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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

この声は、扉の向こうに届かない

作者: 津籠睦月

 思えば“兄弟”ってのは、奇妙な関係だ。

 赤の他人よりは、(たが)いをよく知っている。だが、全て分かり合えているわけじゃない。

 そもそも、分かり合いたいとさえ、思って来なかった気がする。

 

 気づけば当たり前にそこに()て、当たり前に一緒(いっしょ)に育って来た。

 大切だとか、兄弟愛なんて、そんなこと考えたこともない。

 だからと言って(きら)いなわけではない――と言いたいところだが、時々無性(むしょう)に腹が立つことはある。

 

 そもそも俺より“出来(デキ)のいい”人間なんて、赤の他人だって気に(さわ)る。

 一番じゃなくて良いだの、成績より個性だのと言われたところで、自分より“上”がいることを知れば、俺の自信は勝手に()らぐ。

 自分の方が“下”だと知りながら、それでも自分の存在意義を素直に信じていられるほど、俺は楽観主義(らっかんしゅぎ)じゃない。

 まして相手が身内(みうち)なら、余計(よけい)に「俺って何なんだ」って気分になる。

 他人がよく冗談(じょうだん)で口にする「親からもらえる良い資質は全部兄に(しぼ)り取られて、弟には搾りカスしか残らなかった」ってアレ――時々本気でそんな気がしてくるから、本当にやめて欲しいんだ。

 

 弟ってやつは、何かと兄と比べられる。

 一人目には比較対象(ひかくたいしょう)も何もいないが、二人目以降はどうしたって、先に生まれた人間と比較されてしまう。

 成長の速度、わがままの程度(ていど)、幼稚園や学校での態度、その他諸々(もろもろ)のあらゆる度量……「お兄ちゃんはこうだったのに」と直接言われなくても、いつでも比べられているのを感じる。

 

 俺は明らかに、親から期待されていなかった。

 もっと言うなら、途中(とちゅう)から完全に(あきら)められていた。

 兄の進路にはあれこれ口出しして、その将来を嘱望(しょくぼう)していたくせに、俺の時には「行ける所へ行けば」くらいな感じで、完全に放任(ほうにん)していた。

 高校受験の時なんて、本当は偏差値(へんさち)的に“もうちょい上め”も(ねら)えたのに、それに気づかれることすらなかった。

 (たい)したことのない俺の成績(せいせき)に、親は興味(きょうみ)すら(いだ)かなかったのだ。

 

 面白(おもしろ)くは無かったが、俺がちょっと頑張(がんば)ったくらいで兄と(なら)べるはずもない。

 そもそも努力の嫌いだった俺は、早々(そうそう)(あきら)めた。

 親から期待されることを諦めて、早々に“その代わりの立ち位置(ポジション)”を(さぐ)った。

 

 よく“下の子”は“上の子”より要領(ようりょう)が良いと言われる。

 だが俺から言わせれば、それは当然の生存戦略(せいぞんせんりゃく)だ。

 親の期待や愛情を(きそ)い合うライバルが“最初から()る”状態(じょうたい)で、生き()くために頭を使ってきた結果だ。

 ライバルの失敗を反面教師(はんめんきょうし)にしてその“逆”を行くのも、ライバルの得意・不得意を分析(ぶんせき)して“カブらない”分野で評価を(ねら)うのも、ビジネスの世界じゃ普通にしていることだろう。

 育てるのにいちいち緊張感(きんちょうかん)を持たれる“一人目”と(ちが)い、“二人目”は何かと“テキトー”に(あつか)われやすい。

 それを肌で感じているから、ハングリー精神が違うのだ。

 

 俺が選んだ立ち位置(ポジション)は“家族を笑わせる道化(ピエロ)”だった。

 学校で“人気者”になるのは“学業が優秀な者”ではない。

 勉強ができなくても、皆を笑わせて楽しませられれば、人が集まって来る。

 笑いの世界なら“出来の悪さ”さえ、自虐(じぎゃく)ネタとして美味(おい)しく使える。

 だから家でも、その方向性を目指した。

 

 兄は明らかに小馬鹿(こばか)にして、俺の成績の悪さや物の知らなさを、いちいち貶し(ディスっ)てきた。

 何かにつけて知識や能力をひけらかして、上下関係を分からせようとしてきた。

 だが俺はその全てを、無傷(ノーダメージ)で受け流した。

 マウントを取って優位に(ひた)ろうって相手の意図(いと)を、わざわざ()んでやる義理は無い。

 

 何を言われてもへらへら笑っている俺を、兄はどう思っていたのだろう。

 プライドの無い低能とでも(さげす)んでいただろうか。

 出来る人間に、俺の真意なんて分かりっこない。

 兄に乗せられて親まで一緒に俺の“出来なさ”をイジってくる中、それを大真面目(シリアス)に受け取って(へこ)んでいたりしたら、(みじ)めが過ぎるじゃないか。

 俺にできる生存戦略は「そんなん別にどうでも良くね?」と全てを投げ出し、頭を(から)っぽにすることくらいなのだ。

 

 初めから勝負にならない兄という存在を前に、俺には(あきら)めグセがついてしまった。

 どうせ(かな)わないなら、ムダな努力なんてせず、ラクに生きた方がいい。

 高望みして“ちょい上め”な学校を狙うより“ちょい下め”を選んだ方が、ラクして成績をキープできる。

 親の言いなりに高い目標ばかり(いど)まされる兄を横目に、ゆるく毎日を生きてきた。

 

 兄が俺に対して(イラ)ついていたことに、だいぶ前から気づいていた。

 親の期待やプライドで雁字搦(がんじがら)めになって極限まで努力する兄にとって、努力もせずにへらへら生きる俺は(シャク)(さわ)るのだろう。

 成績が悪くても、いろいろと出来なくても、気にすることなく笑っている――そんな俺は能天気(ノーテンキ)で幸せそうに見えるのだろう。

 兄の貶し(ディスり)が俺への(ねた)みの裏返しだと、いつ(ごろ)からか気づいていた。

 

 どうして人は「(となり)芝生(しばふ)の方が青く見える」のだろう。

 俺の選んだ生き方なんて、消去法で残された、なけなしの生存戦略なのに。

 俺が(うらや)ましいなら、自分だってこういう生き方を選べばいいだろうに。

 わざわざ自分を追いつめて苦しむ兄を「可哀想(かわいそう)に」と上辺(うわべ)で思いながら、特に何を言うでもするでもなく、横目で見て来た。

 

 親の期待(きたい)というものが、そんなに良いものではないことくらい、兄を見ていれば嫌でも気づく。

 親の目がずっとついて回ることの重圧(プレッシャー)

 期待を裏切ってしまった時の失望の眼差(まなざ)し。

 それが無い俺の人生は、幸せなのかも知れないと思う。

 

 だが、これっぽっちも目を向けてもらえないのは、やっぱり(さび)しい。

 裏切るほどの期待さえかけてもらえないのは、やっぱり(むな)しい。

 そもそも他人に認められるスペックを持っているというだけで、普通に(うらや)ましい。

 

 俺だってずっと、兄が(ねた)ましかった。

 だからかも知れない。

 兄の苦しみに気づきながら、それに気づかないフリをして来たのは……。

 

 兄が不登校になった時、家族の誰もがショックを受けた。

 どんなに優秀な人間も、メンタルが折れてしまえばそれまでなのに――俺たちは皆、心のどこかで、優れた人間はメンタルの管理も人間関係も、全てそつ無くこなせると思い()んでいた。

 だけど兄は普通に弱い部分を(かか)えた人間で、知らぬ()に精神をすり()らし、ある日ぽっきり折れてしまった。

 

 両親――特に母の目は、ますます兄に向けられっ(ぱな)しになった。

 兄が自傷行為(じしょうこうい)に走るたびにオロオロし、兄が()んだ発言をするたびにビクビクし……いつも、いつか兄が“いなくなってしまう”のではないかと(おび)えていた。

 親の目がますます向けられなくなったことに、俺は不満を(おぼ)えたりはしなかった。

 俺自身、衝撃(しょうげき)が強過ぎてそれどころじゃなかったし、今まで兄に何もして来なかったことへの後ろめたさもあった。

 

 仕方(しかた)がない。

 今、この家で一番気にかける必要があるのは兄だから。

 俺は今、べつにそこまで家族の助けを必要としていないから。

 ――そう、自分に言い聞かせた。

 昔から、そこを我慢(がまん)するのには()れている。

 

 事態(じたい)好転(こうてん)することはなく、兄は部屋からも滅多(めった)に出て来なくなった。

 母が何を言っても、父が何を(さと)しても、兄の胸には(ひび)かない。

 言葉が悪いと言うより、兄の側に、他人の(・・・)言葉を()()れる余地(よち)が無さそうに見えた。

 

 どんなに正しい理屈(りくつ)でも、どんなに優しい言葉でも、()()れられない、受け容れたくない――そういう時って、あるんだよな。

 それは言葉の内容のせいじゃなく――その言葉の(ぬし)が“自分とは違う人間”だからだ。

 同じ苦しみを知っているわけでもないのに――そんな反発心もある。

 その言葉をカンタンに()()れてしまえば、自分の“負け”な気がする――そんな対抗心(たいこうしん)もある。

 

 だから、分かるんだ。

 きっと俺の言葉なんて、両親以上に響かない。兄の心に(とど)かない。

 

 事態が長引くにつれ、俺もへらへら気楽なだけの弟ではいられなくなってきた。

 お兄ちゃんがああなってしまった以上、あんたにしっかりしてもらわないと――そんな親の言外(げんがい)の重圧が、俺に()()かってくるようになった。

 今まで何の期待もかけず、気にもかけて来なかったくせに、勝手なものだ。

 

 正直、俺にだって学校に行きたくないくらい嫌なことはある。

 へらへら笑って何でも受け流せるつもりで、受け流しきれない理不尽(りふじん)なんてザラにある。

 だけど、それを家族に話したことは無い。

 いつも何でもないフリで学校へ行き、授業中ひそかに胃痛(いつう)に苦しんだりする。

 

 だって、言えないだろう。

 兄がああなってしまったのに、さらに俺も、だなんて。

 それを言い出した時の親の絶望の表情(かお)がカンタンに目に()かぶ。

 だから、言い出せなかった。

 

 所詮(しょせん)はギリギリ()えられる程度(ていど)(なや)みだったんだろう――そう言われてしまえばそれまでだ。

 だけど俺としては、歯を()いしばって乗り()えてきたつもりなんだ。

 

 人の悩みや苦しみの、誰の方が重くて誰の方が軽いかなんて、一体誰に(はか)れるだろう。

 それは問題の重さにもよれば、本人の問題解決力やストレス耐性(たいせい)にもよる。

 兄の(かか)える痛みがどの程度(ていど)のものかなんて、俺には(はか)り知れない。

 俺の抱える痛みより重いか軽いかなんて、余計(よけい)に分からない。

 

 兄とはたまに台所ですれ違った時、挨拶(あいさつ)や軽い世間話(せけんばなし)程度のことはする。

 あえていつも通りの何でもない会話を、いつものようにへらへら笑ってする。

 兄は前より口数が()ったが、相変わらず俺を小馬鹿にする。

 きっと、そうすることで、ささやかな安心感でも()ているのだろう。

 

 きっと俺が何を言っても、兄は変わらない。

 俺の言葉に、あの()ざされた(とびら)を開く力なんて無い。

 他人を拒絶(きょぜつ)して自分の世界に引き()もる兄は“小馬鹿にしている弟()”に救われたいなんて、欠片(かけら)も思っていないだろう。

 それでいながら、兄の苦しみを理解できない弟を、(うら)んだりしているのかも知れない。

 

 兄弟ってのは奇妙な関係だ。

 その胸の内を推測(すいそく)できても、本当に何を考えているのかは、結局(けっきょく)のところ分からない。

 俺は兄の本心を知らない。

 兄だってきっと、本当の俺を知らない。

 俺が今まで何を我慢(がまん)してきたのか、何を(かく)してへらへら笑うのか……きっと兄は、一生知ることはないだろう。

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