もしかして、救いの天使(ガチムチ)
カップ麺と赤子に手を焼いているのに、タオルを受け取るなんて器用なことはできそうにない。
一瞬だけ、あんなにも手を欲した千手観音の気持ちがわかったような気がした。
悪いけど物理的に手が足りないんだわー。生やせるならお願いしたいわー。…きっと、そんな気持ち。
どこか冷静な脳内はそんな無駄口を叩きつつも、怪しまれないよう、こんな時のジャパニーズ一般人の態度を装う。
即ち、低姿勢での恐れ入りますスミマセンだ。下手に落ち着いた態度は却って異質。狡猾な埋没主義者は更に、焦りの表情も素早く張り付けて見せる。
「あっ。す、すみません、ちょと待っ…」
アワアワする演技派うみんちゅの横にタオルを置き、男はひょいとやまんちゅを抱き上げる。
完全に背後に無警戒だったやまんちゅは、唐突な滞空に固まった。
「ゆっくり食え、オッサンがちょっとあやしててやるからよ」
(えぇー。親切な人なのかもわからんけど、唐突に弟を取られてて怖いー)
とはいえ両手が使えなければ何もできない。
万一誘拐しようとしたらカップ麵を投げつけるという選択肢も視野に入れつつ、前世の処世術で培った観察眼を総動員する。
こいつはどこから現れたのか…隣のベンチに作業着の上着が置いてあるようだ。その側のコンビニ袋と時間帯から、恐らくは土建業の昼休憩とみて…赤子を見て必要以上に笑顔のこの男は…、ただの子供好き!
一声「スミマセン!」と声をかけて、手持ちのカップ内を空にすることを優先する。
可愛いなー、小さいなー等と言われながらむさい髭面を近づけられ、あやされているやまんちゅ。脳内処理が追い付いていないようで、一切のテレパシー通信もなく、見事なフリーズを継続している。
急いで完食して容器と箸を横に置き、サッと弟へ両手を伸ばす。
我に返った赤子が、不意に頼りない顔をした。
「う。あ…」
「あれ、泣くの? 人見知りかな? まさか、やまタンともあろうものがお兄ちゃんに縋りついて泣いちゃう?」
「ぃうあ、ばにゃー!」
『な、だ、誰が泣くか痴れ者ー!』
「あいてっ」
振り上げた哺乳瓶の飲み口を頬に刺された。くにゃっとしたので言うほど痛くはないが、悲鳴とは反射的に出るものだ。
テレパシーを伴わずに何かウニャウニャと文句を言いながらも、弟はしっかりと両手をうみんちゅへと伸ばしている。不満げな顔に笑いながら、オッサンは滞空中の赤子を保護者へと返却した。
うみんちゅはそれを肩に抱き上げるついでに、さりげなく目の前の赤子服で頬についたミルクかヨダレかを拭う。哺乳瓶の先、なんか湿ってた。
(…やはり、ただの親切心だったようだな)
戻す目線で、そう、素早く相手の表情を読んだ。
たまにいるのだ。我が子でもないのに、懐かぬ様すら可愛いと考える生粋の子供好きが。他人の子のヨダレが付くことすら厭わぬ程の、謎の献身を差し出す、物好き…うみんちゅには決して理解出来ない人種が。
「ありがとうございました」
しかし他人の好意を好都合と考える狡猾なうみんちゅは、慣れた素朴系好青年の仮面を張り付け、愛想笑いを返す。
オッサンは自分の客観的な姿を顧みることもなく、チョチョチョと舌を鳴らして赤子の気を引こうと不快な音を立てる。ぎっちりと兄の襟を握り込んだやまんちゅが、胡乱げな目を向けた。
「やまタン? 何君ていうのかな?」
「あ、えっと、やまと、です」
「そーかそーか、ヤマト君はお兄さんと仲がいいんだなー。オッサンは高橋 耕三といってな、近くで土木作業をしていたんだ。怪しい人ではないぞ。ちょうどそこのベンチで飯にするところだったんだが、…本当に赤ちゃんと会話しているみたいで面白くて、つい見てしまってな。急に驚かせたみたいで、悪かったな」
ハッハッハ!と豪快に笑うオッサン。
やまんちゅ、0歳にして偽名を名乗る。いや、改名には実績が大切なのだ。早いに越したことはない。
何も知らぬ本人は今のところ特に改名を希望していないが、兄がそう名乗るには何某かの理由があろうと、じっと大人しく状況を見守っている。
「いえいえ、助かりました。あの、俺は亘辺 庸輔です」
だが兄は別の偽名を名乗った!
やまんちゅが目をまん丸にして見ている!
裏切りではない、決してない。ただただキラキラネームでは、初見の年配者から好意的な感情を得られにくいと知っているだけ。ましてや埋没主義者、相手の記憶に如何にも耳慣れぬ音の名を残そうなどとんでもない。
継続した付き合いがあればその限りではないが、行きずりの相手であれば好感度の初期値は上げておくに越したことはない。名前にインパクトなど要らぬ…これは謂わば処世術である。
すくっと腕の上に立ち上がった赤子が顔の真横から向けてくる驚愕の視線に耐え切れず、うみんちゅは弟を胸元に抱き下ろした。そっと哺乳瓶を取り上げ、その先をやまんちゅの口に差し入れる。
一瞬恨めし気に見上げてきた赤子は、しかし大人しくランチを再開した。赤子ボディの本能的動作で、口に入れば意思とは無関係に吸ってしまうのだ。
オッサンは立ち上がりついでのように上着とコンビニ袋を回収すると、ごく自然に同じベンチへと引っ越してきた。その目がチラリと、大きく開いたままだったこちらのリュック内を流し見ていく。
見えるところにあるものなど、オムツとミルクとせいぜいがタオル。
それでも、個人的な荷物の中身を覗いたことに対し、敵愾心にも似た不信感を抱くやまんちゅ。その一方、見られて困るものもなし、却って好都合だとすら思ううみんちゅ。
「そういえば先程の話が聞こえてしまったんだが、働き口を探してるのかい?」
これは…!
世間話で終わるか、口利きが得られるかの境目の会話だ。
ピンと来たうみんちゅは素早く脳内で同情を引くべく、デコボココンビである自分達の説明文を組み立てた。




