第65話:鋼の重り(デッドウェイト)と、乙女たちの意地。……最強兵器の代償が、彼女たちを突き動かす
魔法至上主義の頂点。マギレスを最も見下すエルフたちの聖都であり、強大な力が渦巻く敵の総本山。
――ユグド・セコイア。
(エネルギー稼働時間、たったの五分。……上等だ)
ヴァルは残された生身の右手を強く握りしめ、左眼に表示される時間を見据えていた。
(きっと、ユグド・セコイアの本当の深淵を覗くことになるはずだ……)
この世界で魔鉱石は、富であり、力だ。それをそう易々と譲るはずがないとヴァルは考えていた。
ましてや、モニターに映る魔鉱石の量は異常な数値を示していた。ユグド・セコイアには、まだ自分の知らない「何か」が必ずあると確信出来た。
『ヴァル、聞いてください。このラボラトリー・ワンの残存電力を、すべて貴方のプラズマエンジンに回します』
決意を固めたヴァルの脳内に、レティナの真剣な声が響く。
それはかつての無機質なAIの音声ではない。相棒を、そして一人の男性を心底案じる女性の響きを帯びていた。
『でも、それだけじゃ足りないんです。充電効率を最大化するために、貴方の機械化部位への電源供給を一時的に完全遮断します。……つまり、右腕以外は一切動かせなくなる』
「わかった。大丈夫だ」
ヴァルが短く応じた直後、視界の端でいくつもの警告ウィンドウが赤く明滅し、一斉にブラックアウトした。
プシュゥゥゥ……という排気音と共に、左腕の創世の腕と、両脚の不動の双脚から発せられていた青白いプラズマの光がフッと消え失せる。
途端に、鉛のような圧倒的な「質量」がヴァルの身体を襲った。
「くっ……」
指先一つ動かせない。完全なる不随状態。
強靭な筋肉の代わりに埋め込まれた高密度の人工骨格と装甲材が、ただの「重り」となって床に沈み込む。
自分の身体の半分以上が「ただの冷たい鉄塊」に成り果てたという事実が、物理的な重圧となって彼を縛り付けた。
「……ヴァル?」
微かな異音に気付き、浅い眠りから覚めたララが身を起こした。
彼女は、光を失い、冷たく沈黙したヴァルの両腕と両脚を見て、痛ましそうに顔を歪める。
「大丈夫。充電のために、電源を落としただけだよ」
唯一動く右手を伸ばし、彼女の頭を撫でようとしたが、身体のバランスが極端に崩れて上手く動かせない。
ルーナも目を擦りながら起き上がり、無防備すぎるヴァルの姿に息を呑んだ。
『ララ、ルーナ。二人にお願いがあります。……先ほど、お二人がこの部屋の隅で見つけたと言っていた、あの黒い金属製のバックパックです。それをヴァルに接続してください』
左肩のスピーカーから響くレティナの声に、二人は顔を見合わせた。
「あれね。わかったわ。ルーナ、手伝って!」
「う、うん!」
二人は急いで部屋の隅の瓦礫を退け、埃に塗れた武骨なバックパックを引きずり出してきた。
太いケーブルが何本も這い回り、中央には魔鉱石を装填するための円筒形のシリンダーが備わっている。
ララの手際の良い作業により、それは身動きの取れないヴァルの背中にある端子へと直接接続された。
『接続確認。Module ID:06、07へのバイパスライン開通。……これで、一時的なエネルギーの貯蔵庫ができました』
「これで、ヴァルは動けるようになるの?」
祈るように問うルーナに、レティナは重々しく告げた。
『……フル稼働で動ける時間は、約300秒。たったの五分間だけです』
「ご、五分……!?」
『……ええ。それも戦闘を行わなければ、の話です。今のヴァルの兵装は、それだけ絶望的に燃費が悪い……』
重苦しい沈黙が落ちる。
『でも、解決策はあります。ユグド・セコイアに集中している膨大な魔鉱石……それを奪取できれば、この稼働時間の制限はなくなります。だから、何としてもそこへ辿り着き、手に入れなければ……』
レティナの言葉に、ヴァルは自嘲気味に二人に笑いかけた。
「……当面は、俺はただの重たい荷物ってわけだな」
『……ごめんなさい。今の私には、ヴァルの運搬をお二人に任せることしかできません』
レティナの申し訳なさそうな声。
だが、ララは力強く首を振った。
「荷物なんて言わないで。背中は、私が守るって言ったでしょ」
ルーナも、小さな両手で胸の前で力強く拳を作る。
「そうだよ! ヴァルにはいっぱい助けてもらったもん。今度は、私たちがヴァルを連れていく番!」
――ビィィィン……。
二人の頼もしい言葉を遮るように、突如として低い電子音が施設全体に響いた。
壁面の非常灯が次々と明滅し、不気味な赤紫色の光が通路を染め上げる。
『……まずいです。ラボの残存電力をヴァルの充電に強制バイパスしたことで、施設の中枢システムが完全沈黙へ移行し始めました』
「どういうことだ、レティナ」
『あと180秒で、すべての防犯隔壁がロックされます。電力が完全に落ちれば、手動での開閉は二度と不可能に。……急いでください!閉じ込められたら、完全に生き埋めです!』
レティナの切羽詰まった警告に、ララとルーナの顔色が変わる。
「ルーナ、右をお願い!私が左を支えるわ!」
二人が、全く動かないヴァルの両脇に肩を入れ、強引に立ち上がらせた。
ズンッ、と凄まじい鉄の重量が、二人の華奢な肩にのしかかる。
「くっ……重、い……!」
「がんばって、ルーナ……! 走るわよ!」
軋む骨。華奢な肩に食い込む黒鉄の装甲。ララの足が泥にもつれ、膝から血が滲んでも、彼女は決してヴァルの腕を離さなかった。
「ぐっ……」
エネルギーを極限まで温存するため、ヴァルの意識は深い泥の底へと沈みかけていた。
視界がぼやけ、感覚が遠のいていく。
背後からは、ズズズ……と重厚な鋼鉄の隔壁が降りてくる絶望的な音が迫っていた。
「あと少し……! お願い、間に合って……!」
ララの悲痛な叫びと共に、三人は閉まりかけの最終隔壁の隙間へ滑り込む。
ガァンッ!!
間一髪。背後で完全にロックされた分厚い扉の音が、地下空間に虚しく反響した。
彼女たちの肩を借りたまま、ヴァルは雨が打ち付ける外の世界の冷気を頬に受けた。
「はぁっ……はぁっ……」
泥だらけになりながらも、決してヴァルを手放さなかった二人の温もり。
冷たい雨の中、耳元で響く荒い息遣いが、彼を現実に繋ぎ止めていた。
「絶対に……絶対に、連れていくから……!」
ララが震える声で囁いた。
指先一つ動かせない無力感と、それ以上の、かつてないほどの仲間への愛着がヴァルの胸を締め付ける。
容赦なく降り注ぐアトランティアの雨の中、唯一動く生身の右手を微かに震わせ、ヴァルは遥か彼方 ――雲の向こうにそびえ立つユグド・セコイアの方角を、鋭く見据えた。
◇
同じ頃、アトランティアの喧騒から遠く離れたユグド・セコイア・聖都アイオーン。
天を穿つ巨大な世界樹の根元、そのさらに奥深くに隠された広大な地下空間。
そこは、魔法至上主義の美しい街並みとは無縁の、無機質で冷たい機械の領域だった。
太いパイプラインが血管のように壁面を這い、隣国から吸い上げられた莫大なエネルギーが絶え間なく脈打っている。
空調の低い稼働音だけが響くその空間の中央。
幾重もの防壁と、旧文明のセキュリティに守られた最深部で、不気味な黒い光を放つ巨大な結晶体の群れがあった。
それは、市場には決して出回ることのない、純度100パーセントの『黒色魔鉱石』である。
その圧倒的で冒涜的なエネルギー源を前に、不釣り合いな執事服の男が一人、静かに佇んでいた。
セバスチャン・アエテルナ。
ヴァルたちと共に戦い、見送った男。
彼は、白髪を撫でつけながら、見慣れた穏やかな笑みではなく、見たこともないほど冷徹で、感情の抜け落ちた顔で眼前の光景を見上げていた。
「魔法という幻想……衰退しゆくこの世界を繋ぎ止めるための、かりそめの秩序……ですね」
独白する声は、薄暗い地下空間に虚しく反響する。
エルフたちの誇りも、マギレスへの迫害も。すべてはこの莫大なエネルギーによって維持されている『箱庭』の機能に過ぎない。
「……頃合い、ですか」
老いた管理者は小さくため息をつき、懐中時計を取り出した。
カチ、カチ、カチ。
正確に時を刻む無機質な秒針の音が、広大な地下空間に響き渡る。
ヴァルたちの決死の足掻きすらも、その時計の針の動きに組み込まれているかのように。
世界の歯車が、最悪の形で回り始めようとしていた。




