売買やらの犯罪ではなくとも、何かのサイトでポイントゲットのために広告を踏んでクレジットカードを作ったりするのだって、結局は手っ取り早く個人情報を金に変えただけなのだと彼は思う。
今生でのモノは売れない…うみんちゅゼロ歳、イタズラだと思われちゃうので。
闇バイトも決して踏んではならない。
拘束されたりして犯罪者の前でうっかり赤子に戻っては、鴨ネギどころではない。身元不明で生きのいい赤子など保護の大義名分まで与えて、奴隷の雛か収穫時を待つばかりの臓器を提供するようなものだ
弟へ哺乳瓶でミルクを与えながら、溶かさぬ粉ミルクをモソッと口に入れることで自分の食事とする。十分な栄養が取れていると信じている狂信者兄弟。
無心にミルクを飲む弟を抱え、しょりしょりと粉を噛む。
身体が大きくなっても、分量は弟と同じだけ。そこは決して曲げない。しかし。
たった一食のカップ麺が忘れられない。
再会してしまった濃い味や噛み心地に、食への欲求が募っていた。
ミルクの量も赤子ならば腹が膨れても、成人体から見ると大した量ではない。更には腰に手を当てゴクゴクッといったらもうおしまいなくせに、匂いまでほの甘くて…「これは飯じゃねぇ」感を感じてしまう。
置き換えダイエットなど前世でもしたことがないうみんちゅだ。液体なんかでは全然満足できない。
まして身体が十八歳相当ともなれば、食べ盛りだった。
肉なんてもう長いこと(体感)食べていない。ハンバーグ、ステーキ、角煮、フライドチキン…とにかく肉、いや、やっぱり一番は豚の生姜焼きが食べたい。ちょっとキャベツが敷かれていると良い。更に言えば熱々ご飯に味噌汁を…そう、無意識に浮かんだ。
止めどない思考から慌てて目を逸らす。手に入らないのに、あれもこれも食べたくなってしまう。
「働くとしても、食事は赤ん坊で済ませてから大きくなったほうが良いな。夜は吐くからどうせ要らないだろ。昼飯だけは買わなきゃいけないが…」
昼には安くて大盛りの食事を…そんな望みとは裏腹に、それが胃腸にかける負荷がまだ読めない。
今日は赤子時と同じもの…つまりミルクのみを摂取して、夜の吐き気の程を見るのである。
前回より控えめの吐き気で済めば、カップ麺なんてダメだということ。ガッツリ飯は諦めねばならない。
食事はミルクでないと身体が受け付けないならば、隠れてザリザリと粉を舐めるか、置き換えダイエットだと言い張って人前でミルクを飲む羽目になる。湯の調達はどうすればいい…。
人前で赤子用ミルクを呷る自分を想像し、思わずドン引く。脳内では、使い慣れた哺乳瓶であったことも問題かもしれない。そんなベビィ・プレイの猛者ではない。
そう、コップに入れて飲めばいい…乳酸菌飲料…いや、プロテインだと言い張れば…。
こんなに悩むくらいならもう、一度帰宅し隠れて済ますべきか。しかし、たかがゴクッと一杯の為だけに…。
そもそもお湯でなくても。肉体労働後に炎天下のホット飲料…真夏のひとり我慢大会は、辛い。
成長した身体ならそんなに菌に弱くはないはずだ。アイスミルクなんて贅沢は言わずとも、常温ならどうか。スプーンで混ぜ溶かしたことなどないが、常温水で溶けるのだろうか…ダマには…なるかもしれない。粉を舐めても同じなのでは。
不安は昼食だけに留まらない。
「熱中症が懸念されるが、俺達は水筒すら持っていないからな…なけなしの所持金で都度、割高な自販機で飲み物を買うくらいなら、本音としては水道水持参でいいくらいなんだが」
倒れるくらいならば、補給する水が塩素臭いくらい何だ。浄水器なんて贅沢品だ。
出さなくて良い金は出すべきではない。
食糧難の危機は「すぐそこ」から「ちょっと先」へお引越ししただけ。継続的な物資購入には、やはり継続的な収入が要る。一円を笑う者は一円に泣くのだ。
『荷物は私とコップだけで良いぞ、うみ。こっそりと魔法で水を出してくれよう。氷ももちろん付けよう』
「んん、うーんん。売り込みの圧が凄い…」
便利さが売りの魔法使いからは「連れてって!」攻撃が止まない。
とはいえ赤子を木陰なりに置いて作業するなど、どう考えても他者からの非難が来る。直射日光に当てなくても、木陰が涼しいかどうかは賭けでしかない。昨今の気温の上昇ぶりは、異常気象の名に恥じない。
明日のオッサン面談時に、付近に預かり所がないか、一応聞いてみよう。そう考えながらも、うみんちゅは並行してオッサン推薦に落ちた場合のことも考え始める。
次に近い工事現場も残念ながら同じ会社の求人だった。
担当者も同じ。直近で落ちているのであれば、再度働く現場を変えて受けたところで落ちる可能性の方が高い。応募者が多くて相手の記憶に引っ掛からなければいいが、特殊な事例が短期間に二度出てくれば記憶に残る可能性は高い。利益もないのに、無駄な残滓を残すのは埋没主義者にとって業腹である。
そうすると次の候補は夜職だが…。
(ナイトワークへの、前世由来の拒否感が強くてなぁ…。ビッチじゃなくても事情のある人もいるだろうし、そもそも別に女は皆が元ママン枠じゃない…楽しく飲むくらい何が悪いって…頭じゃわかってんだけども)
笑顔を振り撒き、陽キャとして他者を取り込もうと八方美人を演じるのは、まるでかつての母親の再現ではないか。
前世ママンのような態度の女子に囲まれる職場で、笑顔を維持する自信はなかった。
感情を剥き出して目立つなど埋没型モブの美学に反するし、能面でも無礼でも許されるのはイケメンだけ。ましてや万が一にもキレ散らかしてしまってはお賃金どころではない。
ホスト以外の男の需要もよくわからないが、調べようとも思わない。前世という亡霊の逆恨みに、今を生きている無関係の他人を巻き込むことはできない。
関わらないのが双方の為だ。
故に、多少身元が不確かでも受かりやすそうな夜のサービス業は選択肢から外れる。
(俺って、もっとフラットな生き物だと思っていたんだけとな。生きるための選択肢が、幸いにも前世はまだ恵まれていただけだったのか…)
…言い直そう。ナイトワークに就く自分を想像すると心理的負荷が急上昇する。
それってもう弟と共に死んだほうがマシなのでは?と前世の自分がリタイアをチラつかせてくるのだ。
生き残る手段探しのはずなのに本末転倒も甚だしい。彼自身、まさかそこまで根が深いとは思っていなかった。
(でも、元ママンをトレースするような生活は絶許でございます。無理したところで、意外と俺の顔色を見ているやまにバレて不審に思われる。奴はツンな割には心配性だからな…下手するとオトナボディも取り上げられてしまう)
一身上の都合で、夜中の警備バイトが繰上げ次点になった。だがこの職種もまた、赤子連れではより厳しい。
日払いも無理だろうし、人並みの信用度も必要。住所は今生の居住地になるが、前世の情報を混ぜてきっちり辻褄の合う履歴書を書くところからのスタート。
それに交通整理ならまだしも、建物内の夜間警備などは却って責任を求められる気がしてしまう。
そもそもがキッチリしてそうな会社が相手では、下手な辞め方をすると「うちの警備員が失踪しました」なんて警察沙汰になったり、場合によって今は亡き庸輔氏の所在を捜索されてしまう可能性もある。
前世の死に方が不明である以上、そこで万一前世の自分の遺体でも見つかれば、大惨事だ。
偽名を使ったうみんちゅの不審度は、サラ金の利息並みに積み上げられていくだろう。最悪は赤子拉致に庸輔殺害犯の可能性を上積みされて、指名手配待ったなし。
また、自分に落ち度がなくとも、警備時に事故や事件があった場合が不安だった。タイミング悪く紛失事故なんか起きて、警備バイトに盗人疑惑が飛び火したりはしないだろうか。
その際に、やはり嘘だらけの履歴書が足を引っ張りはしないだろうか。
何かのきっかけで深く調べられると、履歴書に書いた自宅住所に居住実態が見つからずに不審がられるし、やはり赤子拉致犯の疑いが庸輔氏にかかってしまう。
(別に死んでるから名誉も何もどうでもいいんだけど…万が一知らん間に経歴に泥が付いてて、気付かず再使用して捕まったらヤバいんだよなぁ)
自身のみならどうでもいいが、弟と引き離される可能性は少しでも排除したい。
何せ弟単品では周囲の様子など年齢相応の認知しかできないのだ。通訳であるうみんちゅが戦線離脱したら、弟が詰む。
それは…可哀想だ、と思う。王子からの庶民転生なだけでもストレスだろうに、言語・文化の相違にネグレクト。兄が犯罪者のオマケまで上乗せれば、成長後も生きづらいことこの上ない。
魔法でも、ご近所の噂話と後ろ指はどうにもできない。
『お前もよくよく面倒な奴だ』
兄の熟考ぶりに、やまんちゅも思うところはあるようだった。
世界的な差異も含めて、自身の知識や常識が通用しないのを歯痒く思う気持ちは彼にもある。
互いに、前世は何を思いどのように生きたのかという詳細までは明かしていない。
それでも「何としても世間体という枠内から逸れて見えないように」と心を砕く兄の考え方が「この世界での普通」ではなさそうだとは感じていた。妄執すら感じる。
「それは、そうね。…ま、生きるのって難儀なもんだよ」
『…まぁな。前世の思考が残っているのだからある程度は致し方あるまいよ。もし綺麗にリセットされていれば、そもそも我らはもう万策尽きているのだ』
お前頼みとなることは、本当に悪いと思っている。
溜息のように、そう、やまんちゅは呟いた。
それ以上は何も付け加えず、こちらを見もせず無心に哺乳瓶と一体となっているだけの弟の姿に、精一杯のデレを読み取るうみんちゅ。
双子で良かった。
口にすることはできないが、うみんちゅの心には前世と違った余裕がある。苦楽を共にする相手の存在の大きさに、培ってきた人間不信が少しずつ癒されるような気がした。




