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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第98話

「兄さん。紅が困ってるだろ。あんまりいじめるなよ。それに、兄さんにだけは紅は渡さないからな」

 もう、ほんと勘弁して頂きたい。こんな会話、わざわざ桔梗さんの前ですることないのに。というか、私のいないところでやって欲しい。でも、まあ今はいつお母さんが帰って来るかって、二人ともやきもきしているから、全く関係のない話をしたいのかもしれない。

 そんな時だった。玄関のドアが開いた音がしたのは。瞬時に青と紫苑さんに緊張が走る。二人だけじゃない。私もまた緊張していた。お母さんがどんな反応を起こすのか想像もつかなかった。青が傷付かなければいいと、そればかりを願っていた。

 パタパタとスリッパのリズミカルな音が徐々に大きくなってくる。

 リビングのドアが開き、青のお母さんが入って来た。以前青の部屋で見つけた写真の頃とまるで変わっていないように見えた。

 お母さんは、青を見て、すこぶる嬉しそうに口を開いた。

「来てたのね。紫苑。ずっと来ないから心配してたのよ。でも元気そうで良かった」

 青を紫苑さんだと思っている。青を紫苑と呼び、それに何の疑いも持っていない。そして、その笑顔はとても美しかった。

 話には聞いていたが、こうやって目の当たりにすると、青の苦しみがぐんっと矢のように胸に突き刺さる。

「母さん。紫苑は俺だよ。それは青だ」

 キョトンとした表情で、青と紫苑さんを見比べている。

 青を見て紫苑さんをみる。紫苑さんを見て青を見る。もう一度、さらにもう一度。繰り返される動作の中で、お母さんの表情が次第に強ばったものへと変わっていく。

 何かを思い出しかけたのかもしれない。青と紫苑さんはお母さんを無言で見守っていた。

「青……? 青……。紫苑……。ああっ。あああああ」

 青と紫苑さんの名前をぼそりぼそりと呟いていたかと思えば、突然雄叫びをあげ、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

「「「母さんっ」」」

 青と紫苑さんは叫んだはいいものの、あまりの事態に身動き一つ取れない状態だった。

 一番初めにサッと動いたのは、桔梗さんで、お母さんの元に駆け寄ると、優しい言葉(小さな声で囁いているようだったので私達には聞こえなかったが)を掛けながら、背中を摩っている。

「私は……、私はっ、何てことを……。ああああっ、何てことをっ」

 桔梗さんが落ち着くように諭しても、お母さんの興奮はなかなか冷めやらなかった。

 この取り乱し方からして、二人のことを思い出した。青の存在を消して、紫苑さんだと思い込んでいた事実を、二人を目の前にして思い出したのだろうと推測できる。

 桔梗さんは、お母さんを抱きかかえるようにして、起こすとリビングを出てどこかへ連れ去ってしまった。

 今日は無理だ……。

 お母さんの精神状態からして、これ以上、話すことは出来ないだろう。

「思い出したみたいだな……」

 紫苑さんの独り言とも取れるその言葉に、青が静かに頷いた。

「二人で来たのは、間違いだったのかな」

 青がぽつりと呟く。

「いやっ、俺はそうは思わない。お前だって、始めは自分は青だって母さんに訴えてたんじゃないのか? それでも、母さんは聞き入れなかった。もし、そうであれば、お前ひとりでここにきても思いだす、お前の記憶を引き出すことは出来なかったと俺は思うよ。母さんには、辛い事実を引き出したことになるけど、遅かれ早かれこうなるしかなかったんだ。母さんは大丈夫だ」

 いつもの紫苑さんではないみたいな。しっかりとした口調と落ち着いた態度、青のお兄さんとしての凛とした態度に私は関心するばかりだった。

 確かに、二人が来たことでお母さんの意図的に封じ込めていた記憶は戻ったとみていい。それは、お母さんにはショックな出来事であることには変わりない。でも、この先の家族を思うなら、通らなければならない道なんだ。

 紫苑さんにとっても辛いことだろう。青が紫苑さんに間違えられているように、紫苑さんも自分を青と間違えられているのだから。お母さんが紫苑さんと呼んでいる人物が青であるのだから、じゃあ、紫苑さん自身は一体誰なんだということになる。結局、二人共を記憶の中に閉じ込めてしまったことにはならないか。

「そうだよ……な。ごめん、兄さん。兄さんも辛いだろう?」

「辛いよ。だけど、俺はお前の兄さんだからな。少しはしっかりしたとこみせとかないとな。俺には、いいとこ見せておかなきゃならない奴もいるしなっ」

 ちらりとこちらを見て、しらっとした顔で言う。

「兄さんっ。油断も隙もないっ。紅は駄目だって言ってるだろう?」

 やっぱり青と紫苑さんは兄弟なんだなって心の底から思う。

 似てるよっ、二人とも。口説く時の強引なところとかそっくり。

 だけど、青の時には強引に口説かれて揺れ動いた心が、紫苑さんに何を言われても、少しも揺らぐことはない。それは、私の中で青があまりにも特別で、揺らぐ隙すらないくらい、私が青を大好きだからなんだろうと思う。

 青は、紫苑さんのそういう態度を、心底心配に思っているようだけど。私は、あまり気にしていない。青への想いが鋼のように固いものだと解っているから、何が来ても私は平気なのだ。

 こうやって、二人が喧嘩したりするのはとっても困るけど……。

 どうしたら、青は解ってくれるのかな? この私の鋼の想いを。何が来たってへっちゃらなのに。どうしたら伝わるだろう?

「もうっ、二人とも。煩いっ。お母さんが大変な時にそんなくだらないことで言い争いなんてしないでっ。いい加減にしないと、追い出すよっ」

 私の怒声に、二人の言い争いが止まり、驚いた顔で私を見つめる二人に最上級の笑顔を見せた。

「「はい、ごめんなさい」」

 素直に謝る(しかも二人ハモッている)二人に満足気に頷いて見せた。

「ふむ。よろしい。ところで、私達ここで待っててもいいのかな? 出直した方がいいのではない?」

「う~ん。様子を見に行ってみたいけど、俺達が行ったら、余計に刺激してしまいそうだし……」

 青が腕を組んで、どうしたものかと思案しながら、そう言った。

「じゃあ、私が様子を見に行ったら駄目かな? 私だったら刺激をしてしまうこともないだろうし、あんた誰って感じかもしれないけど。桔梗さんに様子を聞いて、もし今日は駄目なら日を改めればいいんだし」

 青と紫苑さんが互いに見つめ合い、目だけで会話しているようだ。

「そうだな。俺たちじゃ、刺激しちまうからな。お前行ってきてくれ。恐らく寝室にいると思うから」

 私は大きく頷いた。

 二人に寝室の場所を教えて貰い、その部屋の前に立った。

 あんなことを言ったのはいいけれど、私みたいな部外者がしゃしゃり出て来ていいものだったかと、今更ながらに後悔し始めていた。だが、何もせずにのこのこ二人の元に帰るわけにもいかず、ふぅっと一回小さな溜息をついた後、ノックをした。

 先ほどのお母さんの慟哭が今は聞こえない所を見ると、少しは落ち着いているのかもしれない。

 部屋の中から、戸惑いの空気を感じ取った。

「あのっ、私。紅です」

 私の声を聞いて、まるでホッとしたかのように部屋の中から安著の空気を感じた。

 すぐに、ドアが開き、桔梗さんが顔を出した。

「すみません。大変な時に。お母さん大丈夫ですか? お母さんの体調が良くないなら、私達今日はおいとましようと思って」

「ああ、せっかく来て貰って申し訳ないが、今日の所は……」

 やはりそうなってしまうかと、諦めかけた時、その声は耳に届いた。

「入って貰って、あなた」


 


こんにちは。いつも読んで頂き、有難うございます。第104話を持ちまして、赤青鉛筆、終了する予定でいます。

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