主神像〜出立
朝起きるとシスターは礼拝堂にいた。朝の祈りだ。今まであまり気にしていなかったけど、内陣の真ん中に置いてある主神像は男性モチーフだった。現世のゴシック聖堂ならマリア像が鎮座しているところだ。
が、こちらでは筋肉モリモリマッチョメンのスキンヘッドおじさんが広背筋をいからせてぶっとい両腕を大きく広げ、あたかもスワンダイブで天に向かっていきそうな勇ましい格好だった。神よりも筋肉を信仰してそうな宗教だな。
「おはようございます」シスターは祈りの手を解いた。僕も挨拶を返した。
「よく眠れましたか?」
「ええ、すっきりしています。いい目覚めでした」
シスターはまだパジャマ姿だった。僕はその下にある体の柔らかさを少しだけ想像した。
「始祖というのはこの人のことなのですか」
「ええ。およそ300年前のことです。当時世界はモディの跋扈によりひどく荒んでいました。モディに対抗する団結力と築城の力を人々に齎したのが始祖様です」
「300年?」
「ええ」
「1年は365日ですか」
「だいたい」
「それ以前には別の宗教が?」
「いいえ。私たちのような教会組織の類が治世を担うようになったのは始祖様以降のことです。それ以前には世界的な宗教はありませんでした。アニミズムです。取り仕切るのはシャーマンですか。それも豪族のような権力とは一線を画するもの、距離を置いたものだったようです」
「まさか始祖様以前には国もなかったのでは」
「そうです。国もなく、モディもいなかった。ほとんどは種族ごとに村を作り、あるいは放浪しながら平和に暮らしていました」
「もっと悠久な時の中にある世界だと……」
「種族の起源自体は千年単位ですよ。文献で辿れないほど古いものばかりですが」
「いや、この数百年で急速な発展を遂げてきた、というところが意外だったんです。今のこの水準の生活がもっと古くからあったのだと漠然と捉えていて」
「……確かに、始祖様の話をすると、今のような文明が300年前にはまるで存在しなかったということに驚く人もいますね」
「始祖様が文明を持ち込んだということですか」
「そういうことになると思います。もし文明がなければ、あらゆる種族はモディから生活圏を守ることができなかったでしょう」
つまり、僕がこの異世界に対して感じている「中世感」は「始祖様」が現世で触れていた文明レベルそのものなのだろう。300年前、1700年代のヨーロッパならもう少し産業の気配がしそうなものだけど、あるいはアジアやアメリカといった他の地域からの転移者だったのだろうか。
そう考えてみると、主神像に使われている石が真っ白なせいか先入観を抱いていたけど、鼻梁の太い感じはアフリカ系の特徴に見えなくもない。ただアフリカの1700年代というと今度は文明レベルが下がりすぎる。まだ沿岸部に植民地支配が広がり始めた頃だ。
いずれにしてもあまり現世を基準に考えすぎるのも誤解につながるだろう。憶測もこのあたりにしておこう。
朝食に初めてウォッシュチーズが出た。微妙な甘さがあって、黒パンの酸味と合わさってすごく微妙な美味しさだった。クセになる、と言うべきか。
僕は持ち物を再度確かめて9時を目安に騎士団基地へ向かった。シスターの見送りはなかった。早起きしていたし、忙しいのかな。
基地の前庭は賑やかだった。騎士もドラゴンもたくさんいて、注意していないと翼や尻尾で叩かれそうだった。
龍を近くで見るのは初めてだ。いわゆるワイバーン型で、頭から尻尾の先までだいたい10m、4足立ちで背中の高さが2m、立ち上がって首を伸ばすと頭の高さが5m、翼を広げて端から端まで15mといったサイズ感だ。
体は鱗と羽毛の間の子のようなもので覆われていて、色は焦げ茶から黄土色まで様々。総じてくすんでいるけど赤っぽいのや青っぽいのもいる。
顔立ちは現世の恐竜のラプトル類に近い感じで、小顔で鼻が長く、短い牙が生え揃い、ただ、耳の後ろにはねじれた角が伸びていた。
どの龍も背中に鞍を乗せている。どれも1人用だが、中には後ろにクレーンジブのような櫓を立てているものもあった。旗、あるいは何かものを乗せるためのものだろうか。
10頭ほどが背中に騎士を乗せて前庭の南側に集まっていく。彼らは1列になって先頭から順に駆け出し、翼を広げて飛び立っていった。
基本的に地面剥き出しの前庭にあって、そこだけが丸太を埋め込んで舗装した区画になっていたが、龍が助走に使うためのものだったのだ。体が大きいからさすがに垂直離着陸とは行かないのだろう。ただ1歩が大きいのもあって、5歩くらいで悠々と浮かび上がる。大通りの上に出る頃には高度20mは堅い。
ラトナは建物の玄関に近い一角で龍の世話をしていた。龍は予想通り赤みの強い体色だ。ラトナは赤が好きなんだな。
「手を出して挨拶してみな」
ラトナの龍は鼻先を僕の手に近づけ、それから額に近づけて何度か匂いを嗅いだ。フンッと軽く息を吐いて顎を引いた。目がパチパチしている。なんだか人見知りみたいな反応だ。とりあえず噛まれたり舐められたりしなくて僕は安堵した。
「シスターは?」ラトナは訊いた。
「シスター? シスターマリアンナ?」
「一緒じゃないの?」
「え?」
「なんだ、言ってなかったのか」
「え?」
「びっくりさせてやろうってとこね。テツヤ、まんまとかかったね」
「え?」
僕が状況を飲み込めないでいるうちに後ろからシスターマリアンナがやってきた。漫画みたいな大きな背嚢を背負って長い杖を抱えていた。
「シスターも同行するんですか??」
「ええ」シスターはラトナの龍と挨拶を交わしながら答えた。慣れた様子だ。
「でも騎士や傭兵ではないでしょう?」
「聖職者は同行を許されているんです。別枠です」
確かに、言われてみれば、そうか、戦士した騎士を運んでいたということはそういうことになる。
「テツヤ、メサの森でシスターと会ったんじゃなかった?」とラトナ。
「ええ」
「あの森を1人で通るんだから護身くらいはできるんだよ。そう思わなかった?」
「な、なるほど、確かに」
「納得?」
「はい」
「じゃあ、行こうか」
「他の騎士たちは?」
「べつに、他のチームと足並み揃える必要はないでしょ」
「まぁ、それはそうですけど、そういうことでは――」
「あ、ああ。私のチームはこれだけだよ。私と、シスターと、テツヤの3人。少数精鋭? 身軽なのが好きなんだ」