第二十七話③『報告と苗字』
「嶺歌さん、今晩は。お嬢様からお話があるとお伺いしました。何なりとお申し付けください」
形南がステップを踏みながら嶺歌に手を振ると「すぐに連れてきますの。お待ちになってね」という言葉を残してこちらに深いお辞儀をするエリンナと共に自宅の中へと消えていった。
嶺歌は言われた通りそのまま高円寺院家のただっ広い庭で待つ事になったのだが、しかし数分としない内に自宅の大きな仰々しい扉が開かれると中から兜悟朗が姿を現したのだ。
嶺歌はまさか本当にこの日に会えるとは思いもよらず今日一番のときめきを感じ始める。自分が今、思い焦がれているこの目の前の男性はとても眩しくて、優しくて紳士で……とてつもない程に格好良い。
「あ、りがとうございます。えっとそのですね」
嶺歌は自身の心臓が早く波打つのを体感しながらも心中で必死に緊張を沈ませようと躍起になっていた。
しかし兜悟朗に変に思われたくもないため、沈黙にならぬよう並行して言葉を続ける。
「あの、兜悟朗さんの苗字は何て言うんですか?」
嶺歌は直球勝負で問い掛けた。変に周りくどく聞くのは嶺歌の性に合わない。
質問の際の声が震えていなかった事に安堵しながら兜悟朗の方を見ると兜悟朗は柔らかな笑みをこちらに溢しながら、嬉しそうに口元を開かせる。
「僕は、宇島兜悟朗と申します」
(宇島……兜悟朗さん)
心の中で彼のフルネームを復唱した。
これまで兜悟朗という名前しか知らなかった嶺歌は、ここで初めて宇島兜悟朗というフルネームを知れた事でまた新たに彼に近付けているような、そんな気がしていた。
「本来であればお初にお目にかかった際に名乗るべきで御座いました。大変申し訳御座いません」
すると兜悟朗はそんな言葉を口にして律儀に謝罪をしてくる。謝って欲しいわけではない嶺歌は大きく両手を振ってすぐ彼に声を上げた。
「いやタイミングというのがありますし、気にしないで下さい! 教えてくださってありがとうございます」
(宇島兜悟朗さん)
そう言葉を返しながらも嶺歌は再び彼のフルネームを心の中で呼んでみた。
目の前にいる兜悟朗の顔とフルネームが一致して、不思議な事にとてつもない幸福感に駆られている自分がいる。
嶺歌は嬉しさで心が満たされていくのを実感しながら「苗字を聞いて、しっくりきました」と言葉を付け加えてみた。
すると兜悟朗は再び柔らかげな笑みをこちらに向けてこんな言葉を返してきた。
「嶺歌さんに関心を示していただけました事、嬉しく思います」
「……っ」
いや、この発言は些か反則ではないだろうか。
このような台詞を聞いて仕舞えば、嶺歌の心臓はさらに早く波打つ上に嬉しさから顔の染まり具合までピークへ達してしまう。
真っ赤な表情を兜悟朗に見られるのは未だに恥ずかしいというのにこれでは防ぐ手立てすらもない。嶺歌は混乱しながらも自身の顔の熱を隠すようにそっと頭を俯かせた。
「あ、の。今日はそれだけ聞きたかったんで、もう帰ります」
嶺歌はそう言うと兜悟朗に会釈をしてその場を立ち去ろうとする。しかしそこで「嶺歌さん」と呼び止められた。そしてその瞬間に嶺歌は激しく動悸が高まっていた。
「どうかご自宅までお送りさせて下さい。この様な時間帯に貴女を一人でお帰しする事は望んでおりません」
「ありがとうございます」
兜悟朗のその言葉に嶺歌は嬉しさを噛み締めていた。
喜びを表にこそ出せなかったが、心の中ではとてつもなく気持ちが高揚していて、当然のように嶺歌を家まで送ると口にしてくれる兜悟朗の事を改めて好きだと感じた。今日は何度も兜悟朗への想いを再認識している気がする。
そのまま兜悟朗に促されて嶺歌は彼と肩を並べて歩き出す。
隣に大好きな人がいるという事がまた新鮮で、こうして一緒に歩く事は初めてではないのにとても貴重な事に感じられた。
兜悟朗は相変わらずこちらが返しやすい話題を物腰柔らかく発してくれており、そんな綺麗な気遣いがまた嶺歌の思いを加速させている。
(兜悟朗さん、どこまで紳士なんだろう)
そんな事を思いながら穏やかに話し掛けてくれる兜悟朗に視線を合わせていると、送迎の時間はあっという間に過ぎていった。自宅があるマンションに到着した時にはあまりの時間の速さに驚いたくらいだ。
「送って下さってありがとうございます。あれなにも有難うと伝えてもらえますか」
エントランス前の扉付近で嶺歌が立ち止まりそう言うと、兜悟朗は口元を緩めながら「勿論で御座います」と声を返す。
「それではこれで失礼致します。ごゆっくりお休み下さい」
そして再び口を開くと彼はそう言葉にしてから丁寧なお辞儀を見せ、綺麗な姿勢のままマンションを後にした。
彼の背中が見えなくなるまで延々と目を離せずにいた嶺歌は、兜悟朗の逞しくも格好いい後ろ姿に見惚れてしまうのであった。
第二十七話『報告と苗字』終
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