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第67話:獣人(ゾーアン)の感覚と、見透かされた強がり。……仲間を逃がすための優しい嘘は、兎の耳と狼の鼻に一瞬でバレました

 アトランティア郊外。

 冷たい雨が、泥濘む道を容赦なく叩きつけていた。

 三人はスラムの裏口で停めていたタートルの薄暗い車内へと身を滑り込ませた。

 荷台から覗く外には、アトランティアを濡らす雨と、旧文明の残骸が後方へと流れ去っていく。

 ヴァルは不動の双脚タイタニック・レッグスを引き摺り、壁にもたれ掛かるように腰を下ろした。


 背中の新型パンドラに、掻き集めた僅かばかりの魔鉱石(グリット)を装填する。

 冷え切っていた創世の腕(ジェネシス・アーム)の装甲の隙間に、微弱な青白いプラズマの光が走った。


『……バイパスへの魔力供給、微量ですが確認しました。これでフル稼働限界時間は、5分と数十秒だけ延びましたね』


 左肩のスピーカーから、レティナの安堵したような声が響く。

 だが、ヴァルの表情は暗く沈んでいた。


「……ララ、ルーナ」


 ヴァルは顔を上げ、濡れた髪を拭う二人の少女を見つめた。


「二人は、ここからアビアさんたちの様子を見に行ってくれないか? ……俺とは、ここで別行動にしよう」


 タートルの走行する振動が響く車内の空気が、ピンと張り詰める。

 ヴァルは唯一動かせる生身の右手を伸ばし、二人を突き放すようなジェスチャーをした。

 だが、その指先は微かに震え、色を失った唇からは冷や汗が滲んでいた。

 どれほど冷たい言葉を並べても、死地へ向かう恐怖と、二人を失いたくないという本音が透けて見えてしまう。


 そして、その微細な肉体的反応を、彼女たちの「種」としての鋭敏な感覚が逃すはずもなかった。

 ピクッ、と。

 雨音に混じり、ララの頭頂部に生えた兎種(ルプス)特有の長い耳が、鋭く空気を切った。


「……嘘つき」


 先端の艶やかな毛並みが微かに震え、微細な血管が透ける薄い耳介が、ヴァルの言葉の裏に隠された「本心」の鼓動を拾い上げる。

 精緻な集音器である彼女の耳には、強がる言葉よりも雄弁な、ヴァルの乱れた心音と早まる血流の音がはっきりと聞こえていた。


「そんなに動揺して……。一人で死ぬつもりなの?」


 ララは静かに立ち上がった。

 雨に濡れたショートパンツから伸びる、ウサギ特有の強靭な脚。

 太ももからふくらはぎにかけての筋肉が、まるで圧縮されたバネのようにしなやかに躍動している。


「私の自慢の足は、逃げるためじゃない。信頼する人を支え、共に跳ねるためにあるのよ。……ヴァルのその重たい鉄の足ごと、私が支えるつもりなの」


 兎種の俊敏さと圧倒的な脚力。それは決して逃走のためだけの進化ではないと、彼女の強い瞳が語っていた。


「私も、絶対に嫌!」


 続いて、ルーナが鋭い犬歯を覗かせて吼えた。

 黒い鼻腔をヒクつかせた彼女の嗅覚は、ヴァルから漂う微かな「恐怖の冷や汗」の匂いを正確に嗅ぎ取っている。

 普段の愛らしい姿からは想像もつかないほどの、濃密な獣の気配。

 彼女の腰から伸びるふさふさとした狼の尾が、怒りと興奮でボワッと逆立っている。


 ギチチ、と。


 ルーナの華奢な手の指先から、鋭い獣の爪が伸びる。

 縦に細く収縮した瞳孔は、完全な「野性解放」の証だった。


『……生体スキャン。お二人の獣人因子の活性化――心拍とアドレナリンの急上昇を確認』


 レティナの冷静な解析ログが視界に流れる中、ルーナがヴァルの黒鉄の左腕――創世の腕(ジェネシス・アーム)を力強く掴んだ。


「私は、(カニス)種だよ? 群れのリーダーが震えてるのに、見捨てて逃げる狼なんて、どこにもいないんだから!」


 ミシッ。


 見た目とは裏腹な、人間ヒューメアの規格を遥かに超えた強靭な力が、絶望的な質量を持つ鉄塊の左腕をわずかに持ち上げる。

 獣としての本能と、純粋な愛情。彼女たちは「真の人類」であるヴァルの重さを、その魂ごと受け入れようとしていた。


『……ふふっ。ヴァル、貴方の負けですね』


 レティナの優しい笑い声が、左肩のスピーカーから響いた。


『彼女たちの本能の前では、どんな強がりも無意味です。私も、最後まで貴方と共に行きます。……たとえ使徒を裏切ることになっても、地獄の底までお供しますよ』


 ヴァルは、大きく目を見開いた。

 冷たい鉄に侵食され、人間らしさを失っていく己の脆い身体。

 だが、血の繋がらない異種族の仲間たちと、心を持ったAIの存在が、彼を「人間」として力強く繋ぎ止めてくれている。


「!?……ああ、そうだな。……俺が間違っていた」


 ヴァルは自らの甘さを捨て去り、深く息を吐き出した。

 彼女たちの覚悟に応えるため、彼は隠していた「絶望的な真実」を口にする。


「レティナのマップに映った、聖都の地下深層。あそこに集められていた魔鉱石の量は、一国の国家予算レベルだった。……純度100パーセントの『黒色魔鉱石(ブラック・グリット)』だ」


「黒色……!?」


「ああ。それを独占し、世界を裏で操っている『管理者』……俺たちがこれから戦う相手は、あの温厚だった使徒、セバスチャン・アエテルナだ」


 共に地獄へ落ちる。その覚悟が、ようやく腹の底に据わる。

 ヴァルは左胸のポケットを探り、防寒着の奥底に忍ばせていた一通の手紙を強く握りしめた。

 かつての仲間、アビアから託された大切な手紙だ。


「ユグド・セコイアに乗り込む前に、一度アビアさんたちのところへ行こう」

「力になってくれるよう、お願いするの?」


 首を傾げるルーナに、ヴァルは静かに、けれど痛切な決意を込めて首を横に振った。


「逆だ。……これから俺たちは、最強の使徒と、エルフの国そのものを敵に回す。だから、アビアさんたちには『俺たちと縁を切るように』伝えに行くんだ。……彼らの平和な日常を、これ以上巻き込むわけにはいかない」


 ヴァルの悲壮な決意に、ララとルーナは顔を見合わせた。

 そして、どこか呆れたように、ふふっと笑い声を漏らす。


「馬鹿ね。あの人が、そんな言葉で大人しく見捨てるわけないじゃない」

「そうだよ! 絶対に怒って、一緒に戦うって言うに決まってる!」


 張り詰めていた空気が解け、ララの耳が嬉しそうにパタパタと揺れ、ルーナの尾がご機嫌に左右に振られる。

 タートルも走りながら、主人を想っていたのか。さらに加速を始めた。

 行き先は南。

 冷たい雨の降るアトランティアを背に、一行は偽りの秩序が支配する聖都へと向かう。

 歩くたびに床を軋ませる絶望的な質量の『鉄』と、残された微かな『温もり』。

 ヴァルは仲間たちが見せる「種」の輝きを胸に抱き、セバスチャンの待つ深淵へと、真っ直ぐに。


お待たせしました!近況報告は活動報告にてお伝えします!

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