買い出し〜カチューシャ
正直、それから翌日のミーティングが始まるまでのことはあまり詳しく覚えていない。
資料のウィンドウを一通り開いておいてzoomを起動、千手院部長を入室させてマイクとカメラ、背景を互いにチェック、14時58分、59分と続いて先方2人が入室。一応窓は閉め切ってあるが15時の鐘はすでに鳴っているので影響ない。
約90分、互いに好印象で終えられたと思う。導入スケジュールを改めて説明して、いつ頃判断できるかやんわり聞いたところ社内稟議の話が出てきたのでかなり有望だ。千手院部長もデブリーフィングでほとんど質問・指摘を出さなかった。16時40分にはミーティングを終了してヘッドセットを外した。パソコンの電池残量は20%まで減っていた。充電しながらでもこれだ。ウェブ会議は実質動画を流し続けているわけで、消費が激しいのは当然か。
僕はタオルで顔を拭って部屋を出た。
「終わりました?」食堂の前でシスターと鉢合わせた。
「ええ、無事」
「よかった。では買い出しに行きましょう」
「夕食の時間では?」
「早くしないと店が閉まってしまいます」
「あ、そういうことか」
僕は夕食のあとでいいと思っていたのだ。20時くらいまではどこもやっているだろうという感覚だった。
シスターは僕に水を1杯飲ませてから足早に礼拝堂を出た。僕も財布の中身だけは確認した。
外はまだ明るかったが、明らかに人気が減っていた。
「籠手と胴当てでしたか」
「あと足りれば靴を。革靴では石の上は滑ります。足音も大きい」
「わかりました」
「旅、遠征に必要なものというのは?」
「寝袋に方位計、携行食と着替え、雨具でしょうか。水筒は礼拝堂のものを貸し出せますし」
「雨具はあります。そうか、確かに食料と寝袋は要りますね」
シスターは乾物屋から回った。携行食というのはつまりナッツだ。よく見るとなんだか知らない形の実ばかりだけど、大袋に詰められた様子は完全にミックスナッツだった。これが銅貨8枚。
次は行商人向けの雑貨店で、着替えと寝袋はここで揃った。コットンのシャツとパンツを2枚ずつで少し値切って銀貨1枚。寝袋はさすが家禽の盛んな文化とあって、フェザー次第でグレードもピンキリ。オーソドックスなもので金貨3枚と手が届かないので、かなり重くて硬いけどワラ詰めのものが銀貨8枚でギリギリだった。幸いゲートが使えるので重さはさほど気にならない。
残りは冒険者向けの装備品ショップだ。ここまでは表通りだったが、1本路地に入って一層薄暗くなった。職人が直接やっているような店だ。表だと家賃が高いのだろう。
「こんにちは」
やっているのかやっていないのかわからない雰囲気だ。どちらかというと人の家に入っていく感じだった。なめし革の匂いが鼻をついた、
最初店主がどこにいるのかわからなかったが、奥の一角で作業をしていた。ボール盤だろうか、足で機械を回していた。その物音のおかげだ。我々が入っていっても手を止めないし、顔も上げなかった。生まれる時に愛想を置き忘れてきたのかもしれない。
シスターはカウンターに取り付いて店主の手が空くのを待った。
「方位計ありますか」
「磁針?」
シスターが頷くと店主は手についた切り屑を払って腰を上げた。
方位磁針は奥の棚から出てきた。金物の円盤の上に針が浮かび、上にガラスが嵌めてある。現世に持っていっても違和感ないだろう。
「銀貨5枚」
「弓用の籠手と胴当ては」
「あの隅にあるのだけ」
「つけてみても?」僕は訊いた。幸い右引き用だ。
店主は頷いた。
こちらは違和感まみれだけどとにかく必要な機能は満たしている。それぞれ銀貨5枚だ
「靴もありますね」とシスター。
ハーフブーツだ。底にワラジのような厚く編んだ藁が打ってある。これなら滑らなそうだ。ただ履いてみると指1本分大きいのがわかった。
「長いか」店主が訊いた。
僕は頷いた。
「広いか」
頷いた。
店主は手を出して靴を受け取り、ヤットコで土踏まずのあたりを挟みながら靴底の鋲を打ち直した。
もう一度履いてみると大きい感じは全くなくなっていた。あとは靴紐を締めればぴったりだ。
「欲しい……」が、「銀貨10枚……」
「ツケでいい。シスターの客ならツケでいい。靴と胴当て、籠手。一度使ったら体に合わせる。その時でいい。銀貨20枚持ってきな」
僕はシスターと顔を見合わせた。
「……いや、狩りに行くなら電気シカの角をとってきてもらえるか。先が5つ以上に分かれた角一対。それなら銀貨は半分でいい」
「はあ」
「先は10個だ。5個じゃない」
「いいですよ」シスターが答えた。それから僕に耳打ちした。「大丈夫、難しいベタじゃありません」
帰路、さっきまで開いていた店がすでに何軒か鎧戸を閉じていた。酒場はともかく、商店はもうどこも店じまいといったふうで、特に出店は余りものの投げ売りに急いでいた。銅貨1枚で串焼き1本。なんの肉なんだかよくわからないし冷めていたけどとにかくそれだけでお腹いっぱいには十分な量だった。
「昨日のテレパス魔法器の件、試作してみたのですが、このあと忙しいですか?」
「いえ、ぜひ見たいです」
串の返却かごが置いてあったので最後まで店の前で食べた。立ち食いだ。修道服には似合わない食べ物だけど、シスターのあまり憚らないワイルドさもいいギャップだった。
「どうぞ」
僕は招かれるままシスターの部屋に入った。間取りは初日のカビ臭い部屋と同じだ。が、いきなり妙な既視感に襲われた。
そうか、装備屋の店主の工房だ。手芸が趣味なのだろう。あちこちに道具がかけてあって作業空間として整えられているのだ。要は飾り気もないわけだけど、女性の部屋らしくいい匂いがするのだけはカビ臭部屋とも工房とも違っていた。
「これです。つけてみてください」
シスターが手渡したのはまさにカチューシャだった。なんなら括りつけられた魔水晶がジュエルに見える。
「竹ですか」
「ええ」
「こんなに曲がったものがあるんですね」
「いえ、炙ると軟らかくなるので、曲げたんです。水晶の周りには綿を当てて振動が逃げるようにしています」シスターは説明しながら自分もカチューシャをつけた。もう2つも作ったのだ。
着け心地は問題ない。僕は試しに電話をつないでみた。
「聞こえます?」
「ええ、不思議。少し遅れて来るんですね」
「完璧です。で、もしよかったら明日持っていきたいんですが」
「もちろんです。そのつもりでしたから。使えそうなものになってホッとしました」シスターはベッドに腰を下ろして微笑した。