第四十九話②『確かめたい令嬢』
「平尾様!」
形南は可愛らしい佇まいをした平尾の姿を発見すると彼の名を大きく呼ぶ。
その様子を見て形南の事を興味本位で見てくる者も多数いたが、そのような視線は形南の気にするところではなかった。
そのまま形南に焦点を当てて顔を仄かに赤らめる平尾を見つめながら形南は気持ちが上昇していくのを実感する。
「あ、あれちゃん。お疲れ」
「お疲れ様で御座いますの! 本日は徒歩で河川敷ですのよね! 私とっても楽しみにしていましたの!」
今日は平尾に合わせてリムジンは既に帰宅させていた。ゆえにこの場にいるのは平尾と形南だけだ。
平尾とは河川敷を散歩して時間を過ごそうという素敵な提案をもらっており、形南は体験したことのないその時間に胸を躍らせていた。
形南にとって訪ねた事のある河川敷は、気分が落ち込んだ時に兜悟朗に連れて行ってもらっていた所しかなかった。
そして親しい者と二人きりで、それも遊ぶ事を目的とした河川敷の散歩というのはこれが初めての事である。
大好きな人である平尾と未知の体験ができる今日を形南はずっと楽しみにしていた。
そのまま平尾と二人で肩を並べて歩き出す。平尾とこうして二人で出掛けるのも一度や二度ではなくなっている。
確実に回数が増えているその事実に形南は嬉しい気持ちが生まれていた。
平尾がよく訪れるという河川敷に到着し、形南は人の少ない大きな河原に目を向ける。
自分が一人になりたくて兜悟朗に連れて行ってもらう場所とはまた違った美しさがあり、なんだかこの景色を眺めていると物思いに耽りたくなる。そんな温かい場所だった。
「気持ちいいですのね」
形南は風で舞う髪の毛を抑えながら目の前に広がる綺麗な景色に目を凝らす。
とても気持ちの良いその風は、まだ暑いこの時期にちょうどよく、形南の気持ちを一層高まらせていた。
「き、気に入ってくれて良かった」
平尾はそう言うと芝生の上に座り込んだ。
形南も続けて座ろうと思うが途端に「ちょっと待って」と平尾に制され、形南が頭に疑問符を浮かべていると彼は自身の鞄の中から小さなレジャーシートを取り出す。
「これ……服が汚れないと思うから」
「まあ……」
形南は平尾の優しい気遣いに胸を打たれる。本当に、この人は心が温かく優しい人だ。
形南は胸が熱くなりながらも彼にお礼を告げてそのまま用意されたレジャーシートに腰を下ろした。そして思っていたよりも密接した距離の近さにドキドキした。
「平尾様」
形南は平尾に聞きたい事があった。
それは昨日嶺歌にあの言葉を放ってからどうしても聞かずにはいられないと自身の中で決めていた事だ。
(平尾様が私を好いて下さっている事は分かっていますの。けれど……)
「嶺歌の事、慕っておりますの?」
「ええっ!?」
このように尋ねてはいても、平尾が嶺歌を異性として好いているという考えは持っていない。
彼と過ごした数々の時間の中で、平尾が形南を一人の女として見てくれているという事が存分に伝わってきているからだ。
しかし同時に平尾と嶺歌の仲が以前より友好的になっている事実にも形南は気付いていた。
平尾と嶺歌が仲良くなる事を、形南本人が心から望んでいる事は今でも変わらない。
だが平尾が嶺歌の事を異性として見ていないのだと彼の口から直接聞いた事は一度もなかった。
勿論、シャイな彼が何のきっかけもなしにそのような事をわざわざ口にする筈もないのだが、形南としては平尾の口からはっきりと嶺歌をどう思っているのか聞いておきたかった。
嶺歌への嫉妬は昨日の一件から綺麗に拭い取られている。そしてこの醜い自分の感情を彼女は肯定してくれていた。
そんな嶺歌に対しては友愛だけでなく揺るぐ事のない絶大的な信頼を持っている事に嘘偽りはない。ゆえにこれは嶺歌ではなく、平尾と形南二人の問題なのだ。
だから次は平尾に確かめたい。彼の答えは聞かずとも明白だ。だと言うのに聞いておきたいのだ。それがあまりにも自分勝手な事は分かっている。
だがそれでも形南は――どうしても想い人の本音を聞きたかった。
それが聞けた時、初めて形南は平尾に愛の告白が出来るのだと、自身の心の中で強く決めていたからだ。
「平尾様は以前、嶺歌と《《そのような噂》》が出たのだと、お聞きしましたの。御免なさい、お調べさせて頂きましたの」
形南は目を見開き言葉を失っている様子の平尾に尚言葉を続けた。
「それに、嶺歌が平尾様への呼び方を変えてらしたのも気になりますの」
噂になった件について、嶺歌から話を聞いてはいない。
だが形南は以前から平尾の女性関係に関する情報を数人の従者を使って定期的に調べさせている。そのため今回の噂においても形南は兜悟朗から直接報告を受けており、その事態を耳にしていたのだ。
形南は平尾と嶺歌が交際しているのではないかという噂が校内に広がり、その噂が一日余りで収まっていたというところまで聞いていた。
噂が収まった詳細までは分かっていなかったが、ひとまず彼らの関係が否定されている点に安心感は得られていた。きっと嶺歌の事だから、彼女が全力で否定してくれたのかもしれない。
また、嶺歌が平尾への呼び方を変えていた理由が気になっていたのも事実だ。
なぜ君付けで呼んでいた嶺歌が、急に平尾を呼び捨てにしていたのかは気になる。噂を信じてなどはいないが、二人の仲が良くなったタイミングと合致するというのも気にかかる理由に含まれていた。
しかしこのような疑問があっても嶺歌が兜悟朗を好きでいる事実や、平尾が形南を好いてくれているという事に関しては確信を持っている。ただ本当に知っておきたいのだ。
第三者からの報告ではなく、形南の推測でもなく、平尾自身の口から真実を。
だが今回の件で平尾には引かれてしまうかもしれないという事も覚悟はしていた。
自分の知らないところで勝手に身辺調査をされていたら、いい気分はしないだろう。それは初めて彼を調べた時から感じていた事だ。
後悔はしていないが、平尾が気分を害してしまっていたら謝罪する以外の選択肢がない。
形南はそんな様々な感情を心に浮かばせながら平尾の言葉を待っていると、彼はこちらのその言葉に再び驚いた表情を見せ「それはないよ!!!」と声を大きく発してきた。
「その噂はホントにデマで、俺はその…和泉さんは友達だよ。好きとか有り得ない」
次第に声はいつもの大きさに戻る平尾であったが、形南は彼のいつもとは違うその話し方に驚いていた。そう、彼は言葉を全く詰まらせていないのである。
「実はあの日、和泉さんが噂を立てたクラスメイトにそれは勘違いだって一喝してくれたんだ。俺はそれを見て凄いかっこいいと思った。でもさ…それが恋かって聞かれても絶対に違うって断言できるよ」
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