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晴れのち天気雨

「……なぁ、少し思ったんだが……」


 唐突にそう切り出してきた悠真に、私はヘラで水羊羹を掬い上げたまま視線と首の動きだけで続きを促す。すると彼は片手を上げて私の頭上を指差してきた。


「その帽子、食べる時に邪魔にならないのか?」


 そこには、つばの広い麦わら帽子があった。元々母のだったものを譲り受けたのだが、その母もまた祖母からこれを貰ったらしい。訊くところによるとその昔、祖母の夫……つまりは私の祖父が彼女へ初めて贈った誕生日プレゼントなのだそうで、しかもなんと海外の職人へ依頼したオーダーメイド品らしい。

 恐らくはこの世に二つと無い麦わら帽子。それが何故親子三代に渡って受け継がれてきたのか、これには深いようで意外にも浅い理由がある。


「んっ……ふむんむ」


 水羊羹のヘラを口に挟みながら私は自らの前髪を一房掴み、次いで帽子を指差した。


「ああ、なるほど。髪を隠すためのか……そうだよな、すまん」


「……構わない。別にこの髪色はお前の所為ってわけじゃないんだからな」


「いや、でも……俺があの時お前をちゃんと助けていれば……」


「よせ。終わった過去を蒸し返すな。それに普段のお前は、私の髪色など些細な事のように接するだろう。あの陽気さは何処へ行ったんだ?」


「あー……いや、なんか今日は調子悪いみたいでさ。昨日の疲れでも出たかな?」


 バツが悪そうな顔のまま後頭部を掻く悠真。その頬は若干紅潮している。まさか発熱しているのではあるまいな。いや、だが先程までは何ら変わりないいつも通りの彼だったはず。あまり慣れない場所に来た所為で感覚でも狂ったか。


「…………はぁ、仕方ない。ほら」


「へ……?」


 おもむろに目の前に差し出されたわらび餅の皿に、悠真は目を丸くしてこちらを見た。


「半分やる。元々お前の金で買ったやつだしな。食べる権利ぐらいあるだろう」


「お、おう……それもそうか。じゃあ、お言葉に甘えて…………んむ、美味い」


 彼はそのままパクパクと食べ進め、きっちり半分食してから皿を返してきた。

 やはり脳の疲労を癒すには糖分に限る。今日ここに来れたのは僥倖だったのかもしれない。舌の上で広がる和菓子特有の深い甘みに、緑茶のほのかな渋みが合う。その逆順で食べた場合もまた趣深し。そして何より、和の空間で和を味わうことこそが最も日本人らしいのではないか、と個人的には思う。


「あむ……ん~~~っ」


「花より団子……いや、花と団子が合わさってら」


「むっ? 何か言ったか?」


「いいや、別に何も」


 そう言って彼がこちらへ向けてきた微笑みは、何故か今まで見てきたものとはどこか少し違うような気がした。


             ○   ○   ○


 堪能した。向こう半年は今日の記憶で何とかやっていけそうである。

 決して冗談ではない。それぐらい甘味というのは私にとって心の支えの一つなのだ。言うなれば自動車にとってのガソリン、植物にとっての水と肥料である。ここに軽油を入れたり、過剰量の農薬を撒いたりするような人間がいたら、即鉄拳制裁であるので注意してもらいたい。


「ご満足いただけたようで何より……って、結局自腹でお土産も買ったのかよ」


 私の手元に下がった紙袋を一瞥した悠真は、心底呆れたような表情をしていた。


「これは非常食だ」


「……なんて?」


「非常食だ。それと教材……家で研究して自作できるようにするための」


「さいですか……ま、七弥が良いならいいけど」


「あ、ちょっ……」


 何故唐突に菓子を奪う!? こいつまさか、自分の背の高さを利用して私の手が届かない所へ…………持ち上げることは無いと。は? 一体どういうつもりだ?


「重いだろ?」


「失礼な。私の体重は現代女子高生の最良値をキープしているぞ」


「そうじゃなくて。この紙袋、結構デカいし重たそうだったから」


「ああそういう……なら事前に断れ。盗られるかと思ったじゃないか」


「盗らない盗らない。俺がお前から何か奪ったことなんてあったか?」


「…………………………………………………………………………無いな」


「思考長っ。どんだけ記憶を遡ったんだよ」


「………あっ、やっぱりあった」


「え、マジで? 俺、何を盗った?」


「時間」


「そこは合意の上ってことで勘弁してくれませんかね……?」


「ふむ……まぁいいだろう」


 それが有意義に使われたのであれば、私にも利はあったということになるからな。


 和菓子店を後にした私達は、駅構内を談笑しながら並んで歩く。昨日降った雨で濡れた大理石の床は、ガラス張りの天蓋から射す陽の光を反射していつも以上に輝いていた。そこを大小様々色とりどりの靴が踏み歩いて行くのだから、足元だけ切り取ればまるでどこかの画家が描いた風刺画のようでもある。

 しかし日曜の駅というのは人が多い。夕方が近いということもあって、一時間程前よりも更に混み合っている。ああ……酔いそうだ。


「っ! 七弥———」


「え? ふわっ!? す、すみませ———んぶ」


 くっ……麦わら帽子のつばが広いのが裏目に出た。悠真が咄嗟に腕を引いてくれなければ、肘じゃなく正面衝突を…………正面……に…………悠真の、顔…………これって。


「おっとと、これまた昨日のあれみたいになったな……」


「あ…………えと、す、すまない。私の前方不注意で……」


「い、いや、大丈夫だ。事故なのは分かっているからな」


 すぐさま悠真から飛び退いて身形を正す。服に汚れ無し、帽子は……無い。さっきので落としたか。辺りをキョロキョロと見回して必死に探す。数秒後、近くの人がそれを拾っているところが見えた。


「あ、あのっ! その帽子、私ので———」


「すみません! それ、俺達の落とし物です!」


 こちらが手を伸ばすと同時に、悠真が私よりも大きな声で呼びかける。彼は背中に私を隠すように割って入ると、最後まで私に何もさせずに帽子を受け取って頭を下げた。


「ほい。多分傷は無いと思うけど、一応確認しておけよ」


「あ、ありがとう。でも、どうして……」


「ん? いやまぁ……その、あんまり目立つのは好きじゃないんだろ? それにさっきの人、男だったからさ。七弥は…………もう少し、言葉通りの危機感を持つべきだと思ってな」


「はぁ……??」


 帽子を被り直しながら私は怪訝な顔をして首を傾げる。

 彼が何を言っているのかがさっぱり分からない。言葉通りの危機感を持つとはどういう意味だ。確かに前方不注意は私の危機感の欠如と言えるが、それと髪色が目立つ事は別問題だろうに。あと、拾ってくれた相手に感謝ぐらい自分で言わせろ。お前は私の保護者か。


「さ、もう行こうぜ。ここも大分混んできた」


「……ああ」


 全くおかしなやつだ。子供のような表情を見せたと思えば、大人顔負けの大人っぽさを纏う時もある。何事にもあっけらかんとした表情で臨む時もあれば、些細な事に大袈裟な反応を見せる時もある。

 十年以上幼馴染をやってきているというのに、何故彼はこんなにも掴みどころが無いのか。


「それとも、掴みどころがあり過ぎるのか……」


 全ては神と当人のみぞ知る。私はそう脳内で結論付けると、彼の斜め右後ろに隠れるように立った。そこで一度肩越しに振り返った彼の目は、夕陽を受けて微かに揺れていた。




 ———ほんの少し前


「…………やっぱりあれって……どうしてこんなところに…………」


 その台詞に合わせて切られたシャッター音は、人混みの喧騒に吞まれていった。

 実を言うと、七弥は普段の登下校時には帽子を被ったりはしていません。

 では何故今回だけ被ってきたのか。理由は主に三つあります。

 まず一つ目は日差し対策。これは普通に麦わら帽子本来の用途です。

 二つ目は衆人環視の中で髪を隠すため。七弥が悠真に伝えたのはこの意図です。

 そして三つ目は、自分の顔を隠すためです。正確には、自分が悠真と一緒にいるところを誰かに見られないようにするためです。

 何かと学校で人気の彼が自分なんかと休日一緒にいるとバレれば、昔に自分が味わった苦痛を彼も受ける羽目になってしまう……と七弥は考えた結果、つばの広い麦わら帽子を選んだわけです(ま、結局バレたんですけどね)。具体的な描写が無いのは、彼女が心の奥底で常に意識しているからと思っていただければ。ちなみに、三つの比率としては1:3:6という感じです。

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