閑話:幻肢痛(ファントム・ペイン)。……罪悪感と、黒い棺桶を持って
【夕暮れ時:冒険者ギルド本部・最上階】
冒険者の街、ノアズ・アーク。
空が茜色から群青へと変わりゆく逢魔が時。
冒険者ギルド本部、その最上階にある総ギルド長の執務室は、しんと静まり返っていた。
アイザックは休む間も惜しんで書類に目を通していたが、不意にバルコニーの方角から聞こえた重い羽ばたき音に顔を上げた。
バサァッ……!
ガラス戸の向こうに舞い降りたのは、巨大な有翼獣――『天翔る馬』だ。
その背には、緑の装束を纏ったエルフの騎士が跨っている。
ユグド・セコイアからの緊急の特使だ。
アイザックはカレンに目配せをし、ガラス戸を開け放った。
吹き込む冷気と共に、獣の荒い息遣いと、独特の獣臭が部屋に入り込む。
「……こんな時間に、礼儀を知らない訪問者だ」
「失礼。アエテルナ(セバスチャン)様より、緊急の親書を預かっている」
特使のエルフは、スカイ・ホースから降りようともせず、馬上から見下ろすように書簡を放り投げた。
カレンがそれを空中で鮮やかにキャッチする。
同じエルフ種でありながら、野生的な身のこなしを見せる彼女に対し、特使の瞳には隠そうともしない侮蔑の色があった。
ギルド長といえど、所詮は人間の、それも野蛮な冒険者たちの元締め。
高潔なエルフやマギアンからすれば、卑しい存在でしかないのだ。
「報告は以上だ。……ふん、血生臭い」
特使は吐き捨てるように言い残すと、再びスカイ・レオを駆り、夕闇の中へと消えていった。
アイザックは表情一つ変えず、カレンから書簡を受け取る。
「……セバスチャン殿が、正規の手順を無視してまで送ってきた報告だ。ただ事ではない」
封蝋を割る。
中には、端的な事実だけが記されていた。
『作戦成功。敵対組織の排除完了。死亡者はなし……ただし、ヴァル重傷。左腕切断により欠損』
アイザックの動きが凍りついた。
呼吸が止まる。
視線が、「左腕切断」の文字に釘付けになる。
カチャン……。
持っていたワイングラスが、震える指先から滑り落ちそうになり、慌ててデスクに置いた。
だが、その微細な音は、彼の心の動揺を隠しきれていなかった。
「……腕を、失ったか」
重苦しい独り言が、広い執務室に虚しく響いた。
◇
アイザックはバルコニーへ出た。
手すりに寄りかかり、眼下に広がるノアズ・アークの街並みを見下ろす。
夕闇に魔導街灯の光が灯り始め、石造りの街を幻想的に照らし出している。
だが、アイザックの心は鉛のように重かった。
ズキリ。
不意に、右足に鋭い痛みが走った。
アイザックは顔を歪め、ズボンの裾の上から右太腿を強く握りしめた。
そこにあるのは、温かい肉の感触ではない。
硬く、冷たい、金属と魔導樹脂の感触。
義足だ。
彼の右足は、膝から下が失われていた。
ギルド専属の職人・タルゴスが作成した精巧な義足と、それを完璧に使いこなす体幹、そしてカレンの献身的なサポートによって、普段は誰にも気づかれていないが――彼は、欠損者だ。
そして、ヴァルと同じ「魔力なし」でもある。
(……痛むか。あるはずのない足が)
幻肢痛。
失われたはずの足が、脳の中で悲鳴を上げる現象。
幼い頃、事故で足を潰された時の記憶が蘇る。
神官たちは言った。「魔力回路がないため、再生魔法は効きません」と。
周囲からも「呪われた存在」「役立たず」と疎まれ、蔑まれ、差別されてきた日々。
絶望の底から、彼は金と知恵、そしてコネクションだけを武器に、ここまで這い上がってきた。
だが、その代償として支払った痛みは、今も彼を縛り続けている。
(ヴァル……君も、こちら側に来てしまったのか)
ヴァルの顔が脳裏に浮かぶ。
年若いが、芯の強い青年。マギレスでありながら、義眼と工夫で無事にBランクへ駆け上がった挑戦者。
アイザックは、彼にかつての自分を重ねていたのかもしれない。
だからこそ、期待し、交渉をし、任務を依頼した。
だが。
その期待が、彼を壊した。
「……私のせいだ。私が、あんな危険な依頼をしなければ……」
アイザックの声が震える。
自分の野心のためだ。
未踏ダンジョン『ラボ・ゼロ』の情報欲しさに、まだ若い彼らを死地に送り込んだ。
片腕を失えば、冒険者生命は絶たれる。
日常生活すらままならないだろう。
自分が、有望な若者の未来を摘み取ってしまったのだ。
罪悪感が、夜の冷気と共に、古傷をえぐるように彼を蝕んでいく。
◇
震えるアイザックの背中を、ふわりと温かいものが包み込んだ。
カレンだ。
彼女はショールを彼の肩にかけると、そのまま背後から抱きしめた。
「……カレン」
「震えているわね、アイザック」
二人きりの時だけ、彼女は「秘書」の仮面を外し、一人の女性として彼に接する。
アイザックの孤独と、義足の秘密を知る、唯一の理解者。
「……ああ。私は、取り返しのつかないことをしたのかもしれない」
アイザックは彼女の手を握りしめ、弱音を吐露した。
冷徹な総ギルド長の顔ではない。
罪に怯える、一人の無力な男の顔だった。
「私のエゴが、彼を……ヴァルを壊してしまった」
カレンは何も言わず、彼の背中に頬を埋めた。
優しいリリィの香りが、アイザックの強張った心を少しずつ溶かしていく。
「貴方が選んだ子でしょ?」
静かな、しかし確信に満ちた声が耳元で囁く。
「貴方が、かつて絶望の淵から這い上がり、この地位を築いたように。……彼もまた、絶望に負けるような人じゃないわ。私はそう信じている」
「……カレン」
「思い出してみて。貴方たちは『持たざる者』。魔法という理不尽な力を持たないからこそ……誰よりも強く、賢く、牙を研いできた」
その言葉は、アイザックの魂の根幹に触れた。
そうだ。
マギレスだからと見下され、身体がないからと嘲笑われ、それでも歯を食いしばって生きてきた。
ここで自分が折れてどうする。
後悔している暇があるなら、すべきことがあるはずだ。
アイザックは深く息を吸い込み、冷たい夜気を肺に満たした。
震えが止まる。
彼はカレンの手を握り返し、ゆっくりと振り返った。
「……ああ、その通りだ。私は総ギルド長、アイザック・グラントだ。依頼主としての責任を果たさねばならない」
彼に償いを。
そして、奪われた腕の代わりに、世界を噛み砕く新たな「牙」を与えるのが、私の役目だ。
◇
アイザックは執務室に戻ると、壁に掛けられた巨大な絵画を動かした。
現れたのは、ミスリル製の重厚な隠し金庫。
首にかけていた鍵を取り出し、鍵穴へ差し込む。
ギィィィ……。
重く擦れる音と共に、分厚い扉が開く。
漏れ出したのは、肌を刺すような冷気と、異質なプレッシャー。
その奥に鎮座しているのは、一つの「遺物」だった。
高さ1.5メートルほどの、黒い金属の塊。
形状は、まるで直立した「棺桶」。
表面には幾何学的なラインが走り、どこか禍々しくも、吸い込まれるような機能美を放っている。
【ModuleID:01……Tactical Foundry "Pandora"】
もちろん、そんな正式名称を彼は知らない。
分かっているのは、それが旧文明の遺産であり、この国を一つ買えるほどの価値を持つ、禁断のテクノロジーの結晶であることだけ。
アイザックは、その冷たい表面を愛おしげに撫でた。
(……これは、ただの道具ではないはずだ)
根拠はないが、そう確信していた。
片腕を失ったヴァルが、再び冒険者として戦うには、これしかない。
「……ラボ・ゼロの情報との交換条件だったが、前払いだ」
アイザックの唇が吊り上がり、不敵な笑みを形作った。
それは、弱音を吐いていた男の顔ではない。
修羅場を潜り抜けてきた、ギルド長としての野心に満ちた顔だった。
「これを使え、ヴァル。……この『遺産』を使ってでも、再び私の前に立ってみせろ」
彼はカレンに振り返る。
その瞳には、強い光が戻っていた。
「支度を。アエテルナ様……いや、セバスチャン殿への見舞いだ。……ユグド・セコイアへ向かうぞ」
「はい、ギルド長。ただちに」
カレンはスカートの裾を摘み、優雅に一礼した。
その表情は、愛する男が覇気を取り戻したことへの喜びで輝いていた。
窓の外、グリットの街明かりが、黒い棺桶を妖しく照らし出す。
それは、絶望の象徴か、それとも最後に残された希望か。
その答えを知る者は、まだいない。
二人は新たな希望と、重すぎる手土産を持って、歩き出した。
【あとがき】
読んでいただきありがとうございます!
第2章の余韻が残る中、ギルド長アイザックの視点でした。
彼もまた、痛みを知る「持たざる者」。
だからこそ、ヴァルのために動きます。
彼が持ち出した謎の遺産『黒い棺桶』。
「国が一つ買える価値」を持つという禁断のテクノロジー。
果たして箱の中身は、希望か、それとも災厄か。
これが、隻腕となったヴァルに何をもたらすのか。
次回、いよいよ第3章開幕です!
目覚めたヴァルと、新たな物語の始まりにご期待ください!
(※ネトコン14参加中です! 「アイザック渋くて好き!」「パンドラの中身が気になる!」と思った方は、応援ブクマいただけると嬉しいです!)




