第三十五話③『デートとして』
すると兜悟朗はいつもよりも一層笑みをこぼしてこんな事を口にする。
「そちらもとても良案ですが、以前も訪れたところですので、今回はハズレで御座います」
兜悟朗の表情はとてもリラックスしているように見え、どことなく楽しんでくれているようなそんな雰囲気を感じ取れていた。嶺歌はそれを感知して再び胸が熱くなる。
「ギブアップです。もう思いつきません」
嶺歌はそれからもいくつか思いつく限りの涼しげな場所を答えてみたが、全て兜悟朗の柔らかな笑みと共にハズレの言葉を返されてしまっていた。
しかし兜悟朗はハズレであると言う時、必ずこちらにフォローの言葉を入れてくれていた。
それがまた兜悟朗という一人の人間の性格を体現してくれており、嶺歌は正解を導き出せなくても楽しい気持ちで心が満たされる。
「正解はこちらで御座います」
すると目的地に到着したのか兜悟朗は嶺歌に窓の外に目を向けるよう声を漏らした。
言われた通りすぐに窓に視線を送ると、そこには湖が広がっていた。いつの間にか自然の見える場所まで移動していたようだ。兜悟朗とのクイズタイムに夢中になっていた嶺歌は今更ながらにそんな事に気が付く。
「もしかして、ボートですか?」
湖には一軒の小屋があり、ボートを貸し出ししている。数人の客が小屋の窓口に並んでおり、皆ボートの順番を待っている様子であった。
兜悟朗はそんな嶺歌の最後の回答に「正解で御座います」と笑みをこぼし、駐車場にリムジンを停め始める。
それにしてもこのような田舎の場所で黒いリムジンは中々に目立つ。兜悟朗の運転するリムジンに目を向ける者はそう少なくはなかった。
(いや、そんなことより……兜悟朗さんと二人でボート!?)
いきなりの近距離イベントに顔が熱くなっていくのを実感する。
嶺歌は両手で自身の頬を覆うと小さく首を揺らして緊張を振り払った。
兜悟朗がボート券を購入し、暫くボートの空きを待っていると数分後にようやく順番がやってくる。
今回乗るのは手漕ぎタイプの二人乗りボートだ。このようなボートに乗るのは初めてではなかったが、こうして男性と二人で乗るのは初めての事だった。
嶺歌は緊張しながらも兜悟朗の真向かいに移動し、自身のスカートがはしたなく見えないよう注意を払いながらボートの椅子に座り込んだ。
兜悟朗が率先してボートを漕いでくれるのだが、先程からほとんど船の揺れを感じない。もう少し揺れてもおかしくはないだろうに、そこまで考えて兜悟朗のボートを漕ぐ腕前が凄いのだという事にようやく気が付く。
(何でもできるんだな)
兜悟朗の疲れを感じさせない表情は、終始穏やかでありながら嶺歌と会話をする余裕も持ち得ており、他愛のない会話を持ちかけられていた。
嶺歌は兜悟朗がこうして気遣いをしてくれる事実に嬉しさが増す。兜悟朗と一緒にいられる時間が本当に心地良く、穏やかな時間が嶺歌の日頃の疲れを癒してくれていた。
「気持ちいいですね」
隠れ避暑地なのだと兜悟朗が教えてくれたこの場所は本当にいい具合に日陰が重なり、直射日光は避けられていた。
涼しい風だけが嶺歌達の身体に流れており、言葉通りの涼しげなこの場所に、嶺歌は穏やかな気持ちになる。
兜悟朗はそんな嶺歌の表情を見たのか「涼められているご様子で嬉しい限りです」と言葉を口にする。
そう告げてくれる彼の言葉にも嬉しさを感じた嶺歌は「兜悟朗さんは疲れてないですか? あたしもやった事があるので代われますよ」とボートを漕ぐ櫂に指をさして交代を申し出てみた。
しかし兜悟朗は優しげに笑みをこぼして小さく否定をする。
「お気遣いいただき有難う御座います。やはり嶺歌さんは逞しいお方ですね、ですが本日はどうか僕にお任せ下さい」
そう言って尚も疲れを見せない様子で彼は優雅にボートを漕いでいる。
腕をしっかりと動かしているだろうに疲れるはずなのだが、彼の動きは全く衰えを見せず、嶺歌はそのまま快適なボートに揺られ続ける。
嶺歌は今の兜悟朗の温かい言葉を頭の中で思い返しながら暫く心地の良い空気感を味わっていると、少ししてから兜悟朗は再び口を開き始めた。
「嶺歌さんが以前、嬉しいお言葉を下さった事を覚えていらっしゃいますか」
「嬉しい言葉……えっといつの事でしょうか」
唐突にそのような言葉を掛けられ、嶺歌は必死になってこれまでの記憶を遡る。
しかし彼の言葉に気持ちが高鳴っているせいか上手く集中する事ができない。兜悟朗はいつの事を口にしているのだろう。
「以前行われた初めてのパーティーで、執事の交代をお嬢様がご提案された際に、嶺歌さんは僕がいいのだと、そう仰ってくださった時の事です」
「……っ!!!!!」
それを聞いた瞬間、当時の事を鮮明に思い出した嶺歌の顔は真っ赤に染まり上がる。今この場で飲み物を口にしていたら間違いなくむせ返っていた事だろう。
嶺歌は真っ赤な顔を隠すこともできずに兜悟朗をそのまま見返していると、兜悟朗は笑みを溢しながら「驚かせてしまい申し訳ありません」と声にする。そうしてそのまま言葉の続きを口にしてきた。
「あの時、嶺歌さんにはお伝え出来ませんでしたが、僕自身も貴女のそのお気持ちを嬉しいと感じていたのです」
「…え」
「嶺歌さんが他の誰でもなく、僕自身をエスコートの相手でいてほしいのだと告げられた事に、僕は確かに喜びを感じました」
(そ、それって……)
兜悟朗の直接的な言葉を耳にして嶺歌の心は次第に大きくなっていく。
兜悟朗も好意的に嶺歌を見てくれていると、そういう事なのだろうか。たとえそれが異性としてのものでなくても、彼自身にそう思ってもらえている事がとてつもなく嬉しい。
嶺歌は兜悟朗に視線を向けたままその場で何と声を返そうか思考を巡らせていく。
「形南お嬢様にとって嶺歌さんが大きな存在であられている事は間違いありません。ですがそれは僕にとっても同じ思いで御座います」
「嶺歌さん」
「今後もどうぞ、形南お嬢様共々よろしくお願い致します。僕は貴女に会える日がとても、楽しくて仕方がないのです」
そう言った兜悟朗は慈愛の込められた表情で嶺歌を優しく見据える。彼の深緑色の瞳に魅入られ、嶺歌の全身は嬉しさで満ち溢れていた。
このような喜びの言葉をまさか彼本人から貰う日がくるとは夢にも思わず、この今の状況は嶺歌の予想を遥かに超えていた。
嶺歌は赤らんだ顔のまま兜悟朗に目を向けると「こちらこそ宜しくお願いします」とやっとの思いで言葉を返す。
嬉しいという思いが嶺歌の心中に溢れ返り、平静ではいられない自分がいる。
そして今日一日を、彼と二人きりで過ごせた事の全てに心の底から感謝していた。
第三十五話『デートとして』終
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