第18話:道化の支配者と、生体貨物(リビング・カーゴ)。……定義データを更新。現在の彼らの分類は「人間」ではなく『荷物』です
『酔いどれの鯨亭』で、カレンからの伝言を受け取った翌日。
ギシッ、と床板が軋む音と共にヴァルは立ち上がった。
長年聞き慣れたその音も、今日で最後になる。
薄暗い安宿。壁紙は黄ばみ、窓枠には隙間風を防ぐための古新聞が詰め込まれている。
ヴァルは部屋の隅に置かれた粗末な木箱に、最後の荷物を詰め込んでいた。
「……此処ともおさらばだな」
ヴァルは剥がれかけた壁の傷を見つめ、短く呟いた。
あの傷は、初めての仕事で失敗して、悔しくて拳を叩きつけた時のものだ。
Dランク「ダスト・チェイサー」から、Bランク「ソイル・トラッカー」へ。
収入は桁違いに増えた。もう、カビ臭い毛布にくるまって震える必要はないし、明日のパン代を気にして眠れぬ夜を過ごすこともない。
『計算:生活拠点の移動による固定費の増加率、450%』
右耳のデバイスから、レティナの無愛想な声が響く。
『警告:セキュリティと快適性は向上しますが、グリット消費量の増大が予測されます。……マスター、無駄遣いは推奨しません。リソースの最適化を提案します』
「ったく、金食い虫のお前に言われたくないよ」
ヴァルは苦笑しながら、ずっしりと重くなったバッグを肩に担いだ。
「それに、今の稼ぎなら十分に賄えるだろ?……少しは美味い魔鉱石を食わせてやるから、文句言うな」
『……了解。高純度グリットの定期供給を要求します』
心なしか、少し嬉しそうな電子音が鳴った気がした。
ヴァルは愛用の眼帯をつけ直し、ドアノブに手をかけた。
錆びついた蝶番が、キィと鳴いて開く。
差し込む朝日は、昨日までよりも眩しく、そしてどこか誇らしく見えた。
◇
冒険者ギルド本部。
その最上階にある総ギルド長室への長い廊下を、ヴァルたち『ユリシーズ・アトラス』の一行は歩いていた。
アビア、ティア、カイル、ルーナ。
Bランクに昇格し、さらに『指定個体討伐』の実績を挙げたヴァルの姿に、すれ違う職員たちが敬意を込めて道を譲る。
かつては「落ちぶれた」と囁かれていたが、今の彼らに向ける視線は、英雄を見るそれだった。
だが、その厳粛な空気を切り裂くような怒号が、廊下の奥から響いてきた。
「ええい、離せ! 私の服が汚れるだろう!」
執務室のドアが乱暴に開かれ、豪奢な緑色のローブを纏った男が出てきた。
長い耳、傲慢な瞳、そして全身に散りばめられた高価な魔石の装飾。
三大国家の一つ、エルフ種が支配する『ユグド・セコイア』からの特使だ。
「申し訳ございません! どうか、どうかご容赦を……!」
その後ろから、揉み手をしながら追いかけてくる男がいた。
この街の支配者、総ギルド長アイザック・グラントだ。
彼は脂汗を額に浮かべ、特使の背中に向かって深々と頭を下げている。
「ふん。やはり魔力欠如者の人間種がトップでは、話が通じぬな。……ノアズ・アークの品位も地に落ちたものだ」
特使は侮蔑の言葉を吐き捨て、ヴァルたちの横を大股で通り過ぎていった。
すれ違いざま、特使はヴァルを一瞥し、「出来損ないが」と小さく鼻を鳴らした。
「……あーあ。相変わらずだな、あの人は」
アビアが呆れたようにアイザックを見て、ため息をつく。
ヴァルも少し不安になった。
世界の経済を握る男が、あんなに卑屈でいいのだろうか。
アイザックは特使が見えなくなるまで頭を下げ続け、そしてゆっくりと顔を上げた。
「……やあ。待たせたね、みんな」
その顔には、弱々しい笑みが張り付いている。
「さあ、入ってくれ。……中で二人ほど、待ちくたびれているよ」
アイザックに促され、ヴァルたちは執務室へと入った。
広々とした部屋の中には、すでに先客がいた。
窓際で腕を組み、外の景色を眺めている長身の美女ララ。
そして、革張りのソファでふんぞり返っているドワーフの鍛冶師タルゴスだ。
「遅いぞ、若造ども! こっちの『姉ちゃん』と睨み合いをするのも飽きてきたところだ」
「タルゴスさん!? ……それにララさんも」
ヴァルは思わず声を上げた。
まさか、この二人がここにいるとは思わなかったのだ。
タルゴスが不機嫌そうに髭を撫でる。テーブルの上には、空になった紅茶のカップが置かれていた。
「あら、睨み合っていたつもりはないわよ? 貴方のその立派な髭が、実によく手入れされていると感心していただけ」
ララは涼しい顔でタルゴスに言い返し、それからヴァルへ向けて優しい笑みをこぼした。
「昨日ぶりね、ヴァル。……このドワーフさん、素材への『剛性』のこだわりは嫌いじゃないのだけど、少し頭が固すぎるのが玉に瑕ね」
「はんッ! 生意気な嬢ちゃんだ。俺の作る鎧の価値も知らんくせに」
野獣のような美女と、無骨なドワーフ。奇妙な取り合わせだが、軽口を叩き合える程度には、不思議と部屋の空気に馴染んでいた。
全員が入室し、重厚な扉が閉まる。
カチャリ、と鍵がかかった瞬間だった。
「――ふぅ」
アイザックが、胸ポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭った。
その動作と共に、彼の背筋がスッと伸びる。
先ほどまでの卑屈な猫背は消え失せ、目尻のシワすら消えたかのような、冷徹な支配者の顔がそこにあった。
「『驕る者久しからず』。……高慢な相手は御しやすくて助かるよ」
アイザックはハンカチを畳み、特使が出ていった扉を冷ややかな目で見据えた。
「彼らの要求は、関税の撤廃と魔鉱石の優先供給だ。……その裏で、国内の既存勢力の打倒に必死なのが見え透いている」
「そうですね。……我が同胞ながら、情けない限りです」
秘書のカレンが、表情一つ変えずに紅茶を淹れる。
「ところで……演技とはいえ、少し脂汗が多すぎますよ。アイザック」
「はは、役作りも楽じゃないんだよ」
アイザックは悪戯っぽく笑い、執務机の椅子に深く腰掛けた。
その変貌ぶりに、ヴァルは息を呑んだ。
この男は、道化の仮面を被りながら、相手の喉元を常に狙っている。
決して敵に回してはいけない類の人間だ。
「アイザックさん……今の男は?」
「ユグド・セコイアの『急進派』筆頭議員さ。……彼らは今、国の中で暴走しかけている。自分たちの権益を守るためにね」
アビアの問いかけに答えつつ、アイザックは執務机に戻り、指を組んだ。
「今回の依頼主は、彼らではないよ。『最長老』……つまり、国の最高意志決定機関からの極秘依頼だ」
「最長老だって!?」
カイルが素っ頓狂な声を上げた。
ユグド・セコイア出身の彼にとって、それは雲の上の存在であり、神にも等しい権威だ。
「内容は、内部でクーデターを画策する『急進派』の鎮圧と、不穏分子の排除。……つまり、先ほどの男のような連中を、内側から掃除してほしいということだ」
とんでもない依頼だ。
一国の政治抗争に、冒険者が介入するなんて。失敗すれば国際問題になりかねない。
「俺たちに、戦争をしろと?」
アビアが眉をひそめる。
「いいや。全面戦争になれば国が荒れ、民が死ぬ。だからこそ、君たちのような少数精鋭による『外科手術』が必要なんだ」
アイザックは不敵に微笑み、報酬条件を提示した。
「報酬は破格だ。……君たちは『ラボ・ゼロ』を目指しているね? そこへの通行許可証。そして、あの国が現在把握しているラボ・ゼロの踏破地図データを提供する」
「!!」
アビアは身を乗り出した。
『ラボ・ゼロ』。自分たちの目指す場所。
そこへ行くには、厳重な国境警備と、幾重もの検問を越えなければならない。
だが、正規の許可証があれば話は別だ。
それに、地図データがあれば、ヴァルの能力をフルに発揮できる。これは金銭には代えられない価値がある。
「……やるしかないですね」
ヴァルも同じような気持ちだった。互いに顔を合わせ、力強く頷く。
「ああ。条件は最高だ。それに最長老様ってのにもカイルが用がある。引き受けさせてください」
「交渉成立だね。……作戦会議に移ろうか」
アイザックは満足げに頷き、手元のタブレット端末を操作した。
(……さて。駒は揃った)
彼が見つめる手元の画面には、ヴァルたちには見えない角度で、詳細な個人データと『アイザック自身の評価メモ』が表示されていた。
【Avia Atlas / アビア・アトラス】
年齢:36歳 種族:サピア(ヒューメア種)
評価:戦闘能力はAランク上位。だが『情』に脆すぎる。亡国アトラス家の長男。過保護なリーダーとしては三流。だが、その甘さが『磁力』となり人を惹きつける。使い捨てにするには惜しい人材。
【Kyle Pallas / カイル・パラス】
年齢:128歳 種族:サピア(エルフ種)
評価:理論偏重の狂人。魔法のために故郷を捨てた異端児。彼の魔法理論への執着は、硬直した常識を破壊する『楔』となるだろう。既存の魔法体系を内部から崩壊させる起爆剤として期待。
【Tia Beatrice / ティア・ベアトリス】
年齢:30歳 種族:ゾーアン(ウルサス種)
評価:動く防壁。→ヴァル加入後、後衛に回ったとの証言あり。アビアと関係を持っているという噂あり。純血性が高く、魔力保有量に一定評価。要経過観察。
【Luna Fenrir / ルーナ・フェンリル】
年齢:22歳 種族:ゾーアン(カニス種)
評価:野生の勘に優れた遊撃手。論理よりも感覚で動くため計算しづらいが、場の空気を変えるムードメーカーとしての価値は高い。集団のメンタル維持装置として機能するだろう。
【Lala / ララ】
年齢:36歳 種族:ゾーアン(ルプス種)
評価:完成された戦士。戦闘経験、判断力に加え、あらゆる状況に対応する柔軟さを持つ。だが、その行動原理は『損得』ではなく『情愛』にある。金や権力で制御できない、最も扱いにくい手駒だ。
【Targos Woodrune / タルゴス・ウッドルーン】
年齢:62歳 種族:サピア(ドワーフ種)
評価:失われた技術を熱心に再現する職人。他のドワーフから孤立気味。彼の技術欲求は制御しやすいが、その頑固さは時に諸刃の剣となる。技術顧問として同行させるが、彼のエゴが暴走しないよう手綱が必要だ。
そして、最後の1ページに指を這わせる。
【Val Veritex / ヴァル・ヴェリテクス】
年齢:28歳 種族:サピア(ヒューメア種)
評価:規格外。魔力欠如者。商業ギルドでの従事経験あり。私の計算すら超える不確定要素。彼こそが、この盤面をひっくり返す『鍵』になり得る。
備考:彼の成長速度は異常であり、危険でもある。飼い慣らせるか、あるいは喰われるか。最も警戒すべき対象。(カレン)
アイザックは静かに画面を消灯し、顔を上げた。
その瞳の奥にある冷徹な計算を、優しい笑顔の下に隠して。
「さて、入国手段だが……現在、急進派のせいで検問が強くなっててね。入国・出国も彼らの発行する許可証がないと、検問で全員捕まってしまう」
アイザックは部屋の隅にある、布で覆われた大きな模型を指差した。
そして、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、ピラリと振ってみせた。
「だが安心してくれ。……先ほど、特使殿から『物資用』の入国許可証を頂いておいた」
そこには、件の政府の正式な印章が押されている。
「……まさか!? はぁ……アイザック。貴方、盗みましたね」
カレンが呆れたように溜息をついた。
先ほど、廊下で泣きつき平身低頭に謝罪していた時だ。アイザックは頭を下げながら、特使の懐からこれを抜き取っていたのだ。
「人聞きが悪いな。彼があまりにも私のことを見下していたからね。……視線が上を向きすぎていて、足元がお留守だっただけさ」
アイザックは悪びれもせずウィンクしてみせる。
ヴァルは背筋が寒くなった。この男、やはりただのパトロンではない。
「物資の輸送という名目なら、ほぼノーチェックで通れる。……そこで、君たちには『貨物』になってもらう」
「……は?」
全員の声がハモった。
【お詫び】更新が大変遅くなりました!!(土下座)
読者の皆様、申し訳ありません!
「リアル仕事」が予想以上に手強く、この時間の更新となってしまいました……。
仕事の休憩中、ポチポチと執筆しました。
さて、第18話。
ついに総ギルド長アイザックの本領発揮です。
「卑屈な道化」を演じながら、相手の懐から重要書類を抜き取る。
こういう「強か(したたか)な大人」って、敵に回すと一番怖いですが、味方だと頼もしいですよね。
そして公開された「アイザックによるメンバー評価」。
アビア兄貴の過去や、各メンバーの種族設定など、細かい情報も散りばめてみました。
ラストはいきなりの「貨物扱い」。
ヴァルたちは無事に国境を越えられるのか?
エルフの国編、スタートです!
(「アイザック食えない男だな!」と思った方は、評価・ブクマいただけると、作者の疲れが吹き飛びます!)




