キャンプ〜天職
「とりあえずコウモリを追いたいんだけど」ラトナが言った。遠くで手を振っていた。
「はい」
「シスター、コウモリは」
「1匹目は見失っちゃったけど、もう1匹出てきたからそれを追っているところ」
それから2時間ほどコウモリを追い回した。
突き止めたのは森の奥にコウモリたちがねぐらにしている洞窟があることだった。
洞窟の入り口は地面が陥没したようになっていて、そこから斜め下方に向かってスロープが伸びている形だった。コウモリがひっきりなしに出入りしていた。
「入れそうだね。広いし、傾斜も緩やかだ」
「この奥にモディを生み出す何かがあるのかもしれないってことですか」
「そうだね。可能性としては。テツヤ、日没までどれくらい時間があるかわかる?」
僕は時計を見た。14時半だ。
「昨日の日没が5時半くらいだったのでだいたいあと3時間です」
「森の日暮れは早いからね。あと1刻もすると上から光が入らなくなって真っ暗になる。ちょっと入って出てきただけでも来た道が見えなくなってるはずだよ」
「もう戻った方がいいと?」
「そういうこと」
僕たちは構わない。一番気が急いているのはラトナだ。自分に言い聞かせているわけだ。
僕たちが承諾するとラトナは木に登って笛を吹いた。30秒置きに数回。
「何をしてるんです?」僕はシスターに訊いた。
「龍を呼んでるんです」
「ああ」
5分くらいすると何か大きなものが上に飛んできたのがわかった。樹冠のほのかな明かりの中に影が走るのだ。ラトナは笛の間隔を変えて小刻みにした。
するとラトナの龍が樹冠をぶち破るように降下してきた。散った枝葉がドサドサ落ちてくる。
着地。3人でしがみつく。飛び立つ時は木の幹を蹴って飛び上がった。
上から見ると龍が折った枝のところだけぽっかり穴が開いていた。十分目印になる。翌日はここまで飛んできて再スタートというわけだ。
キャンプ地に戻った我々は煮炊きの支度をして、あとは休憩時間にした。ラトナは隣のキャンプ地まで連絡に行き、シスターは食べられる木の実を探しに池をぐるっと回りに行った。ちょうど対岸に来た時に手を振ってくれた。
僕はグライダーの上で仕事に取りかかった。ドイツで見てきたエキスポの報告をそろそろ書かないといけない。
「その魔法器って光をエネルギーにしてるの?」ラトナが戻ってきて後ろから画面を覗き込んだ。
気づくと辺りが暗くなっていた。空にはブラッディオレンジの光が残っていたけど、森の高度より下は真っ暗だった。水面と地面の区別もつかない。
「そう。この黒い面に光を当てると電気に変えてくれるんです」
「魔法の光でもいいの?」
「光の魔法があるんですか」
「あるでしょ、そりゃあ」
初日の夜に火の魔法で明かりをとった手前、驚かないわけにはいかなかった。
「光の精、天界を司るもの、我が手に強き灯火を預けよ」
ラトナが唱えるとその手に溢れんばかりの光が生まれた。手のひらで上手く覆ってソーラーパネルに光が集まるようにした。
充電器のチャージランプが黄色く光った。
「行けますね」
「光がなくても動くってことは溜められるってことでしょ。どれくらいで満杯になるの?」
「晴れていれば3,4時間ですね」
「げっ」
「マナが枯れますか」
「森の中はマナが多いからそれはないけど、術者がかかりきりにならないといけないでしょ。自分でやるならまだしも、ね……」
シスターが集めてきた新鮮な木の実と僕が持ってきたナッツとラトナが持ってきた何かのジャーキーで夕食にした。
そのあと池で順番に水浴び、体を温めたあと篝火を落として眠る態勢に入った。パソコンの充電は残っていたけど、光を出さない方がいいのは明らかだった。グライダーの中に入っても板目の間から光が漏れるのだ。きちんとした密閉構造になっているのはあくまで船底だけだった。
眠れなかった。当たり前だ。まだ21時だ。あえて魔法を使うのも考えてみたけど、単に気絶するだけでそのあと眠気が来るわけでもないし、疲れが取れるわけでもない。森の中を歩くのは確かに不慣れな運動だった。でも、不思議なことに、普段以上に疲れたという感じもしなかった。
ラトナがコクピットの開口部から覗き込んでいた。なぜ音を立てずに上ってこられるのだろう?
「人の目でもあまり開くと光るわよ」
そうか、僕が起きているかどうか観察していたんだ。
ラトナはヤモリみたいに入ってきて僕の足の方に座った。お香の匂いがした。シスターとはまた違う、ミントっぽい感じだ。
「テツヤの国では自分の好きな仕事を選べるの?」ラトナは小声で訊いた。顔を近づけると瞳孔が丸く開いているのがわかった。
「まあ、そうですね。身分制やカースト制ではないですね。自分で選んだからといって仕事に選ばれるとは限らない。でも挑戦するだけなら自由だ」
「テツヤもその仕事を選んだわけだ」
「僕を選んでくれた仕事がこれしかなかっただけですよ。労働者が余ってるわけじゃないが、それでも会社は半端者は欲しがらない。常にぴったりのものを選り好みする」
「選ばれる前に選びたかった仕事とは違うってことか」
「まあ」
「選びたかった仕事って?」
何かあったような気がする。でも思い出せなかった。
「生まれた時から将来の仕事が決まっているのと、自活のタイムリミットの目前で放り出されるのと、どちらが絶望的だと思う?」ラトナは次の質問に移った。
「どちらにしても、それが天職だと思えた人だけが絶望を回避できるんじゃないかな。残りの人々は浅かれ深かれ、何かしらの失意を抱えたまま生き、死んでいかなければならないのだと思う」
「君も?」
「いや、僕は自分のプライベートに何らかの目的意識を持っているわけではないし、誰かに求められて、そのために寝ても覚めても頭と体を働かせて、ひたすらそれを続けて、そうやって義理や責任に自分の価値を見出すのが性に合っているんじゃないかな」
「だったらそんなに諦めみたいなトーンで言うのはなぜ?」
僕はその問いにも答えられなかった。
「稼ぎはいいの?」ラトナはまた次に進んだ。
「小さな会社なんで給与体制はアレですけど、ボーナスは結構」
「何に使う?」
「貯金してますが」
「そのあとよ。そんだけ働いてるんだから普通に町人やってても貯められないような額を貯めることになるんでしょ」
会社からの給料はこちらの世界では使えない。もし使えたとしても僕はそれを何に使うのだろう?
向こうの世界でも使い道はほぼなかった。使う時間がないからだ。せいぜい会社に近い家を買うとか、豪華な家に住むとか、食洗機や洗濯乾燥機を買うとか、それくらいだろう。限られたプライベートの時間をどう圧縮するか、という目的意識に基づいた使い方だ。仕事と全然関係ないことに使うとしたら、何なのだろう? 何があるのだろう? まあ、3大欲求は安牌だ。
いいベッドを買う、美味しいものを食べる、風俗に行くとか来てもらうとか、そういう使い方になるんだろうか。
だとしたら、こっちの世界に来てから、まあ食の水準だけはともかく、ほとんど文無しのままでこんなに満たされているのはなぜなのだろう?