オッサン、現る
「少しチャックを閉めたまま行くが、中で大人しくできるか?」
「あぇお…だーう?」
『ああ。…なんだ、随分小声だな?』
「…さすがに通行人がいる時も赤子と普通に会話しながら道を歩くほど、胆太くないんだわ」
それでもうみんちゅにとって、口にした言葉とテレパシー言語が一致してくれるというのはこの上ない喜びであった。
喋れるって素晴らしい。
発声練習も兼ね、今後も可能な限り、遣り取りは口に出すつもりだ。
電柱や信号下の表示から住所表示を読み取って現在地を確認してから、目星を付けていたコンビニエンスストアに入って雑誌コーナーに陣取る。
エロ雑誌を立ち読みしていた男が、少し迷惑そうに身じろぎ、位置を変えた。
去ってくれよと言いたげなチラ見にも構っている場合ではない。昼間から敢えてそれを選んだうえで他人の目を気にするなんてお前…もうそれは買って帰ってから読めばいいのに。
そう思いはすれど、責めることはできない。
サッとお目当ての雑誌を探し、素早く確保。ぴらりんと表紙を捲って、興味を引く求人情報を斜め読む。
手持ちの心許ない彼もまた、立ち読みなのである。店長さん、ごめんなさい。
いつか買えたら買う。具体的にはお小遣いを握りしめられる可能性を考え、十五年程待ってくれ!と脳内で言い訳をしながらもパラパラとページを捲り、得たのは付近でのアルバイト情報。
アナログな伝達媒体が駆逐されていなくて良かった。時間も体力も限られる中、素早い検索手段たる携帯電話が手元にないことを、こんなにも歯痒く思うのは初めてだ。この上は、必要な情報を手に入れたなら、迷惑な客と認識される前に離脱しなくては。
一番手順の少なさそうなカップ麺を一つ手に取りつつ、レジでそっと店員に問う。
「あの。カップ麺作る時に、ちょっとだけ多めにお湯貰っても大丈夫です?」
「ア、ハイ、大丈夫ですよー」
言質は取った。
会計後にセルフで弁当を温めたり、お湯を使ってくれるようにと電気ポットが用意されている台へ移動する。電子レンジとポットの設置だけでなく、カップ焼きそばやカップパスタ等の湯抜きに対応できる気遣いのミニシンク付きだ。
コンビニによってはレジ内のレンジしかないこともあるので、わりと弁当やカップ麺に需要のある客が多いコンビニなのかもしれない。
会計後のカップ麺のビニールを剥いでゴミ箱に入れる。お湯を注ぐと共に立ち上る油分の馴染み深い匂いに、百八十秒の遠さを思う。
もっと嗅いでいたいような気持ちを堪え、急いで台に置いたリュックを開け、…じっと見つめてくる真顔の赤子に、まだ動くなとアイコンタクト。
取り出した哺乳瓶と粉ミルクに全世界の目が向いているような気分になる。不審な自分を認識していると自意識過剰になってしまうが、実際には監視カメラくらいしかこちらを見てはいない。そしてカメラはリュック内まで見通せない位置だ。
自分史上最速を意識して、作成したミルクをタオルで包んでリュックの中へ。
僅かにこぼれた粉は手で集めてゴミ箱へ。そしてその手の粉は、おズボンでフキフキ。証拠隠滅完了。
「ありがとーございましたー」
お湯入りカップ麺と箸を手に持ったまま、何食わぬ顔でコンビニを後にした。
こちらも前もって目星をつけておいた公園に、駆け足で戻ってベンチを占拠する。揺れに対してかリュック内からの抗議の唸りが聞こえるが、百八十秒は移動には短すぎたのだ。決して口にだけは出さないので、内心で弟より麺の吸水具合を心配していたのは許してほしい。
急いでカップ麺を横に置き、下ろしたリュックを開く。
「お待たせ。息苦しかったろ、悪かったな」
「うぇぁあー、むー」
『それより揺れが…くっさ。なんだそれ、くさー』
異世界人に味噌ラーメンとの邂逅はまだ早かったようだ。苦笑しつつ、足の間に取り出した赤子を設置。
慎重派を自負するうみんちゅだ、どんくさい弟を背もたれなしでベンチに座らせるようなチャレンジャーではない。
更に哺乳瓶を軽く振って粉の溶け具合を確認すると、火傷防止のタオルと共に弟へ手渡した。不審そうにチラッチラッと見上げてくる弟の頭上でラーメンを啜る。
「…あー…久し振りぃ、最ッ高」
「うぁ、ぷゅー、むー?」
『美味いのか? くさいのに? そんなにも?』
「ははっ、やまにはまだ食べさせてやれないなー…麵一本くらいならいけるか? あ、やめとく? そう?」
むやーむやーと聞いたことのない声を出して威嚇してくる弟に笑いながら、汗を拭う。
炎天下でカップ麺を選ぶなんて考えなしだったかもしれない。だが、ミルクの為のお湯を外で調達する方法が、これくらいしか浮かばなかったのだから仕方がない。
味噌ラーメンがそんなにも気になるのか、どうしてもこちらを向いてしまう弟。片足を組んですぽりと隙間に赤子を収めた。
予備のタオルを出してその頭上にかけ、日除けを作ってやる。
日中の外は、記憶の中より、ずっと暑い。
「いやぁ本当はさ、力仕事とかの日雇いなら、出来るんじゃないかと思うんだ。この近くでの現場の募集も、幾つかあるみたいで。だけど、この暑さじゃ、お前を連れては無理かもしれないなって、今おもおぉっ?」
「ゆあー! ややーぁ!」
『許さんぞ、うみ! 目の届かない場所は!』
「いや無理、今暴れるなって、やま! 飯と両方は支えられんて!」
「あー! いああー!!」
『聞き入れないのなら破門だぞ! 魔法は教えてやらんからな!』
「あーあーそういうこと言っちゃう? 大人しくしないとお兄ちゃんにも考えがあんだぞコノヤロ!」
「でぃぎゃーーー!」
『言ってみろ! 言ってみるがいい! クリーンかけてやらんぞ!』
「卑怯な! いや落ち着け、落ち着けってのに、もーぉ、危ないから!」
がっちりと哺乳瓶を握りしめたまま、やまんちゅは予想以上の抵抗を見せた。
頭上からこぼしては大変と慌ててスープを飲み干そうとする兄と、ミルクを振って断固抗議の姿勢の弟を、不意の笑い声が包む。
暴れる赤子からはらりと落ちてしまったタオルを拾い上げ、ゆっくりと差し出してきたのは、真っ黒に日焼けしたガチムチのオッサンであった。




