第39話:鋼鉄の安息。……そして紅茶の香りは、実戦(ライブ・ファイア)の合図
【セバスチャン邸・居間】
演習を終え、ヴァルたちは屋敷の広間へと戻ってきた。
全身から白い湯気が立ち上る。
体温ではない。背中の『戦術工廠"Pandora"』からの排熱だ。
「……ふぅ。排熱完了」
『Pandora、分離します』
ヴァルの言葉に合わせて、以前より流暢に喋るようになったレティナが答える。
プシュゥゥッ……。
圧縮空気が抜ける音と共に、背中の脊髄コネクタのロックが解除された。
ガコンッ。
総重量60キログラムを超える鉄塊が、ヴァルの背中から離れる。
本来なら床を砕く勢いで落下するはずのそれを――セバスチャンは、まるで脱ぎ捨てられた上着を受け取るかのように、片手で優雅にキャッチした。
「素晴らしい重量感……。良い『鉄』の匂いですな」
老執事は涼しい顔で、小脇に抱えたパンドラを愛でている。
「メンテナンスは私が引き受けましょう。ヴァル様は、汗を流してきてください」
「そんな……悪いですよ! セバスチャンさんにそんな雑用を……」
「お気になさらず。……私のような老骨にとって、このような美しい機構に触れるのは、盆栽を愛でるような心安らぐ時間なのです」
そう言って微笑む執事の目は、完全に新しいオモチャを見つけた子供のそれだった。
「あ、ありがとうございます……。身体が軽すぎて、逆に気持ち悪いな」
ヴァルは肩を回した。
重りが外れた身体は、重力から解き放たれたように軽い。
1週間前は立つことすらままならなかったが、今は適度な疲労感が心地よいほどに体力が戻っていた。
その時だった。
「よう、派手な身体になったじゃねえか」
ソファーの奥から、しゃがれた声が飛んできた。
朝から酒瓶を煽っているドワーフ、タルゴスだ。
「タルゴスさん! 戻ってたんですか」
「おうよ。ついさっきな」
彼はヴァルが目覚める数日前に、ラボ・ゼロへ向かったアビアたち『ユリシーズ・アトラス』を、国境付近の宿場町まで送り届けていたのだ。
ヴァルは駆け寄る。
「アビアさんたちは……?」
「元気だったぜ。……というか、向こうの宿場町で笑い話になってたぞ。『足の遅い亀の運搬屋を知らねえか?』って、Aランク冒険者が聞き回ってるってな」
タルゴスはニシシと笑い、琥珀色の液体を喉に流し込む。
「宿の亭主が『優秀なポーターを紹介しましょうか?』って聞いても、あいつは頑として断ったらしい。『俺たちの荷物を運べるのは、世界で一人だけだ』ってな」
「アビアさんが……」
「それに、あの魔法オタクのエルフもだ。移動中もずっと、お前が教えた術式の解析をしてやがった。どうやら、そこの使徒様に色々と吹き込まれたらしいな。『ヴァル君が追いつくまでに、この理論を完成させないと笑われる』とかなんとかブツブツ言ってな」
タルゴスは呆れたように肩をすくめるが、その目は笑っていた。
「アイツら、わざわざ小僧が追いつけるように、足の遅いやつを探してやがるんだ。……置いていったんじゃねえ。待ってくれてるんだよ」
その言葉に、ヴァルの胸が温かくなる。
自分は捨てられたわけじゃない。
待ってくれている。自分を必要としてくれる場所がある。
それだけで、機械になった冷たい身体に、熱い血が通う気がした。
「兄貴……カイルさんたちも……」
「ああ。……だが、一人だけ湿っぽい嬢ちゃんが残ってるぜ」
タルゴスは天井を見上げ、二階の客室を顎でしゃくった。
「お前が死にかけてるって聞いてから、ずっと付き添ってたんだ。送迎の時も『私は残る』ってきかなくてな、無理やり馬車に押し込んだんだが……戻ってきた瞬間、二階へすっ飛んで行ったよ。……顔、見せてやんな」
◇
【屋敷・二階客室】
ヴァルが客室のドアをノックしようとした、その時だった。
中の気配が爆発的に膨れ上がった。
「ヴァル……ッ!?」
バンッ!!
扉が開かれると同時に、柑橘類の香りと、強烈な衝撃がヴァルを襲った。
「うわっ!?」
視界に映るのは長い耳と、腰まで伸びる金色の髪。
ララだ。
彼女はヴァルの姿を見るなり、弾丸のような勢いで飛びつき、その首に抱きついたのだ。
ドォォン!!
メキッ。
ヴァルの首から、嫌な音が響いた。
「ぐっ……! 苦し……ララ、さん!?」
ヴァルは窒息しかけながらも、倒れないように踏ん張った。
強化された骨格でなければ、今の抱擁で頸椎がへし折れていただろう。
「よかった……! 生きてる……!」
ララは自身の身体でヴァルの顔を飲み込み、涙声で呟いた。
その豊満で温かい肢体が、ヴァルの身体に押し付けられる。
身長差と体格差。ヴァルの顔は、彼女の柔らかな胸に完全に埋もれていた。
だが、今のヴァルの半身は機械だ。
左腕の冷たい鋼鉄と、首根っこには制御デバイスが、彼女の柔肌に食い込んでいるはずだ。
「ララさん、痛くないんですか? 俺の身体、もう……」
ヴァルが躊躇いがちに問うと、ララはゆっくりと体を離し、彼の左腕を両手で包み込んだ。
焼き入れされた鈍い虹色の義手。
彼女の白く滑らかな肌とは対照的な、無骨な破壊の道具。
「……冷たいわね」
ララは寂しげに微笑み、その冷たい金属の掌を、自身の頬に当てた。
「でも、脈動が聞こえるわ。貴方の命が、この鉄の中を流れてる」
「……」
「関係ないわ。鉄だろうが何だろうが、貴方は貴方よ」
彼女は愛おしそうに、オイルと硝煙の匂いがする指先を撫でる。
汚いとも、怖いとも思わず。ただ慈しむように。
その体温が、義手のセンサーを通じてヴァルの脳へと伝わってくる。
本来なら「接触圧力」「表面温度36.5度」という数値データでしかないはずの情報が、今は不思議と「温かさ」として認識できた。
(……どうして、この人はここまで俺を?)
ヴァルは戸惑いながらも、ぎこちなく右手で彼女の震える背中を撫でた。
ただのパーティメンバーという枠を超えた、執着に近い愛情。
獣人としての本能なのか、それとも彼女個人の想いなのか。
理由はまだ分からない。
けれど、その温もりは、改造手術で摩耗したヴァルの精神を、何よりも優しく癒やしてくれた。
◇
【一階・執務室】
甘い再会の時間も束の間。
ヴァルがララをなだめて一階へ降りると、そこには地獄が広がっていた。
「……セバスチャンさん。これは何ですか?」
ヴァルは執務室の惨状を見て、絶句した。
部屋の中央にある巨大なマホガニーの机。
そこに、アイザックが埋まっていた。
比喩ではない。
天井に届きそうなほど積み上げられた、羊皮紙と書類の塔。その隙間から、死んだ魚のような目をしたアイザックが顔を覗かせていたのだ。
「……ああ、ヴァル君か。……助けてくれ」
総ギルド長の威厳はどこにもない。あるのは、過労死寸前の中年男性の姿だけだ。
隣で書類を整理しているカレンが、氷点下の声で解説した。
「長老会の決裁書類、未処理案件、および国庫の出納記録……締めて過去100年分です」
「100年!?」
「はい。この屋敷の『主』が、『面倒くさい』という理由で倉庫に放り込んでいたものを、アイザック様が代理で処理させられているのです」
アイザックが、震える手で一枚の書類を読み上げた。
「『西方森林における龍族の長(テンペスト・ピーク在住)のくしゃみによる山火事の損害賠償請求(80年前)』……なんだこれは。私は鼻炎の処理までさせられるのか……」
「次はこちらです。『エルフ議会による裏金隠蔽工作の失敗報告書(50年前)』。……これ、歴史の教科書に乗るレベルの大事件の証拠ですよ」
カレンが淡々と次なる地獄を差し出す。
どれもこれも、放置すれば国が傾くレベルの重要案件ばかりだ。
視線の先。
当の元凶であるセバスチャンは、部屋の隅で優雅にティーセットを用意していた。
「私は『肉体』の鍛錬には自信がありますが……どうも『事務』仕事はからっきしでして。紙を見ると蕁麻疹が出るのです」
「嘘をおっしゃい」
カレンが冷たく切り捨てる。
(……側近を辞めて良かった……)
最強の執事にして、国を守護する使徒。
その正体は、事務仕事から逃げ回るために隠居した、最強の無能公務員でもあったのだ。
「私がノアズ・アークに帰れるのはいつになるんだ……」
アイザックが頭を抱え、書類の山に突っ伏した。
彼の右脚の義足からは、悲鳴のような駆動音が聞こえる。
その時だった。
ドンドンドンッ!!
平和(?)な時間を破るように、扉が激しく叩かれた。
「失礼します! 緊急報告ッ!」
飛び込んできたのは、泥だらけの近衛兵だった。
その表情は焦燥に染まっている。
「報告します! 南西国境付近の『断層ダンジョン』にて大規模崩落が発生! 地下から魔物が溢れ出し、主要な物流ルートを塞いでいます!」
「……っ!」
アイザックがバッと顔を上げた。書類仕事の疲れが一瞬で吹き飛ぶ。
物流ルートの封鎖。それは交易都市の長として聞き捨てならない事態だ。
「被害状況は?」
「甚大です! 魔導騎士団が展開しましたが……敵は多数。厄介なのは『魔法耐性』を持つミスリル・ゴーレムの群れです。魔法による有効打がなく、戦線は膠着……いえ、壊滅寸前です!」
魔法耐性。
その単語が出た瞬間、室内の空気が変わった。
アイザックの視線が、鋭くヴァルへと向けられる。
魔法が効かない敵。
この魔力至上主義の世界において、それは「天敵」を意味する。
だが、ここには一人だけ、魔法に頼らない男がいた。
コトッ。
セバスチャンが優雅な手つきで紅茶を注ぎ終え、ソーサーをヴァルへと差し出した。
立ち上る湯気の向こうで、老執事が悪戯っぽく、しかし獰猛に微笑む。
「……さて、ヴァル様」
それは、執事からの提案であり、使徒様からの試験課題。
「地下での演習も良いですが……そろそろ、『実戦』でのテストはいかがでしょうか?」
ヴァルは差し出された紅茶を受け取り、一気に飲み干した。
熱い液体が喉を通り、腹の底で燃え上がる。
左目のレティナが起動し、琥珀色の光を放った。
『戦闘モード、スタンバイ。……ターゲット、魔法耐性個体群。いつでもどうぞ』
アビア達には追いつけるとわかった。今は自分の戦力を知り、皆のために使いこなすことだ。
ヴァルは不敵に笑い、空になったカップを置いた。
「……わかりました。掃除の時間ですね」
【あとがき】
読んでいただきありがとうございます!
パンドラを「盆栽」扱いするセバスチャン(笑)。
そして、ララさんの愛が重い……!
機械化した左腕を受け入れてくれる彼女の優しさが、ヴァルの救いですね。
(あと、アイザックさんは本当に苦労人です……頑張れギルド長!)
そしてラスト。
魔法が効かない「ミスリル・ゴーレム」が出現しました。
普通の騎士団なら絶望的な相手ですが、今のヴァルにとっては……?
次回、パンドラの実戦投入(デビュー戦)です!
物理で粉砕する爽快なバトルにご期待ください!
(※ネトコン14参加中です! 「ララ可愛い!」「アイザック乙!」と思った方は、応援ブクマいただけると嬉しいです!)




