モーニングサプライズ
見渡す限りの青空に綿毛のような白い雲。穏やかな風がサワサワと髪を揺らし、暖かな陽射しが大地を包む。
本日は快晴なり……本日は快晴なり……もちろん、電子の世界の話である。
生憎と現実世界では今朝から土砂降りの雨が降っていた。バケツをひっくり返したようなとはまさにこの事。テレビのお天気アナウンサーが言うには、梅雨前線の影響で発達した雨雲が長時間にわたって停滞しているのだとか。おかげで洗濯物が干せないどころか、髪の毛の手入れもいつも以上に時間を食ってしまった。
その点、仮想世界は常に晴れ渡っているし、いちいちヘアスタイルや化粧などに時間をかける必要も無いので楽なことこの上ない。どうにかしてこの機能をあちらにも実装できないものか……。
視界の隅で点滅する《8:55》の時刻表示をチラッと見やる。そろそろ悠真との待ち合わせの時間だが、彼は一向に姿を表さない。そもそも奴がどんな姿で来るのか想像がつかない以上、既に現れていても気付かない可能性はあるのだが。
「……全く、あいつも高校生ならせめて五分前行動ぐらい———」
「ちょっとよろしいでしょうか?」
「ひゃあっ!」
背後からいきなりかけられた声に思わず背筋がビクッと跳ね上がる。まさか見知らぬ人間に背後を取られる羽目になろうとは、剣聖のジョブ名が草葉の陰ですすり泣く声が聴こえそうだ。
噴水の縁に片手を付きながらゆっくりと後ろを振り返る。そこに居たのはこちらよりもやや背の高い、金髪ロングのツインテール少女だった。
こちらが和装であるのに対し、彼女はほぼ現代服に近い無地のシャツに亜麻色のジャケットのようなものを羽織り、藍色のショートパンツを履いている。どこぞのファッション誌に載っていそうな恰好と言えば分かりやすいだろう。しかしただ一点、その細い腰に携えられた二本の剣が、少女が確かにこの世界の住人であることを如実に表していた。
一度咳払いをしてから彼女に向きなおる。
「な、なんでしょうか?」
「つかぬ事をお訊きしますが、お知り合いと待ち合わせをしていませんか?」
「え? あ、はい。そうです……」
「その人は現実で親交のある方ですか?」
「ええまぁ……」
なんだこの人。ゲリラ的な占い師か何かか? それにしては恰好がラフ過ぎる気もするが。
とりあえず不審者からは早々に離れるに限る。手近な逃走ルートを幾つか確認しつつ、私は両足に力を込める。しかし、その直後に彼女の口から発せられた台詞に私の全身は一瞬で硬直した。
「相手の方は男性、それも幼馴染ですね。学校でも同じクラスで互いに名前で呼び合う仲」
「なっ……!?」
「ふっふっふ、どうして知っているのかと思いましたね。当然です。何故なら私は……」
不敵に笑う少女の指がおもむろに宙を撫でる。動きから察するにメニュー画面を操作しているのだろう。何が来てもいいように一応こちらも身構えるが、それと同時にフレンドから念話を受信した旨が眼前に表示される。きっと悠真だ。
よもや遅刻の連絡か? いや、この際だ。催促してでも早く来させて目の前の不審人物を対処してもらおう。
『おはよう、七弥。今———』
『さっさと来い馬鹿。こっちは今変なやつに絡まれて大変なんだぞ』
『変なやつ……それって、金髪ロングのツインテールの女の子か?』
『は……? なんでお前が知って』
『前見てみな、前』
「前って……」
念話で俯きかけていた顔をゆっくりと上げる。そこにはこちらに手を振りながら、片手で妙なジェスチャーをする件の少女がいた。親指と小指以外の指を折り曲げ、手首を小刻みに震わせている。あれは……通話のジェスチャーだ。
「ま、さか……」
「『そのまさかだよ』」
念話越しに聴こえる悠真の声と、目の前の少女が発した声がハーモニーでぴったりと重なる。いつの間にか浮かべられていた快活な笑みは、数秒前の彼女とは似ても似つかず、されど口元に垣間見える白い歯と少し顔を傾ける仕草は記憶に新しい。
彼女がコツコツと茶色のブーツを石畳に鳴らしながら歩み寄る。それに合わせてこちらは後ずさるものの、背後の噴水が邪魔でこれ以上後退できない。
「改めて、おはよう。こっちだとリュウナって呼んだ方がいいか」
「お……は、え……本当に、悠真なのか?」
「おう。そうだぞ。けどこっちじゃ【ルナセラ】って名前があるから、今後はそれでよろしく」
そう言ってサムズアップする姿は紛れもなく悠真だ。しかし何故、よりにもよって男ではなく女キャラなのか。確かに驚きはしたものの、実のところ疑問の方が脳内での割合は大きい。それとなく理由を訊いてみた。
「うーん、まぁ……ゲーム的に有利だからかな。女キャラじゃないとゲットできないアイテムとか装備とかあるし、男よりも女の方が他人に警戒されにくいし。それにな、男は人生で一度くらい可愛い女の子になってみたいものなんだぜ」
「絶対に最後のが本音だろう。遠い目をしていい話風に締めようとしても私は騙されないぞ」
「だよな。でも、現実の見た目に近い七弥だって大概だぞ。リアルバレしたらどうするんだ」
「む……そういうお前こそ、そんな可愛らしい姿でプレイしているのがクラスの連中にバレたら、幻滅されるだけじゃ済まないんじゃないか?」
「ふっ、安心しろ。少なくとも部活の人間には既にバレている」
失うものは何も無いと男らしく胸を張る悠真だったが、生憎と私の前には金髪ロングのツインテール少女しか映っていない。付け加えれば、私よりやや育ちの良いモノが二つほどそのシャツを押し上げており、捲れた裾から肌色が見え隠れしている。
呆れた私の吐いたため息に合わせて、午前九時を知らせる鐘の音が街全体に響き渡った。
基本的に声はキャラメイク時に地声かボイチェンかを選択できます。変身願望を持つ方々は歓喜に咽び泣いたとか。
ちなみに、念話から聞こえてくる声は受け取る側がイメージする相手の声に変換されます。なので目の前の少女が悠真とまだ知らなかった頃の七弥には、脳内にしっかりと現実の彼の声が聞こえています。
しかし、今後はゲーム内での音声に変換されることでしょう。念話に出る度に彼女はしかめっ面を浮かべ、ぞわぞわと背筋を震わせるのかもしれませんね。




