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パーティ勧誘

 僕は内陣の上の部屋に戻ってパソコンとスマホの充電状態を確かめ、手帳を開いて1日のスケジュールを立てた。プレゼンミーティングが翌日に迫っている。資料の送付は今日がリミットだ。11時までに仕上げよう。

 そのあと、今朝届いた急ぎの確認案件の処理が終わっているか問い合わせて回答作成。30分で終わらせたい。ついでにシステム部から上がっている機能改善報告をまとめて顧客に流す。

 午後は1時間のセールスミーティングが2件入っているから、そのあと20分ずつ使って個別資料と報告をまとめる。明日のプレゼンのための予習はその後なら時間が取れるはずだ。

 窓を開けてソーラー充電器を直射日光に当て効率を最大に。午前中は千手院部長とシステム部から何度か問い合わせがあった程度でほぼ予定通りに仕事が進んだ。というか予定より早いくらいの進捗だった。


 礼拝堂の影が移動していた。僕は充電器を日向に置き直して一度部屋を出た。飲み物――そうか、この世界ではコーヒー1杯飲むのにもわざわざ火を起こさなければならないのだ。いや、というかコーヒーがない。存在しない。

 ある程度様子の似たものは翻訳というか翻案されて現世の日本語が通じるものも多いのだけど、コーヒーはなかった。要するに嗜好飲料用の果実・果樹が普及していない、もしくは全く知られていないのだ。代わりに飲まれているのが同じような工程で小麦や大麦を焙煎して煮出した――つまり麦茶だった。

 最初は誤解していたけど、この世界で話されているのはあくまで日本語とは異なる言語であって、僕の耳に入ってから頭に届くまでの過程で上手く翻訳がかかっていたようなのだ。


 食堂に入るとシスターマリアンナとラトナが談笑していた。ラトナは昨日の朝と同じ赤いパレオだ。

「何か飲みますか」シスターが訊いた。「麦茶か水、ミルクがあります」

「ミルク?」

 この世界にはなぜか哺乳類の家畜がいない。乳牛もいないはずだ。

「ロコックのミルクです」

 もちろん上手く訳せない概念も存在するわけで、そういった言葉については素の発音が突き抜けて僕の耳――というか頭に届いた。

「じゃあミルクを」僕は答えた。興味本位だった。

「温かいので?」

「ええ」

 初耳だったけどなんとなく理解できた。動物園にシステムを導入する機会があって色々雑学を教えてもらったのだけど、鳥類のうち少なからぬ種類がピジョンミルクという一種の唾液で子育てをするそうだ。喉の奥から分泌するもので哺乳類の乳とは製法が全然違うけど、用法としてはほぼ同じだ。爬虫類や鳥類の家畜――もとい家禽は豊富だから、荷役馬に対する乳牛みたいなポジションの家禽がいるのだろう。それがロコックだ。

「非番でしょう?」僕はラトナに言った。

「休みじゃないのかって? こっちのセリフだわ。君に話があって来たんだけど、忙しくしてるからってシスターに足止めされてたのよ」

「シスターに」

「そう。――まず、それとは別件だけど、今朝のコウモリの分け前ね」ラトナは革製の巾着をテーブルに置いた。重たい音がした。「あのあと解体で採れた魔水晶から献上分をサッ引いて、残りを出番じゃなかったメンツも含めた夜警の頭数で割ったものね。出番だけで分けると不公平だとかモディが出た方が得だとか言い出すやつがいるからさ」

 すでに無色透明になった魔水晶がテーブルに並んだ。

「大2つ、中5つ、小3つ。合わせてちょうど10個ね」

 シスターがタンブラーを持って戻ってきた。タンブラー全体が人肌並みに温かく、白い液体の表面に薄く湯葉が張っていた。飲むと牛乳よりドロっとした感じで、裏腹に乳臭さがなく、豆乳やアーモンドミルクに感じるような植物由来っぽさがあった。臭みが出ないように飼料に気を遣った結果なのだろうか。いろいろ言ったけど、つまるところ不味くはない。慣れれば普通に飲めるぞ。


「話というのは」

「パーティへの同行を頼みたくてね」

「城内の夜警ではなく、城外の、つまり積極的な戦闘任務ということですか。なぜ僕に?」

「あえて言わせたいのね。いいわ。もちろん、アイテムボックスの容量を買ってのことよ。戦闘に関する技能は要求しない」

 それはそれで悲しい言われようだが「事実ですね……。いつですか、というか日中ですか」

「朝から晩までだよ。3日がかり。行って帰ってが長いからね。明日から。どうかな?」

「……うーん、明日は大事な打ち合わせがあるんですよね。頼ってもらえるのはすごく嬉しいんですが」

「明後日なら大丈夫?」

「明日よりは」

 正直言って断りたいが、ラトナはいい上司だ。僕に対する信頼もある。それを蔑ろにできるくらいなら社畜なんかやっていないのであ――「大丈夫です」

 口が先に動いた。

「っていうか僕の一存で日程動かせるものなんですか」

「少人数だから」

「夜警の人が足りてないんじゃ?」

「今朝の件で割がいいんじゃないかってことですでに何人か志願を受けててね。望み通りコキ使ってやろうと思ってるところ」

 口コミの情報網は案外高速らしい。

「それで休みが休みにならないってさっきぼやいてたのね」とシスター。

「あー」僕も納得した。

「それに足りないのは傭兵であって、私みたいな正規の騎士はまた別よ。当直は持ち回りで、いつも同じ人がやってるってわけじゃない」

 なるほど、正社員とアルバイトの関係だ。アルバイトメインの現場では正社員は必然的に監督職になる。現場の外ではほぼフルタイムのオフィスワークをしているというケースも珍しくない。

「それにしても明日というのはいくらなんでも野暮でしょう。テツヤさんも旅に必要なものを揃えなければならないし」

「わかったって。明後日、明後日にしよう。いい?」

「ええ」

「テツヤさんも旅に必要なものを揃えなければね」シスターは繰り返した。

 ……?

「あのね……」ラトナはさっきとは別の巾着を開いてテーブルの上に銀貨を10枚積んだ。「じゃあ、前金ね。支度金。報酬は1日あたり金貨1枚と銀貨5枚。討伐分は歩合制で参加者で等分。こういうことは受ける方から訊くものだよ」

 そうか、いつも見積もりの話は顧客側から切り出すものだから、自分で言わなければという意識が全くなかった。

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