第五十七話②『貸切ダブルデート』
ガーデニングエリアに到着すると、形南達を待ち受けていたかのように多くの従業員がゲート前で並んで立っていた。このようなパターンは初めてだ。
もしかすると全従業員が今この場に迎えに出ているのかもしれない。そう思える程に多くの人数がゲートに揃っている。
「正様、嶺歌、そのようなお顔をなさってどうされたの?」
形南は不思議そうに嶺歌と平尾に目を向ける。
どうやら平尾も嶺歌と同じくこの人数での出迎えに驚いているようだ。庶民なのだからそれも当然であった。
「いや、こんな出迎えは予想外だったよ」
「お、俺も……あれちゃん、貸切っていつもこ、こんななの?」
嶺歌の言葉に続くように平尾も声を発すると、形南はまあと口元に手を当てながら言葉を返してくる。
「ええ、貸切の際はこの様なお出迎えが基本ですの。お二人は初めてのご経験ですのね」
皮肉ではなく本当に驚いたような表情でそう告げる形南はやはり別次元のお嬢様である。
嶺歌は改めてそれを感じながら、今回本当にこのエリアをたった四人の貸切で歩き回れるのだと実感する。きっとこの先このような貴重な機会は二度とこないだろう。
そう認識をしながら嶺歌達は駐車場に停め終えた兜悟朗の一声で車から降車すると、慣れない従業員達の手厚いお出迎えを受け、中へと案内される。
必然的に恋人同士である形南と平尾が二人で並んで歩き、残った嶺歌と兜悟朗も二人並んで歩く形となっていた。
ガーデニングエリアの中は大規模な庭園だ。テレビで見たことがあった為どのような場所なのかは予め知っていたが、ここまで広いとは予想外である。
嶺歌は辺りを見回しながら景色の広さに驚いていると、前を歩いていた形南は心底感動した様子で「素敵ですのね!」と感嘆の声を上げていた。そんな彼女に同調するように平尾も「そ、そうだね」と言葉を発し始める。
貸切にする必要は果たしてあったのだろうかと思ってしまう程に大きなその庭園の入り口付近で、形南は自身の手首に飾られた高級そうな腕時計を目にして言葉を発した。
「申し訳ないのだけれど私と正様で行動をしても宜しいでしょうか? 少しのんびりと二人のお時間を取りたいのです」
形南が嶺歌に向かってそう尋ねてくる。嶺歌は迷うことなく「勿論」と即答した。
それに、嶺歌にとってもそれは嬉しい提案だった。兜悟朗と二人きりでこの庭園を散策したいという思いが少なからずあったからだ。
「午後になったらあれなと回りたいけど、午前は平尾に譲るよ」
嶺歌はそう告げてウインクしてみせると形南は嬉しそうに口元を綻ばせながらこちらの手をそっと握ってきた。
「嶺歌、感謝いたしますの!」
そう言ってから今度はこちらに顔を近づけると小声で「お互い頑張りましょうね」と言葉を付け加えてくる。嶺歌は彼女の言葉の意味を理解し、視線を合わせ小さく頷いた。
「兜悟朗、嶺歌をきちんとエスコートなさるのよ」
「はい。お任せください、形南お嬢様」
形南がそう告げると兜悟朗は即座に自身の胸元に手を当て綺麗な一礼をして応える。
すると形南は満足そうに頷いてからこちら側に手を振り、顔を赤らめたままの平尾と共に右側のエリアへ足を向けていった。形南たちとは暫く別行動だ。
「それでは僕達も参りましょうか」
形南と平尾の姿が見えなくなると、兜悟朗は嶺歌の方に向き直りそのように言葉を発してくる。
嶺歌ははいと答えながら彼に並んで左側のエリアへ足を動かしていった。
兜悟朗と二人きりでの散策は、以前高円寺院家の庭園を散歩した時以来だ。
あの時も、小綺麗なテーブルの上でしばしのティータイムを楽しみ、とても充実とした時間を過ごせていたのを思い出す。
そして今回も同じく強い満足感を得ていた。そう、まだ歩き始めて数分にも関わらずだ。
(本当に幸せすぎる)
嶺歌は自身の真隣で歩き続ける兜悟朗を終始意識しながら足を進めていく。
兜悟朗は先程から他愛もない話題を振ってくれており、嶺歌もそれに応える様に声を発し続けている状況だ。何の取り留めのない会話も、兜悟朗となら全てが喜ばしい。
嶺歌は兜悟朗に釘付けになっている自分を自覚しながらも、彼との時間を大切に噛み締めるように意識して庭園を歩いていた。
ガーデニングエリアの庭園には、色鮮やかな植物や花たちが辺り一面に広がっており、名前の通り大規模なガーデニングとなっていた。
歩いても歩いても綺麗な植物達が次々と嶺歌達を迎え入れ、まるで出口のない花園だ。そう言ってしまえる程に土地の広い所であった。
そんな素敵な場所を兜悟朗と二人きりで歩けているのだから、嶺歌の気分は更に高まりを続けていた。
「嶺歌さんはお好きな花は御座いますか」
途端に兜悟朗はその様な質問を投げ掛けてくる。嶺歌は顎に手を当てながらしばし思考した。こうして花を眺める事は好きだが、考えてみれば自分の好きな花を意識した事はなかった。
嶺歌は兜悟朗の方へ顔を上げて口を開く。
「好きな花とかを考えた事がなくて、でもどんな花も可愛いなと思います」
そう言って嶺歌はちょうど兜悟朗の後ろに咲いている美しくも可愛らしい一輪の花を指差す。
そして「この花とかあたし好きです」と口にすると兜悟朗は柔らかい表情をしてからこんな言葉を口にした。
「美しいお花で御座いますね」
彼に同意してもらえた事が嬉しく、嶺歌はすかさずはいと声を返す。単純だが、本当に嬉しいのだ。
「兜悟朗さんは植物に関心があるんですか? もし好きな花があるなら、見てみたいです」
嶺歌も彼に習って同じ様な質問を返してみる。すると兜悟朗は尚も微笑みを向けたまま嶺歌の質問に答えてくれた。
「そうですね、植物への関心は持っております。中でも僕の好きな花はカスミソウです。高円寺院家の庭園にも咲いていらっしゃるのですよ」
植物に詳しくない嶺歌も知っているその花の名は、彼が好きだと口にした途端、嶺歌にとっても特別な花になり始める。
そうして頭の中でカスミソウを思い浮かべながらこの近辺にないかどうか顔を動かしていた。せっかくなら彼の好きなその花をこの場で目にしたいと思ったのだ。
「カスミソウはあたしも知ってます。小さい花がたくさん集まって可愛いですよね」
そう言いながらキョロキョロと辺りを見回しカスミソウがないか探していると、兜悟朗は「嶺歌さん」と口にしてこちらに微笑みかけてくる。
「カスミソウの花はこの先のエリアにあると小冊子に書いてありました。宜しければ御付き合いいただけますか?」
(絶対行く)
心の中でそう強く叫びながら嶺歌ははいと返事をした。そうして兜悟朗がそっと自身の大きな手を差し出してくるのを、嶺歌は真正面から目にしていた。
「それでは参りましょうか」
兜悟朗は嶺歌が大好きなその柔らかな笑みを向け、嶺歌をエスコートしようと手を差し伸べてくれている。
胸が弾む想いを秘めながら、嶺歌はそのまま彼の大きな手に自身の手を重ねた。そして優しく指先を支えられながら庭園の中を進んで行った。
(こんなの……本当に恋人みたい)
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