第64話:稼働限界(タイムリミット)5分と、最悪の燃費。……圧倒的な暴力の代償は餓死でした。生き残るため、エルフの聖都へ向かいます
冷たい沈黙を破ったのは、ヴァル自身のひび割れた声だった。
「泣かないでくれ、二人とも」
血と硝煙、そして鼻をつく排タービンのオイルの匂い。
ヴァルは身を起こし、自分にすがりつく二人の肩へそっと手を置いた。
「生きて、また2人の声が聞けたんだ。……俺には、それだけで十分だよ」
その言葉に、ララは弾かれたように顔を上げた。
血に塗れた頬を涙が伝い、彼女の震える手がヴァルの冷たい装甲をぎゅっと握りしめる。
ルーナもまた、真っ赤に腫らした目でヴァルを見つめ返し、言葉にならない嗚咽を漏らした。
どれほどの痛みを伴う改造だったのか、彼女たちはその凄惨な手術の過程を目の当たりにしていたのだ。
『ヴァル……っ。ごめんなさい……私の、せいで……!』
左眼の奥から、震える声が響く。
かつての機械的な報告ログではない。
そこにあるのは、愛する者をさらなる異形に変えてしまった少女の、痛切な自責の念だった。
「レティナ。お前が謝る必要はない」
ヴァルは左眼の義眼にそっと触れ、優しく微笑みかける。
「お前が最善を尽くしてくれたから、俺はここにいる。ありがとう」
『……っ、ヴァル……!』
脳内に響く泣き声を温かく受け止めながら、ヴァルは手術台から床へと足を下ろす。
ララとルーナは、その様子を静かに見つめていた。
かつてはただのAIだった存在が、今や一人の少女として涙を流し、ヴァルがそれを人として慰めている。
その歪で、けれど確かに温かい絆の形に、二人の瞳からわずかに悲壮感が薄れていく。
――だが、現実は冷酷だった。
ガァンッ!!
鼓膜を揺らす重低音と共に、旧文明の強固な合金製フロアが蜘蛛の巣状にひび割れた。
膝下から換装された黒鉄の双脚。
青白いプラズマの排熱を散らすそれは、ただ「立つ」という動作だけで、圧倒的な質量と破壊力を物語っていた。
『……Module ID:06、不動の双脚。プラズマエンジン、正常にリンクしています。あらゆる物理的ノックバックを無効化します』
涙声のまま、レティナが自身の誇る「作品」のステータスを告げる。
「これが、俺の新しい足……」
歩みを一つ進めるたびに、ズン、ズンと床が悲鳴を上げて軋む。
足の裏から伝わるはずの床の冷たさも、踏みしめる感覚もない。
あるのはただ、演算処理された「接地データ」という無機質な数値だけ。
強大な力と引き換えに、もう二度と「人間」の軽やかな足音を取り戻すことはできないという絶望が、ヴァルの胸を微かに締め付けた。
『ですがマスター、問題があります。現在の兵装出力が高すぎます。このままでは魔鉱石の消費量が跳ね上がり、活動限界が極端に短くなります』
「燃費が最悪になった、というわけか」
『はい。まずはこの第3セクション内でエネルギー補給を行ってください。第1セクションにはまだあの二人がいます。今はやり過ごすのが得策です』
ヴァルは、疲労困憊で座り込んでいるララとルーナを見た。
無理もない。彼女たちは限界を超えて戦い抜いたのだ。
「わかった。しばらくここで休もう」
薄暗い蛍光灯が明滅し、オゾンと鉄錆の匂いが漂う廃墟のラボ。
冷たい空間の中で、彼らだけが身を寄せ合い、静かな呼吸を繰り返していた。
◇
同時刻、第1セクション・中央制御室。
明滅する旧文明のホログラムモニターが、血の気の引いた男の顔を青白く照らし出していた。
「魔法とは……ただの、まやかし……」
レヴォス・アトラスは、錆びついたコンソールに爪を立て、震える膝を必死に支えていた。
荒い呼吸が止まらない。
瞳孔は極限まで見開き、視線は空中の虚無を彷徨っている。
「我々が……選ばれた新人類では、なかった……? ただの、マギレスの実験体だと……?」
彼が信じ、積み上げてきたアイデンティティの完全なる崩壊。
魔力欠如者を泥水のように見下してきた根拠が、根底から覆されたのだ。
狂気すら孕んだその絶望の背後で、アポロギアは冷たい目を細めていた。
(こいつには、まだ頑張ってもらわないと困る。このかりそめの箱庭を壊すのは、哀れなこの男がいい)
アポロギアはゆっくりと歩み寄り、崩れ落ちそうなレヴォスの肩に手を置いた。
いつもの人を食ったような道化の口調ではない。
「魔法体系というものは、セバスチャンが考えた『ただのインターフェース』に過ぎない」
低く、真摯に響く声。
それはかつて「使徒」であった者としての、絶対的な知識の開示だった。
「あの体系の中に、この世界の物理法則の全てが補完されているわけじゃない。魔法なんてものは、ただの道具だ」
「……道具」
「そう。魔法の組み合わせで物理法則を操作すればいい。お前の真の目的は、いかにして『魔力を後世に残すか』だろう?」
レヴォスの呼吸が、ピタリと止まる。
「その技術は、この国にはない。レオ・プライマにある」
アポロギアの唇が、三日月のように吊り上がった。
「レオ・プライマで、お前は知ることになるだろうさ。次元思考体という、真理をね」
「……レオ・プライマ」
レヴォスが顔を上げる。
アイデンティティを喪失し、虚ろだったその瞳の奥で、泥のような暗い炎がチリリと音を立てて燃え上がった。
血の滲んだ爪がコンソールをガリッと引っ掻き、彼は歪な笑みを浮かべて立ち上がる。
「そうだ……真理さえあれば、私は、マギレス共とは違うと……証明できる……ッ」
破滅へ向かう狂気。アポロギアは満足げに喉を鳴らし、二人の影は崩壊の近づく廃墟の闇へと溶けていった。
◇
『……計算が、合いません』
第3セクション。
防寒シートにくるまり、魔力枯渇の苦痛に耐えながら、泥のように眠るララとルーナ。
その傍らで周囲を警戒していたヴァルに、レティナが焦燥を滲ませた声を上げた。
「どうした、レティナ」
『マスターの現在の兵装……Module ID:00、01、04、06、07。右耳の補助演算機(ID:04)を含め、これらを同時稼働させた際の燃費効率が、絶望的です』
視界の端に、膨大なエラーログと消費予測グラフが展開される。
赤い警告の文字が、滝のように流れては消えていく。
『左腕、両脚、そして補助兵装。常に高純度の魔鉱石を摂取し続けなければ、生命維持すら危うくなります。通常の調達方法では、到底現実的ではありません』
「……なるほどな。圧倒的な力を持て余して餓死、というのは避けたい」
『ラボラトリー・ワンのメインシステムに不正アクセスし、地上の環境データをモニタリングします。……高濃度の魔鉱石反応を検索』
薄暗い空間に、淡い緑色のホログラムマップが投影された。
旧文明の無数のデータ通信が視界を駆け巡り、やがて一点の座標を強烈な光で指し示す。
『見つけました。このポイントに、異常なまでの魔鉱石が集中しています』
ヴァルは、投影されたその名前を見つめた。
そこは、この世界の生命線とも呼べる、巨大で神聖な場所。
「……ユグド・セコイア、か」
そこは、魔法至上主義の頂点。マギレスを最も見下すエルフたちの聖都であり、強大な軍事(魔法)力と権力が渦巻く敵の総本山だ。
――だが、そこにはアビアやセバスチャンといった、かつての頼もしい仲間たちもいるはずだ。
失われた温もりの代わりに得た、絶望をも蹴り砕く黒鉄の脚。
そして、ヴァルに縋るように寄り添って眠る二人の仲間。
「(エネルギー稼働時間、たったの5分。……上等だ)」
ヴァルは残された右手を強く握りしめた。
人類の行く末を左右する、最大最悪の敵地への「侵略」が決まった瞬間だった。
お待たせしました!




