プロローグ:薄氷の上の統治者
世界最大の交易都市、『ノアズ・アーク』。
大陸の中央に位置し、三大国を繋ぐこの中立都市は、今宵も地上の星空のごとく輝いている。
だが、その光は魔法的な温かみとは無縁だった。
通りを照らすのは、魔鉱石を触媒とした街灯の列。
青白く、どこか冷ややかで、チリチリと肌を刺すような人工的な輝き。それは、この都市が膨大な資源を消費しながら呼吸していることの証明でもあった。
その光の奔流を、都市の中枢に聳え立つ『統括塔』の最上階から見下ろす男がいた。
アイザック・グラント。
冒険者ギルドと商業ギルド、その双方を束ねる総ギルド長であり、この都市の実質的な支配者。
「……眩しいな」
執務室の窓ガラスに手を当て、アイザックは独りごちる。
豪奢なスーツに身を包んだ中年男性。垂れ下がった目尻と、どこか頼りなさげな柔和な顔立ちからは、彼が世界経済の舵取りをしているとは誰も想像できないだろう。
ましてや彼が――体内に魔力を一切持たない『魔力欠如者』であるなどとは。
「本日の魔鉱石消費量は、予測値を四パーセント超過。主因は、歓楽街区での大規模な祝祭によるものです」
背後から、氷のように感情のない声が響いた。
秘書のカレンだ。隙のない黒のスーツ姿で、手元のタブレット端末に視線を落としている。
「また、本日未明。北部の『鉄屑山脈』ダンジョンにて崩落事故が発生。Dランクパーティーが二つ壊滅。死者七名、行方不明者一名。回収された資源はゼロです」
「……そうか」
アイザックの声に動揺はない。
死者の報告を聞きながらも、その瞳は眼下の夜景――消費されるエネルギーの光だけを映していた。
「七人が死んで、資源はゼロか。……割に合わない投資だね」
「補充要員は既に手配済みです。スラムには、一獲千金を夢見る貧困層が溢れていますから」
「ああ、頼むよ。彼らはこの街の燃料だ。絶やしてはいけない」
アイザックは溜息をつき、重厚な執務机へと戻る。
引き出しを開け、ある一つの『物体』を取り出した。
それは、錆びついた鉄の塊だった。
掌に収まるサイズの、歯車。
かつてこの地にあった文明の遺物。魔法によって作られたものではない、純粋な機械部品だ。
ひんやりとした金属の冷たさと、ずっしりとした質量。
アイザックはそれを愛おしそうに指でなぞる。
( 魔法使いたちは、この光景が永遠に続くと信じている)
彼の脳裏に浮かぶのは、ギルドに群がる高ランク冒険者たちの顔だ。
己の魔力を過信し、湯水のように魔鉱石を使い潰し、派手な魔法をぶっ放す。
彼らは自分たちが立っている場所が、今にも割れそうな薄氷の上だということに気づいていない。
魔鉱石は無限ではない。
ダンジョンという名の『過去の遺産』を食いつぶし、資源が枯渇すれば、この煌びやかな文明など一夜にして崩壊する。
三大国家の連中はそれに気づき始めているが、手遅れだ。彼らは魔法という奇跡に依存しすぎている。
「カレン。……『計画』の進捗は?」
「順調です。三大国の監視網を掻い潜り、必要な『因子』は揃いつつあります。ただ、肝心の『適合者』は依然として発見されていません」
「焦ることはないさ。奇跡なんて不確定なものは必要ない。我々に必要なのは、確実な法則だ」
アイザックは歯車を指で弾いた。
カチリ、と硬質な音が静寂な部屋に響く。
それは、不確定で感情的な魔法の詠唱とは異なる、冷徹な物理法則の音だった。
「この世界は少し、魔法にかかりすぎている。……そろそろ、目を覚まさせてやらなきゃいけない」
彼は再び窓辺に立つ。
今度の視線は、煌びやかな中央区画ではない。
光の届かない都市の外縁部。黒く澱んだ闇に沈むスラム街――『ダスト・ポート』へと向けられた。
そこには、社会のゴミとして捨てられた者たちが蠢いている。
魔力を持たぬが故に虐げられ、泥水を啜る者たち。
だが、アイザックは知っていた。
錆びついた歯車が、一度噛み合えば、巨大な機械をも動かす力を秘めていることを。
「歯車を動かす時かもしれないね」
アイザックの呟きは、夜の闇に溶けていった。
青白い人工の光が、彼の影を長く、黒く、部屋の奥へと伸ばしていた。




