「Moonlight」
えーい、24って書かれたハートのトランプなんてどーでもいい。今は中島君との約束があるんだ。私は慌てて身支度をし、ちゃっちゃと家を出ていかなきゃいけない。こんな悪い夢を見ている場合ではないのだ。
けど、この気持ち悪いトランプをあの不審者から渡されたには確かなる事実である。はて、これは持って行くべきなのだろうか。なんかカードに呪いでもかけられた感じがしてやっぱり怖い。しかしながら、呪いが怖いとか言って、この千載一遇のチャンスを見逃すなんてありえない。ましてや、こんな超常現象を理由にして断ろうとしても信じてもらえないだろう。そんなことした暁には、私は気が狂った人になってしまう。
とりあえず持ち物は…鍵とスマホと…あと何か必要かな?あ、当然エアガンは持って行かない。結局トランプはどうするか最後まで悩んだが、どっちみち呪われてるんだと考えると、御札代わりに持っていくというのがいいだろうと思った。まあ、他はこのぐらいだろう。
一目散に鍵を閉め、マンションの階段を転ばないように注意しながら、ダッシュで駆け降りた。空はもう紺色そのもので、太陽も、深みのあった橙色も、この大気圏からは帰ったように見えた。とにかく急げ、月食が始まってしまうではないか。
――ぜえぜえと息を切らしながら、私は辛うじて19時に間に合ったようだった。公園の柵の内側、ジャングルジム…じゃなくて鉄棒のあたりにある電灯の下に佇んでいたのは、確かにさっき一緒に帰った中島君だった。そうだった、随分前にジャングルジムは危ないって町内会で騒がれて撤去されたんだった。なんでそうつまらないことをするのかな、頭の硬い人たちは…
私が彼を認識したのに少し遅れて、中島君は私を発見すると、すぐに吹き出したように見えたので、私の何がおかしいんだと思いふと下を見ると、まだエプロンをつけっぱなしであることに気づいた。こりゃ笑うわ。私は慌ててエプロンを脱ぎながら、街灯の真下に佇む彼の元へトコトコと歩いていった。なんて日だ。
「お待たせ…待った?」
「いや…待って…ないよ。」
中島君的には、吹き出したことは不問にしてほしいと言わんばかりに、全力で誤魔化そうとしていた。それはそれとして、彼は下校時の制服姿にコートを羽織っていた。とりあえず、制服で来たのは場にあっていたようだった。…エプロンを除いて。
さて、月食が始まるまではあと10分ほどあるらしい。そんなことより、外が寒すぎて何も考える気にならない。特に足。温かい飲み物でも持っていくべきだっただろうか。いや、私もなにか上着を羽織ればよかった。何かそれを解消するべくアクションを起こしたい。飲み物を買うでも、室内に入るでも、ランニングするでも色々あるけど、突然そういうことをし出すと、当然あらぬ誤解を生むだろう。
「ちょっと寒いから、温かい飲み物でも買いに行かない?」
と、私は言ってみた。
「いいね、まだ始まってないし」
私達はこうして、近くのコンビニへ買い出しに行くことにした。といっても、公園を出て少し駅の方向に歩けばすぐだ。月は未だ、白い光を保っている。時間はおおよそわかっていると知っていながらも、何回も何回も確認してしまう。
店のドアを開ければ、息が白く濁るほど冷え切った外の空気に、無駄なほど暖かい人工的な空気が流れ込む。もし今私がメガネだったら、確実に結露してしまうだろう。
「浜名は飲み物何するの?」
彼は聞いてきた。コンビニにおいてある『温かい』飲み物はコーヒーにミルクティーなど、基本はお茶類のみだ。だが私自身馬鹿舌な人間なので、ほんとは温かいコーラとかが飲みたい。…でも待って、よく考えたらぬるいコーラの時点で嫌気が差すのに、ホットコーラなんて飲まされたら溜まったもんではない。いかにも喉越しが悪そうである。いや喉越しってなんだよ、酒かよ。
ボーっとしている時間もないので、ここはミルクティーを選択することにした。理由は言うまでもなく、この棚の中では、一番飲めるものからだ。
一方中島君は、ラベルだけでもう苦そうに見える、アルミ缶のブラックコーヒーを手にしていた。彼は小さい頃からジュースなどの甘いものより、コーヒーなどのにっがい飲み物を好むことは、以前から知っている。逆に彼は炭酸が飲めない。私みたいにコーラを飲みすぎて骨が溶けそうになってる人と違って、彼がめったに体調を崩さないのは、そういうことなのだろう。
会計を終えて、私は飲み物を懐炉代わりにしながら慌ただしく店を出た。あまりの温度差に心臓がやられそうだ。
公園に戻ったとき、よくわからないが、もう少し彼と話がしたい気分になった。でも、さっきの24のトランプのことを話してしまうと、なんか祟にでも合いそうな気がする。私にとっては一番のホットトピックではあるものの、その衝動は確実に抑えるべきだろう。…今日はなんか不思議なことが起きやすいと思う。まあ、こう考えてぼーっとしている間にも、月食は確かに始まっているらしい。
「どうしたんだ、ぼーっとして?」
彼は考え込む私の様子が変だと思ったのか、こう言ってきた。こんな常套句、リアルで言うやついるのかよと思いつつも、捻った答えも思いつかないので、普通に返事をすることにした。
「あれ?大丈夫だよ?」
「あーよかった、生きてた」
「生きてたってなんだよ!」
――そんな会話をしてから、少し時間がたっただろうか。月食が始まるのが、何より中島君と一緒に見るのが待ち遠しくて、まるで秒針が息切れをしているかのように思えた。よく空に目を凝らすと、確かに影は少しづつ月明かりを曇らせていく。中島君の話によれば、最終的には真っ赤になるらしいが、まだ私の目には欠けた銀色の衛星にしか見えない。後50分近くなんて待てない。
あれから5分ぐらい過ぎただろうか。彼は突然、
「あれ…?」
と声を上げたのを聞くと、月が確かに、真っ赤に染まっていた。それはまるで高度なCG合成を見ているようで、画面やホログラム越しに見た景色とは到底思えないほど、神秘的だった。古代の人が月食を世界の終わりと考え、恐れ慄いたのも、どこか理解できるものだった。だが、彼の様子は少し汗ばんでいるようにも、考え込んでいるようにも見えた。まさか、中島君は古代人だったのだろうか?
「何か変…なの?」
私は我慢ならず、彼に聞いてみた。
「早すぎる…予測より45分も…?」
ふと時計を見ると、7時15分を指していた。確かに、中島君が話していた時間は8時と言っていたし、ネットニュースも8時だと言っていた。だけど、人間の予測が外れることは多々あると思うし、今回がたまたまそうだっただけだよ、と言おうとした時だった。
背後から、何かの気配がした。
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