閑話:道化の独白と、錆びついた歯車。……賭けたのは「計算」ではなく「希望」だ
ノアズ・アーク、統括塔最上階。
東の空から朝日が差し込む執務室には、嵐が過ぎ去った後のような静寂だけが残されていた。
「……ふぅ」
総ギルド長アイザック・グラントは、深く、重い吐息を漏らした。
彼は窓際へ歩み寄ると、張り付けていた「愛想の良い笑み」を剥がし落とす。
ガラスに映るのは、疲労を滲ませた中年男の、冷たく乾いた瞳だけだった。
「行ってしまったか」
「ええ。……嵐のような方々でしたね」
背後から、衣擦れの音と共に涼やかな声が響く。
秘書のカレンだ。
テーブルの上は既に片付けられているが、そこには確かに彼らがいた熱気が微かに残っている気がした。徹夜で兵器開発に明け暮れた彼らの、馬鹿らしくも眩しい熱気が。
「カレン。……私は、正しい選択をしたと思うか?」
アイザックは振り返らず、朝日に照らされ始めた街を見つめたまま問うた。
その問いには、珍しく迷いの色が混じっていた。
「私の手元にある『最後の希望』……希少なレムナント(Module ID:01)。あれを、あんな得体の知れない若造に賭けてよかったのか。……もっと確実な、政治的な取引材料にすべきだったのではないか」
魔力を持たないマギレスが、この魔力社会の頂点に立ち続けること。
本来ならばあり得ないその地位は、各国の『使徒』たちによる指名――扱いやすい「傀儡」としての選出によるものだった。
だが、その千載一遇のチャンスに、命懸けで飛びついたのはアイザック自身だ。
それは、薄氷の上を歩くような毎日。
一歩間違えれば、暗殺されるか、失脚するか。
アイザックは常に道化を演じ、敵を欺き、誰よりも臆病に計算し続けることで、今の地位を守り、力を蓄えてきた。
だが今日、彼はその計算を捨てた。
「直感」という、最も不確実な要素に賭けたのだ。
「……計算では、リスクが高すぎます」
カレンは淡々と事実を述べた。
彼女はタブレット端末を操作し、アイザックの横に並び立つ。
「ヴァル・ヴェリテクスは不確定要素です。ユグド・セコイアで死ぬ確率は70%。裏切って情報を持ち逃げする確率も、ゼロではありません」
「手厳しいな」
「ですが」
カレンは言葉を切り、端末の画面をアイザックに見せた。
映し出されたのは、今しがた正門の監視カメラが捉えた映像だった。
巨大な亀が、タイヤに乗って爆走している。
あまりにも馬鹿げた、そしてあまりにも力強い光景。
「……彼は、昨晩の貴方の『ジャミング』の中でも動きませんでした。恐怖に震えながらも、貴方の理想を選びました」
カレンの指が、画面の中のヴァルの顔をなぞる。
「彼には『魔力』がありません。……だからこそ、貴方の孤独と、貴方が描く『理不尽のない世界』を、誰よりも理解できるはずです」
「…………」
「貴方は、政治家としてではなく……同じ『持たざる者』として、彼を選んだのでしょう?」
図星だった。
アイザックは苦笑し、懐から小さな物体を取り出した。
それは、「賭けたモノ」ではない。
代わりに握られているのは、ただの錆びついた古ぼけた歯車。
魔力を持たない、ただの鉄屑。だが、アイザックにとっては、何よりも美しい「論理」の結晶。
「……ああ、そうだ。私は夢を見てしまったんだよ」
アイザックは歯車を指で弾いた。
キン、と澄んだ音が響く。
「魔力なんて曖昧なものに頼らず、歯車とバネと、知恵だけで回る世界。……彼なら、その扉をこじ開けてくれる気がしたんだ」
アイザックの瞳から、迷いが消えていた。
そこにあるのは、世界をひっくり返そうとする革命家の光だ。
「カレン。最長老様への根回しを頼む。……彼らが暴れやすいように、舞台を整えてやろう」
「既に手配済みです。……貴方がそう言うと信じていましたから」
カレンは僅かに口元を緩め、恭しく一礼した。
鉄壁の秘書が、一瞬だけ見せた共犯者の顔。
「フッ……敵わないな、君には」
アイザックは肩をすくめ、再び窓の外を見た。
東の空。ヴァルたちが向かった方角には、分厚い雲が立ち込めている。
だが、その雲の切れ間から、一筋の光が差し込んでいるようにも見えた。
「行け、ヴァル・ヴェリテクス。……この腐った盤面を、ひっくり返してこい」
支配者の独白は、夜明けの風に溶けていった。
【あとがき】
読んでいただきありがとうございます!
今回は少し短めの「閑話」をお届けしました。
ヴァルたちが爆走して去った後の、アイザックとカレンの密談。
「亀を改造する変人たち」に世界の命運を託してしまった総ギルド長の、偽らざる本音です。
魔法全盛の世界で「歯車」を信じる彼の姿、書いていてとても熱くなりました。
さて、これは嵐の前の静けさ。
物語本編(第21話)は、本日【18:00】に投稿予定です!
ユグド・セコイアへ挑むヴァルたちの活躍を、夕方までお待ちください!
(アイザック渋い! 続きが楽しみ! と思った方は、評価・ブクマいただけると嬉しいです!)




