第51話:地下の果てに、その空(アーク)がある。……冒険者の終着点、探求者の通過点
【ラボ・ゼロ・最深部エレベーター】
セクター4の管理する制御室を抜け、一行は奥にある巨大な業務搬入用エレベーターに乗り込んだ。
行き先ボタンは一つだけ。『Surface(地表)』。
ガコン、ゴゴゴゴ……。
重厚な駆動音と共に、カゴが上昇を始める。
身体が床に押し付けられるような、強い重力感。
地下数千メートルからの、長い長い浮上だ。
「……長いね」
マギーがポツリと呟く。
それは単にエレベーターの上昇時間の話ではなかった。彼女が冒険者として歩んできた、百年近くの歳月、そして追い求め続けた夢への距離の長さだ。
どれくらいの時間が経っただろうか。
次第に、エレベーター内の空気が変わり始めた。
今まで鼻についていたカビや鉄錆、オゾンの焦げたような臭いが消えていく。
代わりに漂ってきたのは、どこか懐かしい、甘く湿った香り。
土と、草と、水と、風の匂い。
「おい、まさか本当に……」
アビアが剣を握る手を震わせる。
頭上の分厚いハッチの隙間から、光が漏れ出し始めていた。
人工的な蛍光灯の白ではない。もっと力強く、眩いばかりの光だ。
プシューーー……。
油圧の音が響き、天井のハッチが完全に開放された。
「着いたぞ……!」
◇
光が溢れる。
全員が眩しさに目を細め、手で顔を覆った。
やがて視力が順応し、ゆっくりと目を開いた瞬間――彼らは言葉を失った。
そこは、巨大な火山の噴火口跡の内側だった。
外の世界とは隔絶された、すり鉢状の盆地。
だが、そこにあるのは荒涼とした岩肌ではない。
頭上には、嘘みたいに澄み渡った「青い空」。
どこまでも高く、深く、吸い込まれそうなほどの蒼穹。
そこには、絵本で見るような白い雲が、悠々と流れていた。
眼下には、深く濃い「緑の森」。
ねじくれた魔力で育った植物ではない。
天に向かって真っ直ぐに伸びる巨木たち。風にそよぐ柔らかな草原。命を謳歌するように咲き乱れる極彩色の花々。
そして、中央には宝石のように輝く「湖」があった。
太陽の光を反射し、キラキラと煌めく水面は、まるで空を鏡に映したようだ。
風が吹いている。
頬を撫でるその風は、ダンジョンの淀んだ空気とは違う、優しく温かい、生命の息吹そのものだった。
「……魔法みたいだ」
アビアがその場に膝をついた。
カラン、と手から剣が滑り落ちる。
魔物などいない。魔力の欠片もない。血の匂いもない。
ただただ美しい、世界が壊れる前の「楽園」がそこにあった。
「俺たちは……未踏を、踏破したんだ……!」
カイルとティアが、言葉にならず抱き合って喜ぶ。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、互いの体温と、この景色の実在を確かめ合う。
「綺麗……こんな場所が、世界に残っていたなんて」
ララが呆然と湖を見つめる。
水面には、キラキラと太陽が揺らめいている。
それは、どんな宝石よりも尊く、どんな魔法よりも奇跡的な光景だった。
そして、マギー。
彼女は震える足取りで、エレベーターを降り、地面に生えている草花に触れた。
幻影ではない。冷たく、瑞々しい感触。指先に伝わる土の温もり。
「……本物だ。生きている」
彼女は懐から、一冊の古い本(文献)を取り出した。
手垢で汚れ、ページが黄ばんだその本には、かつて人々が笑った「御伽噺」が記されている。
『地下の果てに、その空がある』と。
マギーはその本を、青空に向かって高く掲げた。
「……本当にあったんだ。……やっぱり、あったよ」
しわくちゃの顔が、くしゃくしゃに歪む。
目から溢れ出した涙が、頬のシワを伝って地面に落ち、乾いた土に染み込んでいく。
「聞いたかい、セバスチャン……! あの筋肉バカめ! 私たちは間違ってなかった! ほら、本のまんまだ! 本物の自然だ!」
彼女は遠く離れた夫に呼びかけるように叫んだ。
誰にも信じてもらえなかった。妄想だと笑われ、老いぼれの道楽だと蔑まれた。
だが、彼女は証明したのだ。自分の人生で追い求めたもの、そして今も働く夫と共に歩んだ道が、決して無駄ではなかったことを。
彼女の冒険は、今この瞬間に報われ、そして終わったのだ。
メンバー全員が、最高の達成感と幸福に包まれていた。
◇
歓喜の輪から少し離れた場所。
ヴァルは一人、静かに湖を見下ろしていた。
(……綺麗だ。確かに、楽園だ)
風の音。鳥のさえずり。木々のざわめき。
争いも、魔物も、殺される恐怖もない世界。
誰もがここをゴールだと認めるだろう。
だが、ヴァルの心は冷えていた。
胸の奥に広がるのは、達成感ではなく、底知れぬ「空虚」だった。
『マスター。照合結果が出ました』
左肩のスピーカーから、レティナの冷静な声が響く。
彼女もまた、この景色に感動していない。
『ここはセクター4の管理する「生物保存エリア」。……私の製造元コードとは一致しません』
やはり、とヴァルは思った。
ここではない。
彼が探している「ラボ・ゼロ」――レティナを生み出し、自分が「マギレス」として見たいものは、こんなに綺麗な場所じゃない。
ヴァルは自身の左腕――パンドラによって生成された義手を見つめる。
この腕は、この景色で補えるものではない。だが、ここで得られた仲間の喜びはもっと大きい。
ここは「保存」のための箱舟だ。
だが、俺が探しているのは「実験」のための場所だ。
『D.N.Aシステム』で見た、生物兵器を生み出し、人体実験を繰り返した地獄の記憶。
それはこの楽園の裏側か、あるいはもっと深い場所か。
ヴァルは右耳のオラクル・サイトを起動し、周囲をスキャンした。
『反応なし』。
ここには本当に自然しかない。人工物は一切ない。
手がかりは、ここで途絶えてしまった。
(皆にとっては、ここがゴールだ。……でも、俺にとっては違う。ここが出発点だ)
マギーたちの笑顔を見る。
その輝きを、自分の個人的な事情で曇らせたくはない。
ここは彼らのための場所だ。彼らの旅は、ここでハッピーエンドを迎えるべきだ。
俺の旅だけが、終わらない。
「……けど、セクター4なら何か知っているかもしれない」
ヴァルは拳を握りしめた。
本当の闇は、未だに不明のままだ。
◇
「おいヴァル! お前もこっち来いよ! すげえぞ、昔の生き物だ!」
アビアの声に、ヴァルはハッとした。
見れば、アビアが林の奥を指差している。そこには立派な角を持った鹿が、こちらを不思議そうに見つめていた。
魔物ではない。敵意を持たない野生動物。
逃げもせず、ただ静かに草を食んでいる。
殺し合いを続けてきた彼らにとって、それは平和の象徴そのものだった。
アビアは子供のような満面の笑みを浮かべている。
ヴァルは一瞬で暗い表情を隠し、作り笑いを貼り付けた。
「……はい、今行きます」
その背中を、少し離れた場所から見つめる二人の少女がいた。
ララと、ルーナだ。
「……ヴァル?」
ララが小さく呟く。
美しい景色に感動しつつも、彼女の目はヴァルを追っていた。
彼が今見せた笑顔。それは「いつもの顔」ではなく、「まだ旅が終わっていない顔」だった。
「……あいつ、笑ってないわね」
ルーナもまた、景色よりも「人」を見ていた。
彼女にとっての興味は、雄大な自然よりも、目の前の生きた人間にあるようだった。
美しい景色の中で笑い合う仲間たち。
風が吹き抜け、マギーの白髪を揺らす。
「……ふぅ。いい冥土の土産ができたよ。もう、思い残すことはないねぇ」
マギーが満足げに空を見上げて呟く。
その言葉は、このパーティ「ユリシーズ・アトラス」の役割が、ここで終わったことを静かに暗示していた。
ここから先は、冒険ではない。
「探求」という名の、孤独な戦いになる。
ヴァルは青空を見上げ、一つだけ息を吐いた。
(……戻ろう。セクター4に、話を聞かなくちゃいけない)
眩しすぎる光の中で、ヴァルだけが、その先に続く深い闇を見据えていた。
【あとがき】
読んでいただきありがとうございます!
ついに辿り着いた、地下の果てにある「青い空」。
マギーさんの長年の夢が叶った瞬間でした。
(セバスチャンに報告するシーン、書いていて目頭が熱くなりました……)
しかし、ここはヴァルやレティナにとってのゴールではありません。
仲間たちが笑顔になる中、一人だけ「違う」と感じているヴァル。
そしてそれに気づくララとルーナ。
綺麗なハッピーエンド……に見えて、まだ謎は残されたままです。
「ラボ・ゼロ」の真の姿とは?
レティナの故郷はどこなのか?
次回、第3章エピローグ。
そして物語は新たなステージへ。
最後までお付き合いいただければ幸いです!
(※ネトコン14参加中です! 「マギーさんおめでとう!」「ヴァル君の孤独が切ない…」と思った方は、応援ブクマいただけると嬉しいです!)




