VR初体験
ゲームの歴史はハードの歴史である。そして、ハードの歴史とは情報通信技術の歴史と言っても過言ではない。
十数年前、日本のとある大企業が開発したスーパーコンピュータが、計算速度の世界記録を大幅に塗り替えて一位に返り咲いて以降、国内の関連技術は軒並み発展の一途をたどっている。その中でも群を抜いて成長したのが、脳科学と情報通信技術の合の子である精神没入技術である。
文字通り自らの精神を電子の世界に没入させることが可能なこの技術は、一昔前から度々描かれてきたフィクションを現実のものとした。
すなわち、フルダイブ型VRゲームの台頭である。
ゲーム世界を自らの足で旅できる。その経済効果は、対応ハードの売れ行きだけでも二十一世紀前半から続いていた不況を一気に好転させたほどだ。
それから早数年。今まで金銭的な事情により手を出してこなかった私の下にも、ついにVR機器がやって来た。商店街の福引で当てたとはいえ、決して安くないこれをポンと幼馴染にあげてしまう悠真の思考は、正直どうかしていると思う。当人は元がタダ同然だから無問題とでも思っているのだろうが、ハードに加えてソフトも渡し、更には交渉のために高級和菓子三つ分も自腹を切るなど、私が彼と同じ立場なら到底考えられない。
悠真が何故断らなかったのか今でも疑問だ。些かの罪悪感も……まぁ無くはない。でもどうせ自業自得と言えなくもないので、頭の隅に追いやることにしようそうしよう。
「ゲームのインストールは……よし、完了しているな」
帰宅後、初期設定に引き続き夕食と手洗いも予め済ませておいた私は、早速ゲーム機本体のヘッドセットを頭に装着してベッドに横になる。視界の端に映る【Installation Complete】の文字。それを眺めて一度ゴクリと喉を鳴らすと、私はギュッと目をつぶって「ダイブ」と呟いた。
直後、背中にあった毛布の感覚がみるみるうちに遠ざかり、代わりに足の裏を滑らかな地面が撫でる。
『ようこそ、ブレス・オブ・オリジンの世界へ』
「ひっ……!?」
目の前でいきなり響いた合成音声に思わず情けない声が出る。恐る恐る顔を上げると、そこには空中を浮遊しながらクルクルと回転する銀色の立方体があった。
どうやらこのキューブが先の声の出処のようだ。少し遅れて表示されたゲーム内個人情報に関する同意に "はい" と答えると、再びキューブから合成音声が響いてきた。
『ここは、あなたの才能と力を存分に引き出せる原初の息吹に満ちた世界です。自らにとって理想の人生を描くも良し、他者のような理想を追うも良し。時には自由に世界を旅し、時には武勇に邁進し、時には栄光を掲げて仲間を導きながら、あなたは可能性の———』
「…………??」
ダメだ。良くも悪くも複雑すぎて分からない。恐らく、世界観に照らし合わせたゲームコンセプトの説明のようなものなのだろうが、武勇だとか栄光だとか、普段あまり耳にしない言葉が使われている所為で理解が遅れる。とにかく自由なゲームという雰囲気だけは伝わってきたので、良しとしよう。
その後も何か言われた気がするが、パッケージに書かれた簡単な説明文すら読んでいなかった私は、次の項目に移るまでずっと半目でキューブの話を聞き流していた。
『それではキャラクターメイキングに移ります。まずは性別をお決めください』
「やっとか。とりあえず性別は女にして、見た目は……なになに "自身をベースモデルにキャラを生成" ……」
チラッと見上げた視界の端に表示された時刻は《19:20》。キャラメイクにどれだけ時間をかけるのがセオリーなのかは知らないが、そんな悠長に細部をいじっている暇もあるまい。私は、ええいままよ、と画面の【出力】ボタンをタップした。すると、毎日鏡の前で会う不機嫌そうな顔をした少女の立体像が浮かび上がる。
「身長と体型は変えなくていいか……けど流石に見た目そのままはマズいだろうし、せめて髪色と髪型ぐらいは変えて……あ、あれ? なんで髪の毛が所々蒼く……まさか、現実の私をベースにしているからか?」
こんな細部までスキャンできるのかこれは。もし仮に網膜や指紋まで読み取れるのなら、詐欺や窃盗などの犯罪に使い放題だ。少々同意するのを早まったかもしれない。まぁ、そんな事はないからこそゲームとして発売されているのだろうが。
十五分ほどかけてキャラクターメイキングを完了する。見た目は現実世界の私から幼さと白髪を取り除き、髪型をストレートからポニーテールに切り替えた感じだ。正直に言えば、もう少し目元の印象を自分から遠ざけたかったのだが、面倒なので次の項目に移ることにする。
『プレイヤー名を入力してください』
「名前……本名はダメだろうな。じゃあ……」
『プレイヤー名【リュウナ】で登録いたします。よろしいですか?』
私の本名『龍宮院七弥』から "龍" と "七" を取って龍七。我ながら安直だとは思うが、これ以外に思いつかなかったのでしょうがない。
自身のネーミングセンスに一抹の失望を感じながら、私は【はい】のボタンをタップした。
『次にジョブ設定に移ります。このゲームにおけるメインジョブは、システムがプレイヤーに最適と判断したモノから選択できます。また、サブジョブはゲームを進めていく中で獲得できます』
「ふぅん……」
大抵の人間はここで何らかの反応を示すのだろうが、生憎と私は今までこの手のゲームに全く触れてこなかった身だ。故に、メインとかサブとか聞かされてもいまいちピンとこない。それよりもさっさと先に進めて欲しいのだが……どうも処理に時間がかかっているようで、正面の立方体がグルグルと高速回転していた。
『———適性ジョブの解析が完了しました』
体感五分弱といったところか。インスタントラーメンの麺が伸びるには十分な時間が過ぎた頃、私の目の前に半透明の画面が表示された。それを片手で下にスクロールしていき、やけに長い空白が続いた先にそれは書かれていた。
『貴女に適性のあるメインジョブは【剣聖】です』
「…………は?」
何だって? 剣聖? 剣聖ってあの塚原卜伝とか、上泉信綱とか、戦国時代や江戸時代に名を馳せた剣士みたいな? いやいやいや、流石に私がそんな大層なジョブになるわけ……うん、バッチリ書いてあるな。おまけにルビ付きとなれば、ぐうの音も出ない。
さて、どうしたものか。画面を上下にブンブンスクロールしてみてもやはりこの二文字しか書かれていない。空欄を連続タップしても反応無し。
諦めた。そもそもジョブの良し悪しなど、フルダイブはおろかゲーム初心者の私に分かるわけがない。本来なら攻略サイトを事前に確認しておくべきなのだろうが、今更ログアウトするのも面倒だ。
とりあえずこのままゲームを開始してみよう、と【OK】のボタンをタップする。
『それではチュートリアルを開始します。専用フィールドへの転送を開始いたします』
直後、こちらの全身が虹色の渦に包み込まれる。螺旋状に巻き上がった光の粒子が次々と弾けては集まり、それに呼応する形で肉体が徐々に再構築されていく。
服装はどうやらジョブ依存らしい。自身の身体が作成したキャラへ完全に置き換わる頃には、私は白色の着物に黒の袴といった和服を身に纏い、先程とは異なる地面を踏みしめていた。
前半の設定はほぼフレーバー的なやつです。