第五十七話③『貸切ダブルデート』
嶺歌は心臓が爆発しそうな程に緊張し、兜悟朗にそれが聞こえないだろうかと心配になる。
しかし彼と繋がれたこの手だけは、絶対に離したくなかった――。
それから数分散策を続けているとカスミソウの花を見つけ、兜悟朗と二人で鑑賞をする。カスミソウだけではなく他にも色とりどりの美しい花々が咲き誇っており、それらは嶺歌の心を踊らせていた。
「本当に丁寧に管理された庭園ですね。どの花も生き生きしてて、綺麗に咲いてる」
嶺歌は思ったままの感想を口に出すと、兜悟朗はそうですねと笑みを溢しながらスマホを取り出す。そして予想外の言葉を彼は口にした。
「宜しければお写真をお撮りしましょうか」
(えっ)
思ってもいなかった申し出に嶺歌は目を見開いた。想いを寄せる相手からそのように提案された事が嬉しく、気持ちは更に弾んでいた。
そして時間を置く事なく彼のその言葉に小さく頷き、お願いしますと声を出す。多少照れ臭いが、兜悟朗に写真を撮ってもらえるという貴重なこの体験が、嶺歌にとって最高の瞬間となっていた。
兜悟朗は嶺歌の頷きに穏やかな笑みを向けると、スマホを両手で構えて「それではこちらに」と声を発し、ある場所を指し示してきた。そこは――兜悟朗が好きだと言っていたカスミソウの咲いている場所だ。
「……はい」
嶺歌は心臓が更に高鳴り出す。これはそうなのか、そうではないのか。考えても分からないがもうどうしようもなく嬉しい気持ちで溢れている自分がいた。
兜悟朗は自分の好きな花の咲く場所を背景に、嶺歌を撮影しようと提案してくれているのだ。これ以上に嬉しいことが、あるだろうか。
(やばいやばい……嬉しすぎる……)
口元がにやけそうになるのを体感しながら嶺歌は兜悟朗に言われた通りカスミソウが咲き誇る場所まで足を移動させると、そのまま兜悟朗の方へ視線を向ける。
彼はもう既にカメラを構えていて、嶺歌をレンズ越しに写しながら「それでは撮影致します」と声を発した。
瞬間数枚のシャッター音が鳴り、その音で兜悟朗に撮影された事を実感する。今自分は、この世で一番好きでたまらないこの紳士的な男性に、写真を撮ってもらえたのだ。
(最高以外に言葉が出ない)
嶺歌は兜悟朗を見つめ、想いに浸る。そうして心の中で、想いを告げた。
(あなたが好きです)
兜悟朗に言葉が届かない事を知りながら、だがそれでも、嶺歌は確かにそう告げたのだった。
兜悟朗と幸福感で満たされる散策を続けていると、とある庭園エリアに入った所で偶然にも形南と平尾の姿を見つけた。
「きょ、今日は貸切って聞いて……驚いた」
「ふふ、本日は思い切りましたの。貴方様と、二人きりだけでお時間を過ごしたかったの……」
「あれちゃん……お、俺も…思ってた。う、嬉しい」
二人の甘い会話は聞いているこちらまで顔が赤くなってしまう。
しかしせっかくの雰囲気を邪魔しては野暮というものだろう。
嶺歌は二人の邪魔をしないよう気付かれない内に引き返す事を決意する。兜悟朗もそれを察知してくれたのか、何も言わずに嶺歌と来た道を戻り始めた。
しかしそこで「きゃっ」という形南の悲鳴が聞こえる。驚いた嶺歌は何かあったのかと瞬時に振り返ると、その光景に――目を見開いた。
「……っ」
形南と平尾は口付けを交わしていた。きっとこれが初めてのキスなのだろう。辿々しくも、平尾は両手で形南を抱き締め、形南も平尾の背中に手を回していた。
この状況からすると、平尾が不意打ちで形南の体を引き寄せて、それに驚いた形南が先程の悲鳴を上げたようだ。
見るつもりはなかったこの二人のラブシーンに、嶺歌は瞬時に顔が赤くなった。この場から早く離脱しなければと思いながら嶺歌は隣に兜悟朗がいる事を思い出す。彼と二人きりの時に、この様な場面を目にしてしまうとは思いもしなかった。
(やばい……意識しちゃう)
兜悟朗との口付けはどのようなものなのだろうか。そんな事を考えてしまう自分がいた。
しかし直ぐに首を振ると、そんな嶺歌の目の前に兜悟朗の優しい手が差し出されている事に気が付いた。
彼に視線を向けると兜悟朗は無言で柔らかい笑みを向けながら、自身の口元に人差し指を当てて小さく首を傾ける。彼は、形南たちに気づかれないようそっと離脱しようと言っているのだ。
嶺歌は兜悟朗に頷くと彼の差し出した手にゆっくり自分の手を添え、足音を立てないよう静かにその場を後にした。形南と平尾のキスシーンがしばらく頭から離れなかったが、二人の進展を素直に喜ばしく思う。
(二人ともおめでと)
そう思いながら、嶺歌は自身に重なった兜悟朗の手の温もりに気持ちの高鳴りを感じていた。
その後もダブルデートは充実しており、午後を迎えると四人で合流し庭園内を見て回った。
本当に広いそのガーデニングエリアは、どこを歩いても印象的な美しい情景が広がっており、飽きる事なく楽しむ事ができていた。
無事に有意義なダブルデートが終わり、嶺歌が自宅の風呂から出て髪の毛を乾かし終えた時の事だった。ちょうど良いタイミングでレインの通知音が鳴る。相手は形南からだ。
『嶺歌、少しだけお電話してもよろしくて?』
時間はすでに深夜の一時を回っており、嶺歌は形南が眠れない状況である事を察していた。彼女は特別な事でもない限り、いつも十一時までには眠りにつくという習慣を知っているからだ。
嶺歌は直ぐに返事を返すと、自室へ戻り形南と電話を始める。
『嶺歌! 聞いてくださいまし!!』
開口一番にそう口に出した形南は、嶺歌が何となく予想していた平尾とのファーストキスの話を報告してくれていた。
実は見ていた、という事実は言わないでおく事にした。せっかくの二人だけの甘い時を、見られていたと知ってしまうのは何だか台無しにしてしまう気がしたからだ。
この事を黙っているというのも悪い事ではない。それにきっと兜悟朗も同じ思いだろうと、そう思う自分もいた。
嶺歌は形南の興奮したキス話に心から感じた感想を述べると、そのまま彼女としばらく恋バナをするのであった。
第五十七話『貸切ダブルデート』終
next→第五十八話