坂は無心で登れない
第二の街『イストーレイク』は、始まりの街と違って平地ではなく山麓に栄えた街である。北側には霊峰に及ばずとも、都内の山岳並みの標高を誇る『グンデル山脈』が聳え立っており、街の南門からその方角に向かって登り坂と階段が延々と続いている。現実なら思わず「うわぁ……」と不満を漏らしそうだが、肉体的疲労の存在しないこの仮想世界において、感じられるのは傾斜のみだ。
アーカイブクリスタルの建つ聖堂前広場を後にして数分、北門に続く石階段の途中でふと歩みを止めて振り返った私の視界に入ったのは、眼下に広がる洋風の街並みとその遥か西に広がる湖の水面が反射する陽光の輝きだった。
「———へぇ、昨日はそんなことがあったのか。それは災難だったな」
背後の景色の美しさには目も暮れず、数歩前方で階段を登り続けるルナセラが愉快げな口調で言った。
「……言っておくが、笑い事じゃないからな。本当に大変だったんだぞ。たった二人であんな巨大な魔物に挑むなんて、現実なら自殺行為以外の何物でもない。私なんか終盤には片腕を吹き飛ばされて、危うく死にかけたし」
「まぁ、そういうのもVRゲームの醍醐味の一つってやつさ。現実じゃできない無謀も、こっちなら何度だって挑戦できる。最近じゃ、命を軽んじているなんて考え方もされてるらしいけど、むしろ現実で命を大事にしているからこそ、ゲーム内では思いっきりはっちゃけられるとも言えるしな」
その考えに関しては共感できなくもない。たとえ仮想世界で自殺行為を繰り返していたとしても、それが現実でも自殺行為を繰り返す理由には必ずしもなり得ない。彼の言うように現実でできないからこそ、そのストレスをこちらで発散していると考えた方が自然だし、何より救いがある。
「それに、リュウナはその時パーティー組んでたやつに回復してもらったんだろ? しかもエリクサーなんて高級品で。しまいにそのゴーレムまで倒せたんだから、減った時間とHPバー分以上の成果はあったんじゃないのか?」
「ん……それもそうだな。とんだ寄り道だったが、思い返せば言うほど災難でもなかったのかもしれない。レベルも上がって新スキルも得られたし、他のプレイヤーの戦闘も見ることができた。良く言えば、得難い経験というやつだったんだろう」
「だな。そういえば、そのプレイヤーってどんな奴だったんだ?」
「ふむ……端的に言えば、不遜なやつだった。だが話してみると案外根は悪くなさそうでもあったな。高圧的な態度で表面を固めてはいるが、感謝や労いの言葉はしっかりと言ってくれる。それ以外だと、中身が女性だってことぐらいか……」
正直苦手なタイプではある。しかし同時に憎めるような相手でもない。面倒なやつ、というのが私の中で総合的に判断された彼女の印象だった。
「なるほど。つまりは、ツンデレってやつか」
「ツンは分かるが、あれをデレと言うのは少し違う気もするぞ……」
「む。そうか……」
ルナセラはそう言って数歩先の階段上で立ち止まると、くるっとこちらを振り返りながらその腰に片手を当て、ワザとらしい表情を作った。
「べ、別にお前のために道案内してるわけじゃないんだからねっ!!」
可愛らしい声音が届くと同時に、仮想の涼風が金色のツインテールを揺らす。数秒後、元に戻った顔で彼は私に訊ねてきた。
「今のどうだった? ツンデレキャラっぽかったか?」
「ん? ああ、もしかして演技だったのか? 台詞内容も特に間違っていないし、元々お前がイベント報酬のために私をBOOに誘ったのは知っていたから、てっきりその姿に心まで引っ張られて性格が急変したのかと思ったぞ」
「んなわけあるか! ていうかマジレスやめろ。恥ずかしくなってくるじゃねえか!」
安心しろ。往来でツンデレの真似事をしようと考えた時点で、お前は充分恥ずかしいやつだ。
そもそもシャルルの中身は確かに女性だが、外身は男性なのでその時点で方向性が違う気がする。
彼は赤面させた美少女顔を両手で覆い隠すと、数秒間「ぬおぉぉぉ」と羞恥に悶えるような声を出した後、やや足取りを荒くして再び階段を登りだした。
「……は、話を戻すが……そいつは、他に何か特徴はあったか?」
「そうだな。メイン武器は槍だったぞ。マオ先輩が使っていたものより少し大きかった」
「へぇ……ちなみに魔法とかは使っていたか?」
「うーん、魔法というよりはスキルかもしれないが、投擲した槍を遠隔操作していたな。ブーメランみたいに自分のもとへ戻ってきていた。あとは槍に黒い炎を纏わせたりもしていたか……」
「ふむ。なら恐らくそいつは【魔槍術士】だな」
「魔槍術士?」
「簡単に言えば、魔剣士の槍術士バージョンってやつだ。魔法効果を武器に纏わせたり、専用のスキルで槍を遠隔操作できるらしい。普通の槍術士が近距離特化型なのに対して、魔槍術士は中から遠距離攻撃もこなせる万能型だ。対人戦だと地味に厄介な相手でもある」
前に同じような相手と戦ったことでもあるのか、ルナセラは実感の伴った声音でそう言った。彼ほどの剣士が厄介と評するジョブということは、シャルルもああ見えてかなりの実力者なのかもしれない。実際、フィールドボスにたった一人で挑もうとしていたくらいだ。あの時は思わず助太刀してしまったが、彼女なら案外一人でもどうにかなったのではなかろうか。
「明日のイベントでうっかり遭遇しないようにしなくちゃな」
「は? どういう意味だ?」
「ああ、そういえば話してなかったな。今回のイベントは基本的に魔物を狩ってポイントを稼ぐ形式なんだが、実は対人戦でもポイントがゲットできるらしくてさ。特に上位のプレイヤーは、魔物よりもプレイヤーを狙ってくる可能性が高いんだよ。まぁ、フィールドは広いし、そう簡単に遭遇したりはしないと思うけど、気を付けておくに越したことはない」
どうやら思った以上に野蛮なイベントだったらしい。PKが横行する可能性もあるなど、初心者が涙目になるぞ。そう言ってる私も一応初心者ではあるのだが。
「ま、いざって時は俺が守るし、初心者には救済措置もあるって話だ。安心しとけ。それよりも今は目先の問題だ。あのグンデル山脈を抜けるのに、少しだけ手こずる可能性がある」
彼はそう言って前方に聳え立つ灰色の山脈を指差した。
「というと?」
「まず、道中エリアボスと九割以上の確率で接敵する。しかも厄介なのがそいつらの連携技だ。俺は運良く初見で躱せたが、正直あれは今までで一番ヒヤッとしたぜ」
「連携技……つまり相手は二体以上いるのか?」
「まぁな。飛竜……ワイバーンって言えば分かるか? あいつら飛行能力あるから、空中歩行のスキルが無いと倒すの滅茶苦茶面倒なんだよ」
「ゴーレムときて今度はワイバーンか……」
肉体的疲労はこの世界には存在しない。しかし、北門直前の階段を登り終えた私の全身は、内心の不安に同調するかのように重くなっていた。
「さぁ、レッツ登山! 道中は落石やワイバーンにご注意くださいってな」
「なんて物騒な登山だ……ちなみに迂回ルートとかは無いのか?」
「接敵確率が多少下がる代わりに、登山がロッククライミングになるぞ。ちなマッターホルン級の反り」
「誰がやるんだその地獄のクライミング……」
「マゾなクライマーとか? 噂じゃ結構穴場らしいぜ」
「滑落してしまえ」
アルプスの女王をなめるな。いや、むしろ這いつくばって靴でも舐めてろ。マゾなんだし。
とにもかくにも正規ルートを進むしかなさそうだ。私達は装備とアイテムを再チェックした後、グンデル山脈の山門へ向かって歩き出すのだった。




