第四十八話②『本音』
「和泉さんお、おはよ」
偶然にも下駄箱前で会った平尾は口ごもらせながらもいつもより親しみがあるように感じられた。
嶺歌はおはよと声を返すと今日形南と会う事を早速報告する。意識していなかったのだが、そのまま平尾と一緒に教室まで向かう形になっていた。
「そ、そうなんだ。俺も実は明日会う予定でさ……」
「そうなの? あれなが二日連続で空いてるなんて珍しいね」
廊下で様々な生徒とすれ違うが、嶺歌と平尾の姿を見ても変に揶揄ってくる者はもういなくなっていた。あの一件が全員の印象に強く残ったからだろう。
そのまま形南の話をして足を進めていると、平尾は頬を掻きながら何やらもじもじとし始め、嶺歌にこんな事を尋ねてきた。
「と、兜悟朗さんとはどう?」
「えっ」
平尾から聞かれるとは何だか不思議な気分だ。
嶺歌が驚いた目をして彼を見ていると平尾は顔を俯かせながら「き、近況を報告するって約束はしてないけど……互いの恋に発展があったら話すのかなって思ってたから……い、和泉さんもそのつもりだったよね?」と謎の確認をしてくる。
確かに嶺歌もそれは感じていたのだが、直接的に確認をしてくる平尾に面白おかしい感情を抱きながら嶺歌は口を開いた。
「ああ、まあ確かに…でも平尾の方から気にしてくるとは思わなかった。あんた、自分の事でかなり手一杯そうだったし」
「ええ? そ、それは否めないけど…」
「否めないんかい! あははっ」
「しょ、しょうがないじゃん…」
そんなやり取りをしている間に自分たちの教室まで到着する。
平尾は困惑の色を見せてはいたものの不快そうな表情はしていなかった。
嶺歌はそんな彼の姿を見て、平尾とはいつの間にか軽口を叩き合える関係になっているような気がしてきていた。
そしてそんな嶺歌の平尾に対する認識は『形南の好きな人』という括りから抜け出し、一人の友達として認識するようになっている事にも気が付く。
「じゃ、またね」
嶺歌は自分の中の考えに納得すると、平尾に笑みを向けながら自分の教室へと入っていく。
平尾も「う、うんまた」と声を返してそのまま互いの教室へと入っていった。
放課後になると嶺歌は形南からレインが来ている事を確認し、急ぎ足で廊下に飛び出す。知り合いから声を掛けられ言葉を返しながらも形南の待つ校門へと足を動かした。
形南の学校は嶺歌の学校よりも一時間早く授業が終わる。
形南の通うお嬢様学校は、皆それぞれ稽古が控えているご令嬢ばかりが通っているため学校側がそれを考慮してそのような形式になっているようだ。
そのため形南との放課後の約束事に嶺歌が形南の到着を待った事は一度もなかった。
(あれないた)
急いで靴を履き替え、昇降口に出るとそこで校門の先に黒いリムジンと形南と兜悟朗の姿が見え始める。
相変わらず大きなリムジンは目立つせいか多くの生徒達に視線を向けられ、しかしこの光景はもう何度も目にしているものだった。
「あれなお待たせ!」
嶺歌が駆け足で形南の方へ向かうと彼女も嬉しそうに微笑んで嶺歌の名を呼んでくる。そうして再び体の調子を尋ねてきた。
また近い内に医師への診断を控えているのだが、嶺歌の体は本当に問題がない。
その事を正直に話すと形南は喜ばしそうに口元を緩めてホッとした様子を見せてくる。
そんな形南を見て彼女は変わらないと、嬉しい気持ちになっていると聞き慣れた柔らかな声が嶺歌の耳に響いてきた。
「嶺歌さん、お疲れ様で御座います。どうぞお乗り下さい」
そうして兜悟朗の声で嶺歌は彼を見た。
もう何度気持ちを動かされるのだろうと思ってしまう程、兜悟朗の声だけで一気に心臓が飛び出そうになる。
それほど嬉しいという事なのだが、嶺歌は顔を僅かに赤く染めながらありがとうございますと言葉を口にして彼のエスコートを受けるのであった。
「嶺歌、最近兜悟朗とはどうですの? ずっとお聞きしたかったのですのよ!」
一度訪れた事のあるカフェに形南と二人で入り、取り留めのない雑談をしていると形南は急に話題を変えてきた。
今回は恋バナという名目で会っていたため兜悟朗にはリムジンで待機するように予め形南が指示を下していた。
そのため二人きりなのだが、女子会が始まって数分としない内に尋ねてくる形南に嶺歌は顔を赤らめながら言葉を発する。
「うん…ぶっちゃけ最近、結構距離が縮まった気はする」
嶺歌は本心から思っていた言葉を口に出す。
だが前から考えていた彼の本音が恋愛なのかどうかまでは未だに結論を導き出せずにいる。
その事も併せて彼女に報告すると、形南は口元に手を当てながら静かに話を聞いてくれていた。
「私も兜悟朗が恋として貴女を見ているのかまでは分かりませんの。ですが、私、確かに感じましてよ」
「ん? 感じたって何が?」
嶺歌は形南のその意味深な言葉に反応する。
すると形南はニコリと笑みを溢しながらこんな言葉を口にしてきた。
「兜悟朗の嶺歌への態度は、どう見ても『特別』でしたの! こちらは贔屓目なしの私のご意見ですのよ!!」
瞬間、嶺歌はボッと顔が熱くなった。
兜悟朗と何年もそばにいた他でもない形南がそう言うのだ。
嶺歌は自惚れではないのだと再認識しながらもそれが嬉しい気持ちと気恥ずかしい思いとで混ざり合い、言葉を失う。
そんな嶺歌の様子を正面から見ていた形南はうふふと声を漏らす。
「嶺歌ってば本当に可愛らしいわ。もう完全に恋をする乙女ですのね」
「……だってさ、兜悟朗さん、カッコいいんだもん」
嶺歌は形南の言葉に否定する事なくそう認める。
彼の全てが、嶺歌の心を奪っている。それはもはや否定しようもないほどに大きく膨らんでいる状態で、その事にも嬉しさを感じてしまうのだから彼への想いをはぐらかす事など出来なかった。
嶺歌の話が一段落すると今度は形南と平尾の話になる。
形南は平尾に明日会う予定なのだと嬉しそうに報告をしてくれていた。
嶺歌はその話を今朝方平尾に聞いていた事を形南に説明する。すると形南はあら! と声を漏らしてこちらに視線を向けてきた。
「嶺歌、最近平尾様と親しくなられたのですね……嬉しいですの!」
しかし嬉しそうにそう口にしたと同時に形南は少しだけ、顔を俯かせてこう呟いた。
「けれど、何故でしょう……少しだけ、複雑な私もいますの。お二人の仲が良いのは喜ばしい事ですのに」
そう言葉にする形南を見て嶺歌は彼女の心境を察した。そして自分の配慮が足りなかった事を認識する。
「あれなごめん。平尾とは互いに恋愛対象じゃないって思ってるのは間違いないんだけど、不安にさせちゃったね」
そう言って形南に視線を返した。
自分が形南の立場だったら複雑な思いになるのも当然だと思ったのだ。
意中の相手が、同じ学校に在籍する友人と親しいというその状況は、たとえ恋愛が関与していなくても面白くないのかもしれない。
「あれなが望むなら平尾とは距離も置くし、遠慮なく言ってよ。これ以上不安にさせるのは本意じゃないよ」
平尾との新たな関係性に嶺歌自身満足しているのは確かだ。
だがそれでも形南の方が大事だ。優先したいのは形南の気持ちであり、平尾との友人関係ではない。
そんな事を迷いなく思っていた嶺歌がそうはっきり口に出すと、しかし形南は「いいえ!」と否定の声を出す。彼女も彼女で己の心と葛藤している様子だった。
「そのようなお気遣いは無用ですのよ嶺歌、ありがとう御座いますの。けれどね、こちらは私の問題ですの。平尾様と嶺歌が親しくなられる事はそもそも私が望んでいた事……このような気持ちになる私がまだまだ未熟だというお話ですのよ」
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