第十二話③『過去の存在』
形南がいつものように竜脳寺の自宅に遊びに行った時の事だった。
珍しく彼からの出迎えがなかった事を不思議に思いながらも形南は兜悟朗をリムジンに残して一人屋敷の中へと入っていったと言う。
その際に彼の部屋の中から知らない女性の声が聞こえ、ノックをしてから戸を開けるとそこには服が床に脱ぎ捨てられ、生まれた時の姿で二人の男女がキングサイズのベッドで寄り添いあっていた。
「言葉を失いましたの。けれどショック以上に呆れてしまいましたのよ。同時にアレへの敬愛は全て軽蔑に変わりましたの」
それは当然の感情だ。形南はその状況を目にした途端に婚約解消を心に決めたと言う。
彼が如何に優れた婚約者であろうとこのような形で人を裏切れる男であるのなら、その男にかける情などはない。悩む余地もなくそう即断したようだった。
形南の当時の心情を考えると辛く、苦しかった事だろう。
「その場で二人を目にした私は思わず立ちすくんでしまいましたの。そうしたらアレがこちらに歩いてきて、こう言いましたわ。『帰れ』と」
謝罪どころか状況の説明すらもない。ただ一言だけの命令口調に形南は完全に呆れたという。
その後も竜脳寺からの謝罪や弁明は一切なく、婚約破棄の申し出を竜脳寺家に提出した形南は数日して自宅に訪れた竜脳寺と久しぶりに対面する事になった。
『久しぶりだな』
約十日ぶりに会う彼はいつもと違うような雰囲気を感じたらしい。形南は思わず謝ってくれるのだろうかと少し期待をしたそうだ。
婚約破棄はもう自身の中で決めた事であったが、謝罪を受けるくらいは問題がないと考えたのだと口にする。
「けれどこの人もきっと次の婚約者様には誠実な方になってくれると、そう思った私は浅はかでした」
竜脳寺が次に口にした言葉は謝罪だなんてものではなかった。
『何被害者面してんだァ?』
形南は思わず『はい?』と声を上げてしまったという。
流石にこの人物が何を思って日々を生きているのか、疑問が芽生えたと同時に竜脳寺外理の全てが謎の物体にしか見えなくなったのだとそう言葉に出していた。
淡々と語り出す形南の言葉を嶺歌は静かに聞いていると突然話はある話題へ移っていく。
「その言葉には驚きましたけれど婚約破棄は容易に出来ましたの。ですがそれ以降も殿方との恋愛に夢を見ることはありませんでしたのよ。あのような一件からはとても新たな出会いに気持ちが向かず、縁談の話などは断っておりましたわ。
ですがお父様は縁談を進めたくて仕方がなかったようでしたから、毎日のようにそのお話を耳にする事が日常茶飯事になっていましたの」
形南はそれまで淡々と話していたが、その感情のない声質はある話題に切り替わった瞬間、色づくように可愛らしい声音へと変化する。
「ですがそのようなお話も、今ではされなくなりましたのよ。そう、平尾様に出逢えたからですの!」
形南は先程とは別人のように目を輝かせると、当時の思い出に浸るように自身の両手を絡めてうっとりとした表情で窓の外を見つめ始める。
まるで視線の先には愛しの平尾がいるかのように語り始める形南の姿を見て、嶺歌は形南の思いが一時のものでない事を再認識していた。
「車の窓から彼を見つけた時、私雷に打たれたような気分になりましたの。彼はご家族とお出かけをされていて、柔らかい笑顔で談笑されていましたわ」
形南が彼に一目惚れをしたという話は以前にも聞かされていた事だ。しかしそれが、車の中から彼を見かけただけだとは思っていなかった。
形南の話を聞くと、平尾を目にしたのはその一回きりで、それ以降もずっと忘れる事が出来なかったようだ。
四六時中平尾の事を考えている自分に気が付き、形南は平尾を探すことを決意したのだと教えてくれた。
「お父様は縁談には積極的ですけれどお優しいお方。平尾様の件を申したら、二つ返事で認めて下さいましたの」
形南の父は、財閥でありながらも娘の幸せを尊重してくれる愛情溢れる人物のようだ。彼女が家族に愛されている事は幸いだ。
婚約者に裏切られ、家族からもひどい仕打ちを受けていたらと思うととても平静ではいられないだろう。
形南はそこまで説明を終えるともう一度両手を合わせて心底嬉しそうにふふっと笑みを溢す。
まるで先程何事もなかったかのように満面の笑みを出してくる形南のその態度に、嶺歌の心は複雑な思いを抱いていた。
そうして心の中で葛藤する。しかし自問自答はものの数秒で結論を導き出していた。
(いや、駄目でしょ)
気がつけば口が開いていた。嶺歌は形南に身体ごと向けて彼女を見据えると、ある言葉を口に出す。
「ねえ、その裏切った婚約者たちに復讐していい?」
シン、と車内に沈黙が流れた。
第十二話『過去の存在』終
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