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第三十三話②『家庭』



 ドア越しに聞こえる声は先程嶺歌(れか)と挨拶を交わしたメイドの子春だ。


 防音機能が働いているせいか、彼女の声は大きく張り上げられていた。


 流石に扉付近で大きく声を繰り出せば、防音室とはいえ声は聞こえてくる。しかしそれ程に大きな声でも彼女の上品さと丁寧さは失われていなかった。


 その事に感心していると、真向かいに座っている形南はいいですのよと柔らかくも聞こえやすい大きな声を発して彼女の入室を許可する。そんな形南の大きな声も、子春同様に気品さが保たれており、嶺歌は友人の形南に対しても感服していた。


 主人の許可が下りると一拍の間を置いてからガチャリと丁寧に扉が開けられた。


 中に入ってきたのは子春一人だけであり、兜悟朗(とうごろう)の姿はなかった。


 嶺歌は少しだけ期待していたが、直ぐにその考えを振り払った。先程彼には会ったばかりではないか。そう自分に心の中で言い聞かせていた。


 しかし、少し前に会ったばかりだと言うのにもう会いたいと思うのは、本当に不思議で初めて感じる感情であった。これこそが恋なのだと頭では理解しているものの、そう思うのは何故だろうとその理屈が気になる自分もいる。


「失礼致します。ニュージーランド産のカボチャを使用して調理しましたカボチャクッキーをお持ち致しました」


 子春はそう言ってきらりと輝く豪華なお皿に並べられた綺麗な形の丸いクッキーをお盆の上に載せ運んできた。


 嶺歌はいい匂いに相まってとてつもなく美味しそうに見えるそのクッキーに思わず目を輝かせる。


「ありがとうですの。そちらを置かれたらもう下がって宜しくてよ」


「畏まりました。ですが形南お嬢様、この子春に一点だけ発言を許可していただけますでしょうか」


「ええ、宜しくてよ。どうなさったの?」


 形南が子春にそう尋ねると彼女は綺麗な姿勢を維持したまま小さく一礼をして形南の前で口を開く。


「先程、例のものが届いておりました。ご友人とのご歓談中に大変恐れ入りますが、形南お嬢様には是非ご自身の目でお確かめいただいた方が宜しいかと」


「まあ! あちらが届いたのですのね!?」


 すると形南はやや興奮気味になり、席を立つと両手を頬に添えて嬉しそうに首を振り始める。


 嶺歌がどうしたの? と理由を尋ねると形南は喜びに満ちた笑みを向けながら「もう少ししましたらお話ししますの!」と答え始めた。一体何が届いたのだろうか。


 嶺歌が疑問に思いながら形南を見つめていると、形南は嶺歌に両手を合わせながら小首を傾げてこう言葉を発する。


嶺歌(れか)、大変申し訳ないのだけれど、十五分ほどこちらでお待ちいただけるかしら? どうしても今確認に行きたいのですの。きちんと理由は後程ご説明させて頂きますわ」


 眉根を下げながらそう言葉にする形南(あれな)に嶺歌は屈託のない笑顔を向けて頷きながら言葉を返す。


「全然いいよ、楽しみにしてる」


「ありがとう御座いますの! それでは少々お待ちになっていてね!!」


 形南は嶺歌の返答にパアアッと嬉しそうな表情を浮かべると急ぎ足で部屋を出ていく。


 嶺歌はそんな彼女の後ろ姿が浮き足立っている事に気が付いて途端に口元が緩んだ。形南は本当に、純粋で可愛らしいお嬢様だ。あのような友達が近くにいたら何だって応援したくなる。


 そう思い、ふと部屋にまだ残っている子春に視線を向けた。彼女は形南のそばについていなくていいのだろうか。


 嶺歌が素朴な疑問をそのまま問い掛けてみると、彼女はニコリと笑みを返しながら「問題御座いません。形南お嬢様には宇島先輩がいらっしゃいますので」と返答してくる。


 そう聞いて嶺歌はなるほどと納得をしていると、子春は再び口を開き始めた。


和泉(いずみ)嶺歌様」


 唐突にフルネームを呼ばれる。


 嶺歌は不思議な思いを抱きながらも子春を見上げた。


 そしてはいと言葉を返すと彼女は先程とは違った――全く予想しなかった単語を投げ掛けてきた。


「貴女のような低俗な者が、高貴な形南お嬢様と完璧な宇島(うじま)先輩のお側にいるだなんて、身の程知らずにも程があります」


「?」


 一瞬何を言っているのか分からなかった。


 子春の声色は先程より何倍も低くなり、嶺歌(れか)が見惚れてしまうほどに美しかった所作は今の彼女には見受けられない。丁寧さを意図的に欠いているのだ。理由を考える前にそれだけは理解する事が出来ていた。


 それに、目の前に立つメイドの嶺歌を見る視線はどう贔屓目に見ても敵意を持っているようにしか感じられない。


 嶺歌が唖然として言葉を失っていると子春はそれに構わず言葉を続けてきた。


「それだけではありません。宇島(うじま)先輩の事をあのようにお呼びするだなんて……何て無礼なのでしょうか」


 あのようにと言うのは嶺歌が彼の事を『兜悟朗(とうごろう)さん』と呼称している事を指しているのだろうか。


 それの何が気に触るのかと本気で思考を始めていると彼女はまだ言い足りないのか無言の嶺歌を前にして言葉を放ち続ける。


「申し訳ありませんが貴女の事はお調べさせていただきました。以前からお話は伺っておりましたので気になっていたのです」


 その言葉には特に不快な思いを抱かなかった。主人の交友関係を気にするのは従者として当然であろうと嶺歌なりに理解しているからである。


 そしてもしかしたら彼女も平尾のように嶺歌を形南(あれな)にとっての害悪な存在として誤解しているのかもしれないと、そんな考えが思い浮かぶ。


(そうか、この人もきっと心配して……)


 しかしそう思った嶺歌の心境は、次の彼女の一言で一変する。


「貴女…ご家庭の環境も複雑ですよね?」




next→第三十三話③(8月3日更新予定です)

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