第1話:魔力なき砂利運び【囮にされた俺が、廃墟で規格外の「眼」を拾うまで】
ズシ、ズシ、と。
重厚で、どこか間の抜けた足音が平原の街道に響く。
巨大な岩山が動いているかのようなその正体は、体長四メートルを超える陸ガメ――『カーゴ・タートル』だ。
その甲羅には、規格外の量のコンテナが積み上げられている。
「……悪いな、相棒。重いだろう」
手綱を握るヴァル・ヴェリテクスは、申し訳なさそうにタートルの首筋を撫でた。
タートルは「グゥ」と低い声を漏らす。
この亀の甲羅には、微弱な魔力干渉によって積載物の重量を軽減する『重力緩和』という特性がある。そのため、見た目ほどの重さは感じていないはずだ。
問題は、重さではなく、その「遅さ」にある。
「おいおいおい! 邪魔だぞ、そこのノロマ!」
「うわ、初めて見た。化石みたいな陸ガメ使ってる砂利運び」
背後から、風を切る音と共に嘲笑が飛んできた。
砂煙を上げてヴァルたちを追い抜いていったのは、駿馬『グリット・サラブレッド』に跨った同業者たちだ。
蹄に埋め込まれた魔鉱石が、大地から魔力を吸い上げ、爆発的な加速を生み出しながら疾走していく。
「あーあ、あんな亀使ってるとか、どこの貧乏だよ」
「見ろよあの顔。『マギレス』だぜ。魔力がないからサラブレッドにすら乗れないんだろ」
「ギャハハ! お似合いだな、無能には無能な家畜がよ!」
彼らはヴァルを見下し、あっという間に地平線の彼方へと消えていった。
残されたのは、舞い上がった砂埃と、惨めな静寂だけ。
ヴァルは口元を覆っていた布を引き上げ、一つだけ深いため息をついた。
(……言い返す言葉もないな)
彼らの言う通りだ。
この世界では、魔力こそが正義であり、動力であり、命そのものだ。
生まれつき魔力を一切持たない『魔力欠如者』であるヴァルは、魔力を必要とする手綱が握れない。そのため、サラブレッドには乗れない。
彼に残された道は、魔力を必要としない生物――この鈍重なタートルと共に、人が嫌がる安値の荷運びをすることだけだった。
「……気にするな相棒。俺たちは俺たちのペースで行こう」
ヴァルはタートルの首を撫でる。
だが、その背中に乗っている「荷物」たちは、ヴァルのペースになど付き合う気はなかった。
「おい! 揺らすなっつってんだろ、『砂利運び』!」
頭上から怒声と共に、空の酒瓶が飛んできた。
ヴァルは慌てて身を縮める。瓶はタートルの硬い皮膚に当たって砕け散った。
「チッ、酒が台無しだ。これだからマギレスは使えねぇんだよ」
荷台の上の特等席でふんぞり返っているのは、三人の男女。
今回の輸送任務の護衛として雇われた、Dランク冒険者パーティー『暁の剣』のメンバーだ。
リーダー格の剣士と軽薄そうな盾持ちは『前衛』、そして気怠げな女魔法使いは『後衛』で構成されている。
まだ二十歳そこそこの若造たちだが、魔力を持たないヴァルにとっては、逆らえない「上の階級」の人間たちだった。
(護衛だって言うなら、周囲の警戒くらいしてくれよ……)
ヴァルは内心で毒づく。
彼らは出発してからずっと、荷台の上で酒盛りとカード博打に興じている。魔物の警戒など、これっぽっちもしていない。
剣士の男が、ニヤニヤしながら手元の剣を弄ぶ。
「なぁ、こいつ本当に生きてて楽しいのかね? 魔法も使えない、魔道具も動かせない。俺なら恥ずかしくて首吊るわ」
「やめなよぉ。彼らにも存在価値はあるわよ? ほら、魔物の餌とか、盾とか?」
女魔法使いがクスクスと笑いながら、指先から小さな火の玉を出してヴァルの髪を焦がそうとする。
ヴァルは熱さに顔をしかめたが、愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「……申し訳ありません。以後、気をつけますので」
怒ってはいけない。
逆らえば、報酬を減らされるどころか、この平原に置き去りにされる可能性だってある。
悔しさを飲み込み、ヴァルは前を向く。
ただ、仕事を終わらせて、家に帰る。それだけが今の彼の望みだった。
しかし、不運というのは重なるものだ。
街道の脇、崩れた岩場の陰に、軽薄そうな盾持ちの男が何かを見つけた。
「お? おい見ろよ。あんな所に横穴があるぜ」
「んー? 地図には載ってねぇな。……もしかして、未発見のダンジョンか?」
剣士の目が、卑しい欲望の色に輝いた。
未発見のダンジョン。それは冒険者にとって一攫千金のチャンスを意味する。
手つかずの魔鉱石や、旧文明の遺産が眠っているかもしれないのだ。
「おい、砂利運び! 進路変更だ。あの穴へ向かえ」
「は……? い、いえ、契約では『ノアズ・アーク』への直行ルートのはずです。寄り道は規定違反に――」
「あぁ? 誰に向かって口きいてんだテメェ」
ドガッ!
ヴァルの横顔を、剣の鞘が殴りつけた。
鉄の味が口の中に広がる。
「俺たちがルールだ。黙って従えばいいんだよ。……それに、ちょうどいい『盾』も必要だしな」
「そうそう。そのデカい亀、囮にぴったりじゃん?」
彼らの目に、ヴァルとタートルへの配慮など微塵もない。あるのは、使い捨ての道具を見る冷徹な計算だけだった。
(……クソが)
ヴァルは血を吐き捨て、無言でタートルの手綱を引いた。
拒否権はない。
タートルが不安げに鳴く。ヴァルはその首を優しく触り、「大丈夫だ」と合図を送ることしかできなかった。
洞窟の入り口は、巨大な怪物が口を開けているかのように暗く、冷たい風を吐き出していた。
一歩踏み入れると、肌を刺すような濃密な魔力の気配。
ここは、ただの洞窟ではない。明らかに「変異」した場所だ。
「へっ、薄暗いな。おい、明かりだ」
「はいはい。『小さな火花』」
パチパチと点滅が数回起こり、点灯した魔法の光が通路を照らす。
その瞬間、光の先――闇の奥で無数の「赤い点」が光った。
「――グルルルルゥ……」
金属を擦り合わせたような、不快な唸り声。
現れたのは、全身から青白い光を放つ狼の群れだった。
ただの狼ではない。魔力によって肉体が変異した魔獣――『エーテル・ハウンド』だ。
しかも、一匹や二匹ではない。十匹近い群れが、通路を埋め尽くしている。
「なッ……!? エ、エーテル・ハウンドだと!?」
「Dランクのダンジョンに出る魔物じゃねぇぞ!?」
冒険者たちの顔が引きつる。
狭い通路。巨大なタートルがつっかえて、後退することもできない。
「おいキャリー! 亀を前に出せ! 壁にしろ!」
「無理です! タートルは怯えて動きません!」
その時、先頭のハウンドが床を蹴った。
速い。
瞬きする間に、剣士の目の前に牙が迫る。
「くそっ、『熱の窯』!」
至近距離で放たれた炎の魔法。
だが、全身の表皮が怪しく輝くと、ハウンドの身体がブレて炎をすり抜ける。
『幻影回避』。魔力変異種固有の魔法だ。
「なっ……! 魔法が、効かな――」
ガブッ。
嫌な音がして、剣士の喉笛が食い破られた。
鮮血が舞う。
「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」
「いやぁぁぁ! 来ないで!」
リーダーを失ったパーティーの瓦解は早い。もはや彼らは烏合の衆ですらなかった。
パニックになり、我先に逃げようと背を向ける。だが、背後には巨大なタートルがいる。逃げ場などない。
ハウンドたちは、動く獲物から順に飛びかかった。
肉が裂ける音。絶叫。そして、骨を砕く音。
ほんの数秒前まで酒を飲んで笑っていた若者たちが、ただの肉塊へと変わっていく。
ヴァルはその光景を、運転席の陰から息を潜めて見ていた。
恐怖で足が震える。だが、頭の芯は奇妙なほど冷えていた。
彼らと違って、ヴァルには魔力がない。だからこそ、ハウンドたちは魔力の強い冒険者たちを優先して襲っているのだ。
(今しかない……!)
ヴァルはタートルの甲羅の留め具に手をかけた。
タートルの『重力緩和』能力は、甲羅を通じて上部の荷物に作用している。
もし、これを強制的に遮断したら?
「……すまん、相棒。うまく逃げてくれ」
ヴァルは留め具をハンマーで叩き壊した。
ガコンッ!!
タートルが驚き、魔法を解除し防御体制に入る。制御を失ったコンテナが、本来の重量を取り戻し、雪崩のように崩落した。
「グルッ!?」
ハウンドの群れとヴァルの間に、巨大な荷物の雨が降る。
何匹かのハウンドは荷物の下敷きに出来る。
さらに、タートルは手足を甲羅に引っ込め、完全防御形態へと移行した。
頑丈な『甲羅』に守られたタートルなら、ハウンドの牙でも簡単には砕けない。
だが、ヴァルは違う。生身だ。
彼は荷物が崩れる轟音に紛れて、奥の闇へと走った。
出口は塞がれた。生き残るには、未探索の奥へ進むしかない。
走って、走って、走った。
肺が焼けるように熱い。
どれくらい逃げただろうか。背後からの獣の声は遠ざかったが、代わりに静寂という絶望が押し寄せてくる。
武器もない。食料もない。灯りもない。
「……ハハ。結局、ここで野垂れ死にか」
ヴァルは目の前にある瓦礫の山に背中を預け、ズルズルと座り込んだ。
悔しいな、と改めて思う。
魔力がないというだけで、こんな目に遭わなければならないのか。
俺の人生は、ずっと誰かの踏み台で終わるのか。
その時だった。
薄暗い闇の中で、何かが淡く光った。
「……なんだ?」
振り返り、瓦礫の隙間を覗き込む。
そこに埋もれていたのは、ちょうど眼球ほどの大きさの奇妙な『レンズ』だった。
宝石のように丸いが、もっと精緻で、人工的な輝きを放っている。
吸い寄せられるように、ヴァルはその琥珀色の物体を手に取った。
『――生体電流を検知。システム、コールドスリープから復帰』
突然、目の前のレンズから声が響いた。
女性の声だ。だが、抑揚がなく、まるで感情がなく冷たさを含んでいる。
「だ、誰だ!?」
『検索中……魔力反応なし。遺伝子配列、旧規格と一致。……適合者を発見しました』
レンズが脈打つように明滅を始める。
ヴァルの指先に、ピリピリとした痺れが走った。
『管理者権限を要求します。……起動しますか?』
「き、起動? 何を言って……」
ヴァルが戸惑っていると、遠くの通路から「グルル……」という唸り声が聞こえた。
追いつかれる。
人の匂いを嗅ぎつけたハウンドが一匹、瓦礫の向こうからこちらを睨んでいる。
逃げ場はない。生身で勝てる相手ではない。
『警告。敵性変異体の接近を確認。生存確率、0.01%未満』
声の主が、無慈悲な事実を告げる。
『生存には、本機の実装が不可欠です。承認を』
「……承認って、どうすればいいんだよ!」
『左目に近づけ接続してください。多少の痛みを伴います』
多少の痛み?
そんなことを気にしている場合じゃなかった。
魔獣が牙を剥き、飛びかかってくる。
死ぬか、わけのわからない声に従うか。
答えは決まっている。
「くそっ、どうにでもなれッ!」
ヴァルは叫び、そのレンズを自分の左目に近づけた。
ジュッ!!!
「が、ああああああああああああああああッ!?」
瞬間、ヴァルの意識は白熱する激痛によって塗りつぶされた。
レンズから飛び出した無数のワイヤーが、眼球を突き破る。
ヴァルの左目は光を失い、それと同時にワイヤーが奥へ奥へと侵入していった。
それは「装着」などという生易しいものではない。
眼球が内側から食い破られ、視神経が強引に書き換えられる、肉体の改造だった。




