背後に夕陽 片手にプリント
放課後。ホームルーム前に帰り支度を済ませていた私は、授業に疲弊しきった同級生達の帰りの挨拶を聞き流しつつ、ひっそりと教室を出た。この隠密技術だけは自分が中学の頃より磨き上げた唯一自信を持てるモノと言っていい。なにせ女子達に絡まれることも、校舎裏に呼び出されることも無く直帰できるのだから。将来はこれを活かした職にでも就けないものか……無いか。
「おーい、七弥。今日は部室、寄っていかないのか?」
「ちっ、今日も撒けなかったか」
実を言うとこの隠密、どういうわけか悠真にだけは通用しないのである。稀に成功することはあっても、その時は彼の方が私を探していないだけで、それ以外は毎回校内のどこかしらで悠真に鉢合わせる。あまりの遭遇率に一時はストーキングも疑ったが、どうやら全て偶然の産物らしいと気付いた時には神の采配を恨んだものだ。
そして今回も神の手は私の運命を容易く変えた。場所は教室を出て少し先の廊下中央。普段とは違って裏階段から帰るつもりだったのだが、その計画も泡沫と消えてしまった。
私は憎々しげな目を極力隠しながら、近寄ってくる悠真に先の返答をする。
「ウチの部は基本自由参加だ。寄るか寄らないかは私が決める」
「それもそうか。じゃあ途中まで話そうぜ。丁度ゲームについて少し話しておきたい事もあったし」
「……はぁ」
もとより逃げられるとも思っていない。私は大きくため息を吐くと、目線と顎で廊下隅にある裏階段を指してから歩き出す。それを肯定と見なした悠真が早足で隣に並んだ。
「例のゲーム『ブレス・オブ・オリジン』なんだが、フルダイブ型VRゲームの金字塔って言われるだけあって、フルダイブ初体験の七弥にとっては地味に難易度が高いと思う。特にゲーム内のUIとかシステムとかはかなり複雑だ。だから開始直後のチュートリアルで、ある程度慣らしてから進めるといい」
「ふぅん……わかった」
「一応今日は俺も始まりの街周辺にいるから、何かあったらいつでも呼んでくれ。はい、これ俺のフレンドコード。チュートリアルが終わった後にでも登録しておいてくれ」
そう言って渡されたのは、半角英数字十桁がど真ん中に書かれたB5サイズの用紙だった。どこか見覚えあるような気がして私はふとそれを裏返してみる。案の定、そこには小さな文字と数字でできた小問が数個並んでいた。
「……おい悠真、これ今日の数学の小テストじゃないか。何故こんなものの裏に書いた?」
「別にもう使わないだろうし、それなら再利用した方がいいだろ?」
「ゴミを押し付けられるこっちの身にもなれ。第一、テスト勉強では使わないのか?」
「いやぁ……俺、テスト勉強とかあんまりしない方なんだよな」
「普通にこの前の中間テストでクラス内総合七位だったやつがよく言う」
「お前だって五位だったじゃないか。俺に文句言っていいのは俺以下のやつだけだぞ」
「馬鹿言うなバカ。そもそも私より順位の低いやつに意見する権利など無い」
「暴君かよ……」
お前限定だがなと言ってやりたかったが、それはそれでなんか誤解を招きそうなので黙っておく。
私達は階段を降りて部室のある二階まで来ると、一旦踊り場付近で立ち止まった。
「じゃあまた明日。いや、もしかしたら今夜中に会うこともあるかもしれないな。その時は一緒にパーティー組んで遊ぼうぜ」
サムズアップする悠真。その白い歯と少し傾けた顔に浮かべた快活な笑みは、近くの窓から射す薄い陽光を受けて一層輝いている。いったいどれほどの人数がこの顔に堕とされてきたのか。想像するだけでこちらに向かう嫉妬の矢の本数まで知れてしまいそうで怖い。
そんな事を思いつつ私は「もし会えたらな」とだけ返す。おう、と返ってきた短い返事は廊下の壁に反射して、部室へ向かう悠真の足音と重なり消え去った。
「…………」
私は彼の背中を最後まで見送ることなく裏階段を下り、当初の予定通り帰宅の途につくのだった。
正直ここまでがプロローグと言っても過言ではありません。