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第56話:錆びゆく血脈、品種改良された家畜。……地下水路(スラム)で「英雄」を夢見た

 緩衝国家アトランティア。

 ユグド・セコイアから北に位置するこの国は、一年を通して止むことのない冷たい雨に閉ざされている。

 かつて旧文明の工場地帯だった場所に築かれた「鉄と蒸気」の都市。

 降り続く雨は、都市の鉄骨を錆びつかせ、石畳に苔を生む。

 その中心に聳え立つ首相官邸。

 本来ならばこの国で最も権威ある場所だが、その廊下を歩く二人の侵入者にとって、そこはあまりにも安っぽく、湿気た場所に過ぎなかった。

「……趣味が悪いねェ。金メッキの下からサビが浮いてるぜ?」

 道化師のような派手な衣装を纏った男――魔神の使徒アポロギアが、壁に飾られた肖像画を爪先で小突く。

 その隣を歩くのは、銀髪の美少年レヴォス・アトラス。

 彼は無言のまま、ただ廊下の奥にある「淀み」を見据えていた。

「止まれ! 何者だ貴様ら!!」

 角を曲がった先、重厚な扉の前で警備兵たちが槍を構えた。

 この国の精鋭とされる「国立魔導騎士団」の兵士たちだ。

 彼らは即座に腰の「魔力測定器マナ・スキャナー」を侵入者に向ける。

「……測定開始。……なっ!?」

「どうした、数値は!」

「え、エラーです! 魔力反応……ゼロ? いや、波形が乱れすぎて計測できません! 計器の故障か!?」

「馬鹿な、最新式だぞ! ……総員、警戒せよ! こいつら、何かがおかしい!」

 隊長が鋭く叫び、騎士たちが一糸乱れぬ動きで包囲網を敷く。

 彼らは無能ではない。未知の反応に対し、即座に殺傷許可レベルの魔力を練り上げるプロフェッショナルだ。

 だが、相手が悪すぎた。

「……騒がしい」

 レヴォスが、短く呟いた。

 彼が軽く杖を振るう。ただそれだけの動作。

 グシャァァァッ!!!!

 破裂音。

 警戒態勢に入ったはずの騎士たちが、一瞬にして「赤い染み」へと変わった。

 防御魔法を展開する暇すらない。

 不可視の空間圧力が、彼らの肉体を鎧ごとプレスし、床と壁に塗りたくったのだ。

「……ヒューメアの血は、ここまで劣化したか」

 レヴォスは表情一つ変えず、血の海を靴底で踏み越える。

 詠唱すらしていない。彼にとって、これは障害ですらない。道を塞ぐ小石を跨ぐ程度の認識だ。

「アハハ! 手厳しいねェ、レヴォス君。……これじゃあ家畜の方がまだマシだ」

 アポロギアはケタケタと笑いながら、血溜まりをスキップで越え、最奥の扉を蹴り開けた。

          ◇

「ひっ……!? な、何事だ貴様らは!!」

 執務室の豪奢な椅子で震え上がったのは、脂ぎった禿頭の男――アトランティア首相だった。

 彼は侵入者たちに対し、必死に虚勢を張る。

「わ、私を誰だと思っている! 私は高貴なるマギアンの血を引く、この国の支配者だぞ! 貴様らのような下賤な……」

「高貴? ……アハハハハハハハッ!!」

 アポロギアが腹を抱えて爆笑する。

 涙を拭いながら、彼は首相のデスクに飛び乗った。

「傑作だねェ! 娯楽がないからって子供を作りすぎて、血が薄まった連中のどこが高貴なんだよ? オイ、鏡を見てみな。お前のその腹、魔力じゃなくてただの脂肪だぜ?」

「き、貴様ッ……!」

「教えてやろうか? なぜお前たちの魔力が、世代を重ねるごとに弱くなっているのか」

 レヴォスが冷ややかな声で割って入る。  彼は部屋の壁に掛けられた世界地図――特に、大陸中央の「ユグド・セコイア」を指差した。

宗主国ユグド・セコイアが、お前たちへの魔鉱石グリットの供給を絞り、文明を停滞させたからだ」

「な、なに……?」

「高度な魔法文明も、娯楽もない。そんな閉塞した飼育小屋で、お前たち家畜がやることなど一つしかないだろう?」

 レヴォスの冷徹な視線を受け、隣のアポロギアが下卑た笑い声を上げて補足する。

「アハハ! 『繁殖』だよ、繁殖ゥ! やることがねぇから盛る。無秩序に混ざり合って、お前らの自慢だった『高貴な血』は泥水みたいに薄まったってわけさァ!」 「そ、そんな……まさか……」

「資源管理による文明の後退と、それに伴う遺伝子の劣化。……彼らは数百年以上かけて、お前たちを『牙のない農夫』へと品種改良してきたんだよ」

 レヴォスは淡々と、しかし残酷な真実を告げる。

「飼い主の顔も知らずに肥え太った豚、それがお前の正体だ」

「な……ッ!?」

 アポロギアが横で「よかったなァ、平和ボケできてよォ!」 と首相の腹を突っつく。

 首相の顔から血の気が引く。

 詳しい理屈はわからない。だが、レヴォスの瞳にある絶対的な冷徹さが、それが真実であることを告げていた。

 秩序という名の管理。その果てにある家畜化。

「た、助けてくれ……! 金ならある! 地位もやる! だから命だけは……!」

「命? ……そんなものに興味はない」

 レヴォスは首相を見下ろし、氷のような瞳で問いかけた。

「知りたいのは一つだけだ。『鍵』はどこにある?」

「か、鍵……?」

「とぼけるな。……この国の地下に眠る旧文明の遺産。その封印を解くための『マギレス』はどこにいる?」

 首相は狼狽えた。

 マギレス。魔力を持たぬ最底辺。

 そんな無価値なゴミが、なぜこれほどの怪物たちに求められるのか。

「し、知らん! そんな価値のない存在など、私が管理しているはずがないだろう! 地下水路のドブ浚いたちのことなど……!」

「……チッ。使えない男だ」

 レヴォスが深くため息をつく。

 その失望の色に、首相は死の予感を感じ取った。

 なんでもいい。情報を出さなければ殺される。

 首相の脳裏に、かつての政敵の記憶が蘇った。

「あ、あるいは……ヴェリテクス家なら知っているかもしれん!」

「ほう?」

「前首相の家系だ! だが、息子がマギレスとして産まれたことで失脚し、没落した……! あの呪われた一族なら、何か隠していたかもしれん!!」

 ヴェリテクス。

 その名が出た瞬間、レヴォスの眉がピクリと動いた。

「……なるほど。そういうことか」

 レヴォスは満足げに頷き、踵を返した。

 用は済んだと言わんばかりに。

「ま、待て! 助けてくれるんだろう!? 私は協力を……」

「――『A.F.Code:10...VOID-S【空洞の虚無ニヒル・カヴァス 】』」

 無慈悲な詠唱。

 次の瞬間、首相の周りの空間エネルギーが一変し、絶対的な虚無の空洞を生成する。

 触れた物質は分子レベルで消滅する魔法だ。

 声を上げる暇もなく、その姿は霧散した。

「さあ、行こう。『鍵』を回収しに」

          ◇

「……臭いますね」

 同時刻。アトランティアの国境ゲートを通過したヴァルは、鼻を覆って呻いた。

 懐かしい匂いだ。

 重油の焼ける匂い、錆びた鉄の臭気、そしてどこからともなく漂うカビ臭さ。

 ノアズ・アークのような洗練された魔力の香りはない。ここは、廃棄物と欲望が煮詰められた街だ。

「……あれは上澄みだけですよ。よく見てください、その下を」

 ヴァルが指差したのは、煌びやかなビルの足元。

 そこには、ドブ川のような黒い水路が張り巡らされ、ボロボロの服を着た人々が雨に打たれながら背を丸めて歩いている。

 地上は魔力持ち(マギアン)のための楽園。

 そして地下や水路は、マギレスや低魔力の貧困層が押し込められる「ゴミ捨て場」だ。

 その時だった。

『――警告。警告。警告』

 ヴァルの脳内で、レティナがかつてないほどの激しいアラート音を鳴らした。

 右目の視界が真っ赤に染まる。

「うわっ!? ……どうした、レティナ!」

 ヴァルは思わず叫んだ。レティナの反応は異常だった。

『緊急通達。市街中心部、およびその先の領域にて、規格外の高密度魔力反応を検知』

『パターン解析不能アンノウン。データベースに該当個体なし。……マスター、推定脅威度は「特級(S-Class)」です。接触は推奨されません』

「特級(S-Class)……!?」

 ヴァルの背筋が凍る。

 使徒クラスか、それ以上の何かが、今この街にいる。

 胸騒ぎがした。

 この街で何かが始まろうとしている。

「……急ぎましょう。あまり地上に長居したくありません」

 ヴァルは二人に合図をして、タートルの手綱を引き、人目を避けるように路地裏へと進路を変えた。

          ◇

 マンホールの蓋を開け、地下へと降りる。

 そこには、地上の喧騒とは無縁の、静かで陰鬱な世界が広がっていた。

「……暑い」

 ララが不快そうに耳を伏せる。

 地下水路の空気は、ネットリと肌にまとわりつくように生暖かい。

 壁には蒸気パイプが走り、そこから漏れる地熱が空間を満たしているのだ。

「仕方ないんですよ。ここに住んでる人たちは、魔力がないから火炎魔法イグニスが使えませんから。……地熱に頼らないと、凍えて死んでしまいます」

 ヴァルが淡々と説明する。

 水路の脇、壁をくり抜いただけの粗末な横穴には、多くの人々がうずくまっていた。

 彼らはヴァルの姿を見ても反応しない。その瞳には光がなく、ただ今日を生き延びるためだけに息をしている。

 彼らは「鉱夫」だ。さらに地下深くにある採掘場で、命を削って低品質な魔鉱石を掘り出し、それを地上のマギアンに売ってわずかな食料を得る。

 それが、この国のマギレスの生態系だった。

「…………」

 ララは、痩せこけた老人や子供たちの姿を見て、言葉を失った。

 そして、その視線を隣を歩くヴァルへと向ける。

 彼もまた、かつてはこの泥濘の中で、その日暮らしをしていたのだ。

 そう思うと、普段の彼の優しさや、時折見せる必死さが、ひどく重いものに感じられた。

 ルーナもまた、自慢の尻尾を力なく垂れ下げ、いたたまれないように視線を彷徨わせている。

(……何も変わっていない)

 ヴァルは二人の視線を感じながらも、何も言えなかった。

 ただ、胸の奥が焼けるように熱い。

 親に捨てられ、名前さえ奪われそうになりながら、泥水をすすって生きていた記憶が、匂いと共に蘇ってくる。

「ここです」

 辿り着いたのは、水路の行き止まりにある、小さな鉄扉だった。

 錆びつき、蔦が絡まったその扉。

 かつてヴァルが「家」と呼んでいた場所。

 ギィィィ……。

 嫌な音と共に開かれたその空間は、6畳ほどの狭い空洞だった。

 カビたベッドの残骸。崩れかけた棚。

 そして、部屋の中央には、不自然なほど綺麗な状態で残された「机」が一つ。

「……俺の、部屋です」

 ヴァルは呟く。埃っぽい空気が、懐かしくも苦しい。

「……これ」

 沈黙を破ったのはララだった。

 彼女は壁の一角を指差した。

 そこには、稚拙な線で描かれた『剣を持った棒人間』の落書きがあった。

 その横には、歪な文字で『えいゆうになる』と刻まれている。

「ヴァル……あなたが描いたの?」

「……ええ。子供の頃の、馬鹿な夢です」

 ヴァルは自嘲気味に笑い、視線を逸らそうとした。

 だが、ララはその落書きを、まるで宝石か何かのように優しく指でなぞった。

「馬鹿な夢なんかじゃないわ」

 ララの声は震えていた。

 この暗く、じめじめした場所で。

 明日の命も知れないこの空洞で、幼いヴァルがどんな思いでこの絵を描いたのか。

 その「希望」への渇望を思うと、涙が溢れそうになる。

「……ヴァル」

「はい、ララさん」

「お願いがあるの。……もう、私たちに敬語を使うのはやめて」

 ララは、ヴァルの目を真っ直ぐに見つめた。

 そこには、甘えなどない。あるのは、強い決意と敬意だった。

「私たちはもう、ただの仲間じゃない。……こんな地獄みたいな場所から這い上がってきたあなたの、背中を預かるパートナーになりたいの」

「だから、他人行儀な壁を作らないで。……私たちを信じて、対等に話してほしい」

「わ、私も!」

 ルーナも鼻をすする音を隠しながら、ヴァルの袖を掴んだ。

 ヴァルは、二人の真剣な眼差しに息を呑んだ。

 自分の過去を、恥ずべき出自を、彼女たちは受け入れ、その上で「対等でありたい」と言ってくれている。

 胸の奥の冷たい塊が、ゆっくりと溶けていく気がした。

「……わかったよ」

 ヴァルは短く息を吐き、静かに頷いた。

「ありがとう。ララ、ルーナ」

「……うん!」

 重苦しい故郷の空気が、少しだけ和らいだ気がした。

 ここにはもう、孤独な少年はいない。

 頼れる仲間がいる。

 その時だ。

 レティナの無機質な声が、その静寂を引き裂いた。

『検知しました。……座標、この地下の最奥。採掘場の方面です』

『反応パターン照合……Module ID:0 seriesゼロ・シリーズ。……本機と同系統の、オリジナル・プロトコルを確認』

「……ゼロ・シリーズ……」

 ヴァルの顔つきが変わる。

 レティナ以外のP.M.(プロト・マキナ)。

 『OracleオラクルSightサイト』と『Tacticalタクティカル Foundryファウンドリ"Pandoraパンドラ"』に続く、新たな兵装だ。

 錆びついた故郷の底に、世界の真実へと繋がる扉が、静かに口を開けていた。

読んでいただきありがとうございます!


そして、皆様にご報告です。

おかげさまで、累計PVが【10,000】を突破しました!!

ここまで読み進めてくださった皆様、本当にありがとうございます!

モチベーション爆上がりです……! これからも熱い展開をお届けできるよう頑張ります!


さて、今回の第56話。

前半はレヴォスの残酷な真実(品種改良された家畜)。

後半はヴァルの切ない過去(地下水路の落書き)。

「英雄になる」という幼い夢を、ララとルーナが受け止めてくれたシーン、書いていて胸が熱くなりました。

これで名実ともに、彼らは対等な仲間になれた気がします。


次回、いよいよレティナが感知した「ゼロ・シリーズ」の正体が明らかに。

そして、この国の地下に眠る更なる闇とは……?


引き続き、ヴァルたちの旅路を応援よろしくお願いいたします!


(※ネトコン14参加中です! 「1万PVおめでとう!」「ララたち優しい!」と思った方は、お祝いの応援ブクマいただけると嬉しいです!)

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