強敵は期せずして襲い来る
『ブレス・オブ・オリジン』———通称BOOは、今世界で最も多くの人間にプレイされているVRMMORPGにして、長きに渡るオンラインゲームの歴史を大幅に塗り替えた革命的作品でもある。
最先端技術である精神没入技術を惜しげもなく使うどころか、仮想空間上に現実と遜色無い世界を創り出したこのゲームは、発売から僅か五日で世界各国のあらゆるゲーム店舗で品切れが続出するほどの人気を博し、半年が過ぎた現在でも品薄状態が続いているという。
「このゲームの魅力は何といっても “果ての無さ” だ。ジョブの種類、クエストの数、フィールド、どれを取っても未だ底が見えないと言われている。諸々の情報を本にしたら六法全書よりも分厚くなるらしいぞ」
「なるほど。通りで関連サイトを検索しようとすると、パソコンの速度が重くなるわけだ」
アインツトーンの街近辺に広がる『レミニス平原』を歩きながら、私は改めてこのゲームのクオリティの高さに感心していた。
今まさに自分の踏みしめる道の石畳が足の裏を押し返す感覚も、ふとした時に吹きつける微風が周囲の木々を揺らす音も、大気に満ちる草花の香りも、全てがあちらの世界と変わらないレベルの情報密度を有している。
まさにもう一つの現実だ。蒼穹の下、地平線の彼方まで続く広大な平原は、悠真もといルナセラの言うように、本当に果てが無いように見えた。
「ところで、昨日話していた専用武器ってその腰に差してるやつか?」
「ああ。聖刀〈無窮合一〉なんて仰々しい名前が付いているが、見た目は案外普通の刀だろう?」
「へぇ……これが始原級の武器……確かにパッと見じゃ分からないな。けど、【鑑定眼】でも読み取れないってことは必然的に神話級以上の武器ってことになる」
「鑑定眼?」
「未所持の武器やアイテムなんかの情報を読み取れるスキルだよ。【目利き】っていうスキルの進化形で、俺もついこの間獲得したばっかなんだ」
彼曰く【目利き】スキルの獲得には、計五十種類以上のアイテムおよび武器を観察する必要があるのだとか。加えて、そのレベル上げにはスキルを何度も使用しなければならず、鍛冶師や武器商人のジョブでも無い限りすぐに最大にはできないらしい。
「他にも観察が獲得条件になっているスキルがあるから、なるべく色んなものを見ておくといいぞ」
「わかった。だがお前はそろそろ顔を戻せ。いつまで私の腰に話しかけるつもりだ」
「いやぁ、悪い悪い。始原級の武器なんて初めて見たから、つい」
ヒョイと整った顔を上げたルナセラは、そう言って照れくさそうに頭を掻いた。あちらとは違う少女の姿をした彼だったが、その一挙手一投足には少年らしさが滲み出ていた。
車一台分の幅の石畳に沿って平原を歩くこと数分。ふと、半歩前を歩くルナセラの歩みが止まった。
「まずいな……よりにもよって、こんなところでアイツに出くわすとは」
そう呟いた彼の視線は、私達の進行方向上に立つ一匹の魔物へと向けられていた。
丘のような巨躯に波打つ鬣。陽光の下でも朱色の映える全身は筋肉質だが、真に恐れるべきはその口元に光る鋭い牙だ。サーベルタイガー並みに長いそれには、真新しい緋色のポリゴンが付着している。後方で鎌首を擡げる巨大な蛇はどうやら尻尾らしい。
「【The Wild Chimera】……直訳で野生のキメラか」
「アイツはこの平原のレアエネミーだ。基本的にランダムエンカウントなんだが、稀にこの街道近くに出現することがある」
「強いのか?」
「俺のレベルなら大した相手じゃないが、攻撃速度が異常に速い。背後を奇襲されることもあるし、油断すると致命傷を喰らう。少なくとも初心者が敵うような相手じゃないな。しかもアイツ、どうやらこの辺の魔物を朝飯代わりに喰ったっぽい。ああくそ、空腹個体は通常よりも鼻が利きやすいんだよなぁ」
そう言うとルナセラは困ったように腕を組んだ。数十分前に彼から提示されたレベル上げ専用の狩場は、この平原を抜けた先の樹海にある。ここであえて強敵と戦うメリットはほとんど無い。強いて言えば、レアエネミーというある意味幸運な要素を見逃すことになるのだが、私がまだレベル1の初心者であることを考えると戦闘のリスクが高すぎる。
「悠……ルナセラだけならアイツを倒せるんだろう? 私は草陰にでも隠れているから気にせず戦え」
「やっぱそれしかないか。すまん、ちょっと時間食うかもしれない」
「別に構わない。もとより自分のレベル上げに付き合ってもらっている身だ。多少のトラブルぐらい素直に受け入れる」
「そっか。ありがとう、リュウナ。じゃあちょっくらあのクソ犬倒してくるわ!」
いや、どっちかというと猫科じゃないかあれ。頭が獅子なわけだし。
そんなこちらの疑問をよそにルナセラは自らの腰に携えた二本の剣を抜き放つと、キメラに向かって走り出した。私はその間に、近くの茂みに身体を隠して戦いを見守ることにする。
「フウゥゥゥゥゥ……グルアアアアアッ!!」
彼の接近に気付いたキメラが、朱色の全身を震わせて咆哮を轟かせる。逆立った鬣がまるで生き物のようにうねり、同時に薄っすらとオーラのようなものを纏い始めた。
対するルナセラは両手の剣を顔の前で交差させると、そのまま相手の間合いに突っ込んだ。
「ガアアッ!!」
「もらいっ!」
足元の敵を踏みつぶそうと振るわれたキメラの前足攻撃が、直撃寸前で二つの軌跡に弾き返される。黄色のスキルエフェクトを纏った彼の双剣が、次いで相手の胸から下腹部までを袈裟斬りに薙いだ。
「お前、正面から突貫にはいつも同じ攻撃するよな。おかげで【ジャストパリィ】がしやすい。ほらほら、そんな風に呆けてるとすぐ倒しちまうぞ。ま、もとよりそのつもりなんだがな!」
一面に緑が広がるフィールドに、多彩色の剣閃と緋色のポリゴンが舞う。まるで普段の明朗快活な気性が刃の形を得たかのように、ルナセラは四方八方へ相手の攻撃を避けながら着実にダメージを与えていた。更には、避けられない攻撃も武器を使って上手く受けることで、ダメージを最小限に抑えている。
強い。昨日のチュートリアルクエストで戦った伽藍洞の騎士よりも確実に。自分についてはまだ疑いの段階だが、彼は間違いなく剣才に等しいモノを持っている。客観的な視点というのは、こうも他人の才を詳らかにするものなのか。
「さてと。もうそろそろキレる頃合いか?」
一旦大きく宙返りして距離を取ったルナセラが冷静な声音で呟く。いつの間にかHPの半分以上を削られていたキメラが、不意に動きを停止させてその太い首をグググと捻った。
「え……?」
ほんの一瞬だけ、私の目と奴の血走った瞳が交差した気がした。




