第7話:路地裏の妖艶な罠。情報屋セイラは「左眼」を見逃さない
翌朝。
ダンジョンの入り口にあるキャンプ地で、撤収作業が始まっていた。
「よっ……と!」
ヴァルは掛け声とともに、木製の頑丈なコンテナを持ち上げた。
中身はギルドからの依頼品や解体されたタスカーの素材、彼らの野営道具だ。成人男性がなんとか持ち上げられるサイズだが、重量はずっしりと重い。
だが、ヴァルは顔色一つ変えず、それをカーゴ・タートルの背中に固定された荷台へと次々に積み込んでいく。
「あらー、力持ちねぇ。魔法強化もなしでそれ?」
巨大なリュックを背負った熊人のティアが、感心したように声を上げた。
「毎日これくらい運んでますから。慣れですよ」
「ふうん。魔法使いは身体強化に頼って、素の体が鈍ってるのが多いんだけどね。……アンタ、いい『芯』ができてるわ」
ティアの言葉に、横で剣の手入れをしていたアビアも笑って頷いた。
ヴァルは少し照れくさそうに鼻を擦る。
マギレスの自分にとって、肉体だけが唯一の資本だ。それが、雲の上の存在であるAランク冒険者に認められたことが、素直に嬉しかった。
「よし、出発だ! ノアズ・アークへ戻るぞ!」
アビアの号令で、一行は動き出した。
帰路は、決して平坦ではない。
ダンジョン周辺の荒れ地は岩が露出し、本来なら馬車など通れば荷崩れを起こして当然の悪路だ。
だが、タートルの荷台は奇妙なほど安定していた。
カーゴ・タートルの甲羅は、ウミガメのように低く平たい形状をしている。その低い重心と、四本の脚の独立したサスペンションのような動きが、悪路でも荷台を水平に保つのだ。
『予測:前方5メートル、高低差15センチの岩。……右へ体重移動。傾斜角補正』
御者席に座るヴァルの脳内に、レティナのガイドラインが表示される。
ヴァルはその指示に従い、反射的に右足を踏ん張り、上半身を逆方向へと傾けた。
ガタンッ。
タートルが岩に乗り上げ、荷台が大きく傾きかける。
普通なら荷物が雪崩を打つ瞬間だ。
だが、ヴァルの体重移動がカウンターウェイトとなり、荷台の水平は見事に保たれた。まるで、揺れる船の上で水盆を持つ曲芸師のように。
「……ほう」
荷台のコンテナに優雅に腰掛けていたカイルが、手に持ったティーカップを見て呟いた。
並々と注がれた紅茶は、一滴も零れていない。
「身体強化もなしに、この悪路で紅茶がこぼれないとは。……君、見た目以上にいい身体と技術を持ってますね」
「生きるために必死だっただけですよ。荷物を壊したら、賠償金で首が飛びますから」
ヴァルは謙遜して言ったが、御者席で手綱を握るその腕には、実戦的な筋肉の筋が浮き出ていた。
見かけの派手さはない。だが、毎日過酷な重量を支え続けた「生活の筋肉」だ。
レティナの予測演算と、ヴァルの職人技。
この二つが噛み合った時、彼はただの「運搬屋」を超えたパフォーマンスを発揮する。
(悪くないな……褒められるの)
ヴァルは手綱を握り直す。
自分の培ってきた技術が、この世界でも通用する。その事実は、彼の傷ついた自尊心を少しだけ回復させてくれた。
数時間後。
街道の先に、巨大な城壁が見えてきた。
世界最大の交易都市、『ノアズ・アーク』。
内海に面したこの都市は、世界中から発掘された魔鉱石や遺物が集まる経済の中心地だ。
巨大な城壁の向こうには、魔鉱石のエネルギーで輝く摩天楼がそびえ立ち、昼間でも街全体が宝石のように煌めいている。
ヴァルにとって、あの輝きは搾取と格差の象徴だった。
だが、アビアたちにとっては拠点として過ごす場所、栄光の舞台だ。
「やれやれ、やっと着いたか」
正門前には、入都を待つ商人や冒険者の長蛇の列ができていた。
だが、アビアたちはそこには並ばない。
Aランクライセンスを持つ彼らは、優先レーンである『栄光の門』を通ることができるのだ。
「じゃあなヴァル。俺たちは手続きがあるから先に行く」
「あ、はい。俺は貨物レーンの方から回ります。荷物はその先でお渡しします」
ここで一時的にお別れだ。
ヴァルはタートルの手綱を引き、一般の荷運びたちが並ぶ薄暗い通用口へと向かった。
「……おい見ろよ、あいつ。ユリシーズ・アトラスと一緒にいなかったか?」
「まさか。ただの道案内だろ。見ろよあの汚い格好。Aランク様の金魚のフンだろ」
「臭いな、砂利が」
周囲の冒険者たちから、嘲笑の声が聞こえる。
さっきまでアビアたちと対等に話していた高揚感が、冷や水を浴びせられたように冷めていく。
そうだ。これが現実だ。
どんなに技術があっても、マギレスである限り、この街では「砂利」でしかない。
ヴァルは唇を噛み締め、タートルと共に列に並んだ。
「次! おい、そこの亀!」
検問所の衛兵が、ぞんざいに手招きをした。
顔なじみの衛兵ではない。新入りだろうか、酷く高圧的な態度だ。
「ギルドタグ提示。……チッ、ヴァルってあの噂のマギレスかよ」
「すみません、手間を取らせて……」
「荷物検査だ。全部降ろせ」
「え?」
ヴァルは耳を疑った。
通常、登録済みの運搬屋は簡易チェックで済むはずだ。それに、この大量の荷物を全て降ろして再検査すれば、一時間はかかる。
「あ、あの、中身はギルドの封印証付きのコンテナで……全部降ろすと日が暮れてしまいます」
「口答えすんな! 怪しいから降ろせと言ってるんだ!」
衛兵が苛立ち、履いていた鉄靴で、タートルの前脚を思い切り蹴り上げた。
「グゥッ!?」
「やめろッ!」
タートルが悲鳴を上げ、ヴァルの頭に血が上る。
相棒を傷つけられた。
ヴァルが衛兵に掴みかかろうとした、その瞬間だった。
バチィィィッ!!
「うわぁっ!?」
紫色の閃光が走り、衛兵が持っていた槍を弾き飛ばした。
焦げ臭い匂い。
衛兵が尻餅をつき、恐怖に引きつった顔で見上げた先。
優先レーンにいたはずの男が、全身から紫電を迸らせて立っていた。
「……俺の連れ(ツレ)と、その相棒に何をした?」
アビア・アトラスだ。
その双眸は、タスカーを屠った時と同じ、冷酷な光を宿していた。
「あ、アビア様!? い、いや、こいつが不審な動きを……」
「俺たちの荷物を運ばせているだけだ。それが不審か?」
「め、滅相もございません!!」
「……じゃあ、問題ないな」
低い一言。
衛兵は顔面蒼白になり、何度も頭を下げて道を開けた。
「と、通りたまえ! 通ってよし!!」
アビアはフンと鼻を鳴らし、紫電を収めた。
そして、呆然としているヴァルに向かって、ニッと口の端を吊り上げた。
「……災難だったな。やっぱりお前、俺がいないとダメなんじゃねえか?」
「アビアさん……」
「俺たちはギルドに寄らなきゃならん。……夜、裏通りの『酔いどれの鯨亭』に来い。奢ってやるよ」
アビアはそう言い残し、颯爽と仲間たちの方へ戻っていった。
格好良すぎる。
周囲の陰口は消え、代わりに畏怖と羨望の眼差しがヴァルに向けられていた。
街に入り、ギルドの倉庫へ荷物とタートルを預けた後。
ヴァルはアビアとの待ち合わせ場所へ向かうため、路地裏を歩いていた。
表通りの輝きとは裏腹に、一歩入ればそこはスラムに近い闇が広がっている。
ヴァルは懐にある「茶色魔鉱石」を握りしめた。昨日手に入れた僅かな成果だ。これをアビアに会う前に換金し、レティナの食事をさせておきたかった。
目当ての「闇両替屋」の前に着く。
薄汚れたローブを着たブローカーが、ニタニタと笑って待ち構えていた。
「へへ、茶色12個か……。シケてんなぁ。青色は無理だなぁ…相場が下がってる」
「はぁ!? 相場は12だろ!?」
「嫌なら他を当たりな」
足元を見られている。
だが、正規の換金所はもう閉まっている時間だ。
ヴァルが悔しげに唇を噛んだ、その時。
「あら。私の知ってる相場とは、随分違うみたいだけど?」
艶やかな声が、路地に響いた。
ビクリとブローカーの肩が跳ねる。
「げっ……セ、セイラの姐さん!?」
路地の暗がりから現れたのは、派手な旅装に身を包んだ女性だった。
波打つような真紅の髪。宝石のような瞳。そして頭部から生えた、ねじれた二本の角。
魔族だ。
「この辺りの『ショバ代』、払ってないのは誰だったかしら? 私の庭でセコい真似してると……」
セイラと呼ばれた女性が、長い爪を弄りながら流し目を送る。
ブローカーは「ひぃッ! すみません!」と叫び、正規の金額――いや、それ以上の金をヴァルに押し付けて逃走した。
「あ……」
「はい、これで解決。よかったわね、お兄さん」
セイラはヴァルに向き直ると、甘く微笑んだ。
まるで昔からの知り合いのような、親しげな態度。
だが。
『警告:高エネルギー反応。種別:魔族。……極めて危険です』
レティナのアラートが、視界を赤く染める。
ヴァルの本能も警鐘を鳴らしていた。この女は、アビアとは違う種類の「ヤバさ」を持っている。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「いいのよ。困った時はお互い様ってよく言うでしょ」
セイラは一歩近づき、ヴァルを頭からつま先まで値踏みするように見た。
そして、「なんだ、本当にマギレスじゃない」と小さく鼻を鳴らした。
その瞳には、隠しきれない侮蔑の色があった。
だが、次の瞬間。
彼女の視線が、ヴァルの「左目」に吸い寄せられるように固定された。
「……ふうん? でも、いい『眼』してるじゃない」
ゾクリと、心臓を冷たい手で撫でられたような感覚。
彼女は気づいているのか?
「私はセイラ。しがない情報屋よ。……よろしくね、ヴァル君」
彼女はヴァルの名前を知っていた。名乗ってもいないのに。
「な、何で俺の名前を……」
「ふふ、その眼は高くつくわよ? 気をつけなさい」
セイラの妖艶な笑みが、薄暗い路地裏で怪しく輝いた。
アビアという光。セイラという闇。
二つの強烈な出会いが、ただの運搬屋だった彼の運命を、大きく狂わせようとしていた。




