第八話②『招待』
形南の自宅に訪問するのに流石に手ぶらでというのは気が進まなかった。
そのためいくつか候補を考えたのだが、大してお金もない嶺歌に買える中途半端な菓子折りを渡すより自身で心を込めて作った手作り菓子の方が喜ばれるのではないかと思ったのだ。
しかしよくよく考えれば財閥のお嬢様に手作り菓子なんて、無礼にも程があるだろうか。嶺歌はその事に今更気付き、気持ちが焦り始めるのを実感していた。
だがそんな考えは杞憂で、形南は心底嬉しそうに顔を綻ばせると自身の両手を頬に当てながら感激した様子で言葉を放ってきた。
「まあまあ!!! 嶺歌の手作りですのっ!? いいのかしら、とっても嬉しいですわ!」
形南はそう言うと再び「嶺歌の手作りだなんて最高ですの!」と同じような言葉を口にする。
正直そこまで喜ばれるとは夢にも思わず、嶺歌は嬉しさが底から込み上げてくる。
「手作りに問題あるのは見ず知らずのお方からのプレゼントのみですの。貴女は私の大切なお友達。喜ばない理由はなくてよ」
「そっか、安心した~! あれなの好み分からなかったから一般的に好まれる味にしてみたよ」
形南の言葉に安心し、嶺歌は中に入っているクッキーの説明を始める。形南は楽しそうにこちらの説明に耳を傾けながら頬を僅かに上気させ、ラッピングを優しく開けていく。
彼女が幸福そうにお菓子を眺める様子に気持ちを高鳴らせながら、しかしそこで部屋の隅で形南を見守る兜悟朗の姿が目に映った。彼はいつものように柔らかい表情をしてはいたものの、どこか険しい顔つきをしているようなそんな違和感を覚えた。
それを目にした嶺歌はある事が瞬時に頭に思い浮かぶ。
(そりゃあそうだ……)
そして嶺歌はすぐさま、お菓子を食べようとしている形南に「まだ食べないで!」と声を発した。驚いた様子の形南は口元付近に持ってきていたクッキーをその場で止め、そうして直ぐに「どうかなさったの?」と眉根を下げお預けを食らったような表情を見せてくる。
「ごめん、あれな。あたしが先に食べていい?」
「?」
「和泉様……」
そう、兜悟朗は形南の護衛も兼任している専属執事だ。そんな人が、知り合ってまだ日も浅い人間の差し入れを疑わない訳がない。万が一にでも毒が入っていたら大切なお嬢様を失う事になるのだ。彼はその事を危惧している為あのような表情をしているのだろう。
何故彼が形南に声を掛けないのかは分からないが、毒味役がいた方が彼にとっては安心できる筈だ。
そう思った嶺歌は未だに不思議そうな顔をした形南からクッキーをほぼ奪うような形で受け取り、そのまま即座に自分の口の中へと放り込んだ。無礼は承知だ。それから咀嚼をし、飲み込む。そして苦笑しながら兜悟朗の方を見て言葉を口にした。
「執事さんご心配おかけしてすみません……この通り、毒などないので安心して見守ってもらえればと!」
そう言って彼に小さく会釈をすると兜悟朗は胸を打たれたような顔をして深々と頭を下げる。しかし彼は次に予想していない言葉を口に出してきた。
「申し訳御座いません。誤解を生ませてしまいました」
「…………えっ?」
誤解? 一体何の話だろう。嶺歌は混乱したまま未だに頭を下げ続ける彼を見つめていると横からくすくすと可愛らしい笑い声が耳に響く。形南だ。
「まあ嶺歌、何て逞しいお方なのかしら。ですがお礼を言わねばなりませんね。私と兜悟朗に気を遣って下さり有難うございますの」
「え? うんそれは……」
形南の言っていることも何だか不思議だ。嶺歌はこの状況をうまく飲み込めないまま二人を交互に見る。
するとようやく顔を上げた兜悟朗が一から説明をしてくれた。彼は再び深い一礼をしながらこのような言葉を口に出す。
「先に申し上げさせていただきますと、私は和泉様の差し入れにそのようなものが入っているとは疑っておりません。それは現在も同じ思いで御座います」
「そうなんですか? でも執事さんは心配そうにあれなを見ているように感じたんですけど」
嶺歌は彼の言葉に正直な意見を口にする。失礼のないようにとは思っているが、ここは腹を割って話した方が今後の形南の為だろうとそう思っていた。
だが兜悟朗はこの嶺歌の言葉を否定してみせると次にこのような言葉を放つ。
「仰る通り、形南お嬢様を喜ばしい思いだけで拝見できていなかった事は否定出来ません。ですが、その件に関しては和泉様の関与するところではないのです」
「ええっと、どういうことでしょうか…?」
彼は嶺歌の差し入れのせいで形南を案じていた訳ではないと言う。だがそれ以外に彼が顔を曇らせる理由があるのだろうか。嶺歌は訳がわからず兜悟朗に視線を向けたまま自身の頬を掻いた。
すると兜悟朗ではなく今度は形南が言葉を付け加え始める。
「嶺歌。兜悟朗はね、以前の事を思い出していましたのよ。昔私が手作りを頂いて倒れたことがありますの。兜悟朗はそれを思い出して胸を痛めていたのですのよ」
「えっ!!!?」
「お嬢様の仰る通りで御座います。しかしお客様に悟られてしまうような失態を犯してしまいました。大変申し訳御座いません」
「いいのよ兜悟朗。ですが貴方はそろそろ吹っ切る努力をなさいね。もう八年も前の話ですのよ」
「精進いたします。和泉様もご不快な思いをさせてしまいました事、謹んでお詫び申し上げます」
「いやそれは全然……ていうか倒れたって……」
それは心配するのも当然だ。ましてやその時と同じような場面で倒れてしまうなど、忘れられるはずがない。嶺歌は頭を下げる兜悟朗を見てそれをするのは自分であるだろうと酷く申し訳ない気持ちが湧き起こった。
「倒れたっていうのはどうして?」
嶺歌は不安な気持ちを抱いたまま形南と兜悟朗に問い掛ける。まさかとは思うが以前、毒を盛られた事でもあるのだろうか。そう考えるとゾッとする。
しかし嶺歌の不安げな顔に気付いたのか形南は大きく手を振って「ご安心くださいな!」といつもより大きく声を上げた。
「毒など盛られた経験はなくてよ。私が倒れた要因は食物アレルギーですの。その時はアレルギーがあるだなんて知らなかったのですのよ」
「アレルギー……そっか、でも今は?」
「ふふ、今はアレルギーが治ったのですの。稀な事のようですけど、今はアレルギーがないのですのよ」
アレルギーは成長すると人によって症状が起きなくなる者とそうでない者とで分かれるという話を聞いた事がある。形南は前者なのであろう。嶺歌はその言葉にホッと胸を撫でおろすと力が抜けたのかそのままソファに座り込んだ。
「なんだ……良かった…」
そう呟きもう一度小さく息を吐くと形南のくすくすと上品に笑う声が降りかかってくる。
「嶺歌。貴女想像以上に素敵なお方ね。私感動致しましたの。ねえ兜悟朗、貴方もそう思うでしょう?」
形南は嶺歌の行動に喜んでいるようだった。嶺歌としてはヒヤヒヤした思いでそれどころではなかったのだが、こうして何も問題がなかった上に彼女が笑えているのならそれでいいかとも思える。
何にせよ、手作りのお菓子を持ってきた事は間違いではなかったのだ。それだけで嶺歌は安堵する事が出来ていた。