第四話②『実行』
平尾は裏庭の扉を開けた。ここまでくれば後は流れに任せるのみである。嶺歌は透明になった状態のまま裏庭のど真ん中で待ち受ける形南と平尾の姿を捉えると形南は彼に言葉を発し始めた。今が合図である。嶺歌はステッキを手に持ち、裏庭にあるすべての無機物を宙に浮かせ始める。
「え、何だ……!?」
平尾は予想した通り、ポカンとした様子で上を見上げる。かなり困惑している様子だった。しかし形南はそんな彼に一歩近づき打ち合わせ通りの言葉を放つ。
「これは手品ですの」
「て、てじな……?」
形南はパチンと手を叩く。嶺歌は直ぐに浮かせている無機物達をゆっくりと元の場所へ戻した。形南は声の調子を変える事なく、言葉を続けた。
「初めまして平尾様。私高円寺院形南と申します。驚かせてしまったようで申し訳ありませんの。ですが印象に残る自己紹介をさせていただきましたわ」
そう言って形南は上品に自身のスカートを両の手で持ち上げ、会釈をして挨拶をした。小柄で美しく可愛らしい形南のその振る舞いは誰が見ても見入ってしまうようなそんな所作であった。平尾は彼女のそんな挨拶に驚いたのか「あ、えっと……」と口をもごもごとさせている。
形南の前では決して口にしなかったが、彼は第一印象からして冴えない男であった。この男のどこに惹かれたのだろうかと不謹慎ながらも考えてしまったのは事実である。だが人の好みはそれぞれだ。形南が彼が良いのだと言う以上は口を挟む無礼な行為はできる筈もなかった。
いまだに返事を返せない平尾に形南は両手を合わせて「急いで言の葉を紡がれる必要は御座いませんの」と今の彼の状況を察しながら尊重する発言を口にした。その一言で平尾は顔を上げ、再び形南を見る。
形南は決して表情を崩さず、ただただ平尾の顔だけを柔らかげに見つめていた。そんな様子を遠く離れた場所からハラハラしながら見ていた嶺歌は突然背後からやってきた声にひどく驚いた。
「和泉様」
「ひえっ!!!」
咄嗟に小声で驚いた自身の空気を読む行動に感心しながら声の主を振り返る。そこには形南の執事である兜悟朗がいた。どうやら真剣に二人の様子を見ている内に透明の魔法を解除してしまっていたようだ。
驚きはしたが兜悟朗は一定の距離を保ってくれている。紳士的な彼なりの配慮を感じ、嶺歌は直ぐに安堵した。
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたね」
「いえこちらこそ……執事さんもここで見守っていたんですね」
「はい。形南お嬢様の一世一代の場で御座いますから。私が見守らない訳にはいかないのです」
彼はそう言って直ぐに形南の方へ視線を戻す。真剣に彼女らを見守る彼のその姿はまるで大事な一人娘を見守っているかのような、そんな感情が読み取れた。
「……形南様の事、本当に大切に思って仕えているのですね」
今の発言は執事である彼に対して失礼だったかもしれない。だがそう思ってしまったのだ。兜悟朗の形南を思う気持ちは、形状だけのものではない。そう感じた。しかし兜悟朗は嶺歌の言葉に気分を害する事はなく、いつものような優しげな笑みを見せるとこう言葉を返す。
「左様でございます。形南お嬢様は私になくてはならない大切なお方。お嬢様の幸せを心から願っているのがこの私で御座います」
彼はそう言って心底嬉しげに彼女を見つめた。その瞳は愛情のような、いや親愛というべきだろうか。慈愛のこもったその瞳の奥底には形南への疑いようのない強い忠誠心を感じられた。
そう思っていると唐突に「えっと」という離れた距離から男性の声が聞こえる。この声は平尾だ。彼はようやく言葉を発せられたようだった。嶺歌と兜悟朗は直ぐに二人の方へ視線を戻す。
「君は一体……この手紙はどういう事なの?」
最もな意見だ。しかし形南はどのような内容の手紙を彼に渡したのだろう。彼の様子から推測すると告白の言葉を書いたとは思えないが気になるところである。すると形南は彼の言葉に口を開いてゆっくりと答え始める。
「私、平尾様とお近づきになりたいのですの」
「ち、近づくとは……?」
「ええ。まずはお知り合いになりたいのですの。ですからお友達からどうでしょう?」
「友達くらい全然いいけど……」
「まあ! 嬉しいですわ!!」
途端に形南は先ほどのお淑やかな雰囲気を失くし、子どものような可愛らしい表情で彼に近寄る。平尾は未だに困惑した様子でジリジリと近寄ってくる形南から距離を取るかのように足を後退させていたが、形南はお構いなしのようだった。
「平尾様! どうぞ宜しくお願いしますね! こちら、私の連絡先でございますの! 宜しければこの場で交換して下さらない?」
「え、いいですケド……」
言葉がたどたどしい平尾に形南はスマホを取り出し、彼もそれに習ってスマホを取り出す。そうして二人は無言で連絡先の交換を始めていた。形南は興奮して言葉が出ないだけなのだろうが、平尾は緊張がなお続いている様子だった。
嶺歌と兜悟朗はそのまま静かに二人の連絡先交換会を見守る。数分が経過すると形南は満足した様子で静まった空間に声を発し始めた。
「ありがとうございますの。平尾様、これから遠慮なくご連絡なさってね。私も貴方様にご連絡差し上げたく思いますわ」
「あ、うん……俺も暇だしいつでもいいよ」
平尾は自身の首筋に手をあてがいながらそう言うと形南は嬉しそうに彼の両手を掴んだ。
「嬉しいですの! 私平尾様と親しくなりたいと思っておりますのよ」
興奮気味にそう告げる形南の言葉に驚きながらも顔を赤らめる平尾は分かり易い。普段言われない事ばかりで混乱もしているようだが、少なくとも形南との接触は成功といえるものになっていた。
形南と平尾はその後直ぐに別れ、一世一代の形南の出逢い作戦は終わりを迎えた。