第63話:プラズマの産声と、崩れゆく魔法文明(マギアン)。……鋼に侵食され、「物理法則」の両脚が産声を上げた
研究所の入り口を塞ぐ、白亜の分厚いハッチの前。
レヴォスとアポロギアが、隔壁を前にして立っていた。
レヴォスの手には、首根っこを乱暴に掴まれたスラムの子供がぶら下がっている。
「ひぐっ……うわぁぁぁん……っ! やだぁ、離してぇっ!」
瓦礫の山から引きずり出され、恐怖に顔を歪め足をバタバタとさせて泣き叫んでいた。
「……旧文明の遺物は、純粋なマギレスの生体認証にのみ反応する。我々、マギアンの魔力波形では、どうやっても弾かれる」
レヴォスは冷酷な瞳でハッチを見据え、その子供の細い腕を、緑色に光る認証パネルへと無理やり押し当てた。
「マギレスの血を捧げれば、扉は開く」
絶望の泣き声が、冷たい廃墟の通路に、無情にも響き渡った。
認証パネルから鋭い採血針が突き出し、子供の指先を容赦なく貫く。
「ぎゃあぁぁぁぁぁッ!!」
血の滴る音が、静まり返った廃墟に落ちた。
直後、パネルの赤い光が、滑らかな緑色へと反転する。
『生体波形、確認。……管理者権限を一時承認。ハッチ解放』
プシュゥゥゥ……ッ。
重厚な排気音と共に、旧文明の分厚い隔壁がゆっくりとスライドしていく。
それは、レヴォスにとって耐え難い屈辱の瞬間だった。
魔法を重んじ至高であると考える自分が。
いくら巨大な魔力を叩き込んでもビクともしなかった扉が。
自分が最も蔑んでいた「無価値な血」によって、いとも容易く開け放たれたのだ。
「……ッ」
レヴォスはギリッと奥歯を噛み締め、子供を乱暴に泥の中へ放り投げた。
「ひっ、うぅっ……」
「お前はここで用済みだ。……失せろ」
冷徹な一瞥を投げかけ、レヴォスが開かれたハッチの中へと足を踏み入れようとした、その時。
「えェ〜? いい声で鳴いてたのにィ……。勿体ないなぁ、レヴォス」
アポロギアが下卑た笑いを浮かべ、這いずって逃げようとする子供の頭を、道化の靴で踏み潰そうと足を振り上げた。
だが――。
ガンッ!
「……あァ?」
アポロギアの足は、子供の頭に届く寸前で、不可視の風の障壁に弾かれた。
レヴォスが、冷ややかな瞳で杖を向けていたのだ。
「必要ないと言ったはずだ。目的は果たした」
「なんだァ? マギレス一匹に情でも湧いたかァ?」
「くだらん。無目的な殺生は、ただの野蛮な獣のやることだと言っているんだ。……私の道を、下品な血で汚すな」
永遠の秩序を望むエルフの異端児と、混沌の狂気を愛する魔族の始祖。
一触即発の殺気が交差する。
「……チッ。へィへィ、エリート様には敵わねェ」
アポロギアが不満げに肩をすくめ、ハッチの奥へと歩き出す。
◇
旧文明の研究所遺構『ラボラトリー・ワン』。
そこは、縦に三層構造を持つ巨大な地下施設だ。
レヴォスの目的地は、第一層である『第一セクション』。
埃にまみれたガラス張りの部屋の奥には、無数のモニターと、施設全体を統括するメインフレームが眠る制御室があった。
「さて……。目的の物はここにあるのかァ?」
アポロギアが、部屋の隅にある機材を蹴り飛ばしながら気だるそうに問う。
「ああ。ここで知りたいのは、マギレスが如何にして生まれてくるか。そして、魔力とはどう残すことができるのか、だ」
レヴォスは懐から、アイザックから奪ったタブレット端末を取り出した。
ユグド・セコイアの最深部に眠る古い文献によれば、マギレスとは「遺伝の劣化」から生じるエラーだとされている。
だが、本当にそうなのか。
この世界の秩序を魔法により完全なものにするためには、魔力の根源を別の視点で解明する必要があった。
「……アイザックの端末に、ご丁寧に操作手順が書かれていて助かるな。あの男の用意周到さには舌を巻くよ」
レヴォスは冷たい光を放つモニターとタブレットを交互に見比べながら、旧文明のコンソールに長い指を滑らせていく。
「おいおい、レヴォスゥ」
アポロギアが、別のモニターを覗き込んでニタニタと笑った。
「この第三セクションのマップに、赤い点が三つあるぜェ?これ、あのネズミどもだろ。……殺しに行ってもいいかァ?」
その言葉に、レヴォスは画面から目を離すことなく答える。
「放っておけ、アポロギア。我々の目的は、有象無象を殺すことじゃない」
「へィへィ。分かりましたよォ」
アポロギアは肩をすくめ、退屈そうに爪を噛んだ。
◇
同じ頃。
研究所の最下層、第三セクション。
無影灯の青白い光の下で、凄惨な手術が佳境を迎えていた。
錆びついた金属の手術台に横たわるヴァルの両足は、すでに膝上から無残に切断されている。
溢れ出す血液を、ララとルーナが止血帯で必死に抑え込んでいた。
『バイタル低下……っ。お願い、止まって!!』
人工血液による輸血もされているが、流した血の量が多いのだ。
その事実をスピーカーから伝えるレティナの声は、もはや冷静なAIのそれではない。
祈るような、悲痛な叫びだった。
「抑えても溢れてくる……ッ! ルーナ、もっと強く押さえて!」
「う、うん……ッ! 血が、血が止まらないよぉ……っ!」
ルーナが泣きじゃくりながら、血まみれの手でヴァルの太腿を圧迫する。
天井から降りてきた無数の多関節アームが、火花を散らしながら、黒鉄の機械脚『Titanic Legs』をヴァルの切断面へと押し当てた。
ガァンッ!! ガァンッ!!
神経を強制的に接続するための太いボルトが、生身の骨と肉に打ち込まれていく。
旧文明の強力な麻酔が投与されているにもかかわらず、神経を直接焼かれる激痛が限界を超え、昏睡しているはずのヴァルの身体がビクンビクンと跳ねた。
『脳波、強制固定……っ。意識、さらに深く沈めます……! 痛くない、痛くないですから……ッ』
レティナの左眼が、琥珀色の光を激しく明滅させる。
それはまるで、涙を流しているかのようだった。
『私が……私に身体があれば……こんな冷たい鉄なんかじゃなく、私があなたを支えるのに……!』
機械であるがゆえに何もできない、AIの血を吐くような嘆き。
彼女は自分にできる唯一の「愛」を、強制的なシステムへの介入という形で実行する。
レティナの微弱な電流がヴァルの脳波を強制的に上書きし、彼はさらに深い昏睡の底へと落とされた。
ララは、自分の無力さに唇を噛み締めながら、ヴァルの冷たくなっていく右手を両手で包み込んだ。
(お願い……ヴァルを連れて行かないで。彼から、これ以上「人間」を奪わないで……)
鋼の侵食は、無慈悲に進行していく。
◇
第一セクションの制御室。
薄暗い部屋の中で、レヴォスの顔を、モニターの無機質な白い光が不気味に照らし出していた。
彼の瞳が見開かれ、その端が小刻みに痙攣している。
第三セクションの手術室で「鉄のボルトが打ち込まれる音」が響くのと同じリズムで、彼の内なるプライドが粉々に砕け散っていく。
「……な、なんだ、これは……」
沈黙していた研究所のメインフレームから引きずり出された「真実」。
それは、レヴォスが信じてきた世界を、根底から論理的に破壊するものだった。
画面に羅列された旧文明のアーカイブデータが、エルフの王者に残酷な事実を突きつける。
――『マギアン』は、単なる『実験体』に過ぎない。
――そして『マギレス』こそが、彼らを生み出した『科学者(創造主)』である。
「嘘だ……。こんなものが……真実であるはずがない……ッ!」
レヴォスは震える手で、タブレットの画面をスクロールする。
彼が得た知識は、主に五つの「科学的絶望」だった。
第一に、魔法とは決して自由で神秘的な力ではないこと。それはあらかじめ設定された物理法則の枠組みから逸脱できない、制限されたシステムに過ぎない。
第二に、魔法は純粋な「大自然の物理(質量)」には絶対に勝てないこと。魔法はあくまで魔子を利用した局所的な事象の書き換えに過ぎない。星そのものを破壊したり、自然界が引き起こす巨大な地震や噴火を模倣したりするほどの絶対的なエネルギーを生み出すことは不可能だった。彼が信奉していた魔法の力は、大自然の圧倒的な物理法則の前にあっては、限られた箱庭の中の力に過ぎなかった。
第三に、魔力の正体。それは神からの恩恵などではない。細胞内に寄生する極小の機械が、あらゆる物理現象の『重ね合わせ状態』を内包する『魔子』の活動の補助に過ぎないのだ。
第四に、詠唱の真実。それは『アルカナム・ファトゥム』という旧文明のキーワードによって、大気中の魔子が持つ無数の『重ね合わせ』から、任意の物理現象を一つに『収束(観測)』させるための単なる「コマンド(準備コード)」であった。
そして第五に。魔法とは、その極小の機械で行う働きによって局所的に環境を書き換える『即席物理法則』に過ぎないということ。
「あ、あぁ……」
レヴォスは、力なくその場に膝を突いた。
自分が「奴隷の子」という泥のような過去を否定し、唯一すがりついてきた高貴なる「魔法」。
その正体が、量子力学という冷酷な科学の応用によってプログラムされた、マギレスたちの「掌の上の泥遊び」でしかなかったという絶望。
ガシャンッ!!
レヴォスの手からタブレットが滑り落ち、硬い床にぶつかって嫌な音を立てた。
彼の信じてきたアイデンティティが、音を立てて崩れ去っていく。
「……どうしたんだァ、レヴォスゥ? そんなに面白いモンでも書いてあったのかァ?」
アポロギアが、その絶望を面白がるように覗き込んでくる。
だが、レヴォスはそれに答えることなく、ただ青ざめた顔で虚空を見つめていた。
◇
同時刻。第三セクション。
【Module ID:06 "Titanic Legs" ――結合、完了しました】
無機質なシステム音が、血の匂いが充満する手術室に響き渡った。
ララとルーナは、荒い息を吐きながら手術台の横にへたり込む。
ヴァルの両足があった場所には、光すら吸い込むような禍々しい黒鉄の巨大な機械脚が繋がれていた。
『プラズマ制御装置、起動。……出力、安定しています』
その直後だった。
ブォンッ……!
ヴァルの新たな黒鉄の脚から、不気味な低周波の駆動音が鳴り響く。
まだ彼自身は動いていない。
だが、黒鉄のふくらはぎに刻まれた排気スリットから、青白いプラズマの光が漏れ出し始めた。
「な、なにこれ……熱っ!?」
ルーナが身震いして悲鳴を上げる。
キュイイイインッ……、ブシュゥゥゥッ!
ふくらはぎに内蔵された大出力の超小型プラズマエンジンがアイドリングを開始し、周囲の空気をジリジリと灼き焦がしていく。
魔法ではない。純粋なジェネレーターの熱量と、圧倒的な推力を生み出す機械的な暴力の予兆。
「……ぅ、あ……」
微かなうめき声。
セーフティ・スリープが解除され、ヴァルの右眼が、薄氷を踏むようにゆっくりと開かれた。
「ヴァル……! ヴァルッ!」
ララが泣き顔のまま、ヴァルの胸にすがりつく。
「よかった、生きてる……! 本当によかった……っ!」
「俺……は……」
掠れた声で呟くヴァル。
彼の視界が徐々にクリアになっていく。
だが、目覚めた彼の瞳に映ったのは、自分が助かったことへの喜びではなかった。
血に塗れ、自分を抱きしめて泣き崩れるララ。
そして、顔を覆ってしゃくり上げるルーナ。
その涙の理由は、安堵だけではない。
大切な人が、また一つ「人間」であることを辞めてしまったことへの、深い悲しみと罪悪感。
(俺は、また……悲しませてしまった)
ふくらはぎから絶えず噴き出す、青白いプラズマの熱。
感覚の消え失せた、冷たい黒鉄の両足。
絶対的な「力」を手に入れるたびに、自分は人の温もりから遠ざかっていく。
無機質な青白い光の下で、鋼鉄の怪物へと成り果てていく己の運命に、ヴァルはただ静かに目を閉じた。




