護身術〜前哨戦
僕はシスターとラトナに魔水晶のヘッドセットを渡してグライダーの翼の上にソーラー充電器を広げた。置きっぱなしで目を離すのは不安だけど、森に踏み入れると日が入らないから仕方がない。幸い太陽が回っても日照が確保できる位置だ。パソコンの充電はフルにしておいて、スマホの方は戻ってから充電器のバッテリーに溜まった電気でやりくりしよう。
ラトナの鎧は軽装で、胴から腰にかけてはプレートで構成されているが、籠手と脛当ては巻きつけるだけのもの、あとは左肩に小さなシールドがついているだけだった。武器は腰に剣を2本吊っている。
対してシスターは重装だ。黒いフルプレートで、腰にも長いスカートアーマーがついている。上にマントを羽織るために肩は小さく作られていて、そのおかげで脇の部分だけはわずかにインナーが見えていた。角帽は一見そのままだけど頬に当たるところが金物になっていてきちんとヘルムの機能を持っているのがわかる。得物は黒くて長い杖で、いかにも聖職者、ヒーラーといった感じだ。
「疲れませんか。結構歩くでしょう?」
「鎧はいいんです。この杖が重くて。手に持ってるので余計に重いんですよ。どうです?」
ということで一旦預かってみたけど、想像の5倍くらい重かった。鉄塊だ。ブラックホールは小さくても密だからすごく重い、という話があるけど、そんな感じだった。
「ゲートに入れておきましょうか?」
「いいえ、いざという時に使えないと困るので」
遠征の目的はすでに聞いていた。モディの連続出現の原因を探るためだ。やたらめったらにベタを狩ればいいというものではない。
「なんにせよ、いざという時に使える魔法は知っておいた方がいい」
「戦力としては度外視って契約だったのでは?」
「護身はまた別よ。私たちのことは守らなくてもいいけど、私たちがテツヤを守れない時は自分で頑張ってもらわないと」
むむむ、ざっくりした契約に乗ってしまったこちらの落ち度か?
「弓を引く時の風の魔法は覚えた?」
「いいえ」
「じゃあそれから。復唱して。――風の精、天界の主、この矢に標と滔々たる道を与えよ」
「本当に気絶しますよ」
「いいよ。落ちたら私が背負って運んであげるから」
「なにも、歩いてる間にやらなくても……」
「あんたね、立ち止まったり座ったりしたらすかさずテレパス、テレパスだ。こっちに構っていられるのは歩いているときくらいじゃないの」
「それは……すみません」
「ほら、構えて、あの木の幹を狙って」
僕は言われたとおり矢をつがった。
「引きながら唱える」
「風の精、天界の主――」発声で呼吸が乱れる。が、弓道ほど小さい的でもない。「この矢に標と滔々たる道を与えよ」
息を吐き切るタイミングに合わせて右手を放した。
矢は甲高く「キュウン」と音を立てて飛び、ほとんど重力に引かれることなく幹に突き刺さった。狙いよりかなり上だ。
と、早くも脱力感が来た。僕は腕時計の秒針を確かめ、とっさに舌を丸めて歯を食いしばった。倒れた衝撃で舌を噛んだら惨めだ。
僕は結果を知る前に気絶した。
気づくと脇腹と下腹部の間に何か硬いものが食い込んでいて、グリグリと内臓をえぐられるような感覚に僕は小さく悲鳴を上げた。
う、腕時計だ。まず時間を確認しないと。
……1分20秒といったところか。
ラトナの肩にサバ折になってかけられていることとか、彼女の腰のプレートに額をしこたま打ちつけていたことを認識したのはそのあとだ。
「言ってたまんまだったわね」とラトナ。
「危ない状況でこんなことになる方が余計危ないんじゃ?」
「まあね。相手が最後の1匹でもないとね」
「もう下ろしてもらっていいんですが」
「それでもやらなきゃいけない時はやらなきゃいけない。次は攻撃魔法行ってみようか」
「え、聞いてます?」
「せっかくだし、電撃から教えるか。いちいち抱えるの面倒だし、弓を構える必要もないから、このままね」
結局ラトナは僕を下ろしてくれなかったし、足も止めなかった。過去2度の戦闘で彼女の身体能力を目の当たりにしているので驚きこそないけれど、ぐったりして重くなった成人男性(並みの体型)を半身で担ぐというのはよく考えたらすごい力だ。
「手を開いてあの岩に向けて。――風の精、地の精、嵐の主よ、雷を以て我が示すものを焼け」
僕はまた言われたとおりに復唱した。
すると開いた指の間に細い稲光が渡り、それに誘われるように手のひらの前に集まった青白い雷光が一瞬で空気中を走り、岩の上に着弾した。衝撃で岩の表面が砕けて周りに飛び散った。
すごい威力――というかたぶんまずい威力だ。
僕は潔く時計を確かめ、気絶した。
目覚めたのは20分後だった。正確を期すなら18分50秒後だ。
ラトナは立ち止まっていた。
「オオカミだ。少し騒いだからね。早速嗅ぎつけてきた。囲まれてるね」
ラトナは僕を下ろして剣を抜いた。
「大地の精霊、力を司るもの、かの者に守りを与え給え」シスターがラトナにバフをかけた。
「テツヤ、テレパスを試してみよう」
僕は私物スマホから社用スマホに電話をかけてつないだ。
「2人はここにいて。背後に気をつけて」
ラトナは高台になっている岩の上から飛び降りた。
獲物が孤立した、と判断したのだろう、木々の影に隠れていた10頭近いオオカミが一斉に飛び出してきた。
ラトナは飛び上がって木の枝を足がかりに正面の1頭めがけて突進、大剣を振りかぶる。
オオカミも俊敏だ。初撃をステップひとつで躱す。
ラトナは着地と同時に大剣を置いて短刀を腰から振り抜いた。オオカミは2発目も大振りが来ると思っていたのだろう。結果が出た時にはもう首が飛んでいた。
ラトナはすかさず大剣を起こし、2頭目からあとのオオカミをまとめて薙ぎ払った。
「ラトナ、群れが左手の方に移動してる」
「了解、追う」
「追手が3頭行く。後ろ気をつけて」
シスターは上から戦況を見て助言を出す。早くもトランシーバーの使い方に慣れてきている。
「シスター」
「なに?」
「いや、様子が変だ。私から距離を置いてる感じじゃない。そっちに何かいないか? オオカミじゃなくて、別の……」
僕とシスターは周囲を見渡した。
何もいない。気配もない。どこかに隠れているのか? 本当にこっちから来るのか?
「上にも気をつけろ」
そう言われたのと真上から黒い影が降ってきたのはほとんど同時だった。