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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
97/104

第97話

「よしっ、行こうか」

 四月の初めのよく晴れた日曜日。

 私と青、そして紫苑さんは二人の実家である桔梗さんの家の前に立ち、その家を見上げていた。

 その心境はそれぞれ違うものであるだろうが、何をどう感じているのかを計り知ることは出来ない。 だが、二人とも緊張した顔をしてはいたが、すっきりとした顔をしているようにもみえる。

 覚悟は出来ている。そんな表情だ。

 私の熱は結局その後、上がったり下がったりを繰り返し漸く完治した。

 その間に、二人の中では気持ちの整理をしていたのだと思われる。

 紫苑さんが青を伺い見て、青は紫苑さんに頷いて見せた。紫苑さんはそれを受けて、深く頷いたあと、チャイムを鳴らした。

「はい」

 インターホンから聞こえてきたのは桔梗さんの声だった。青はほんの少し肩の力を緩めたが、紫苑さんはそういうわけにはいかない。紫苑さんは、まだ桔梗さんとも和解していないのだ。二人の前に一時に現れるよりも、まず先に桔梗さんと和解した方が良いのでは、と打診してみたが、紫苑さんは首を縦に振ることはなかった。

「俺。紫苑……と青も来てる。その連れも」

 緊張が横にいる私にも伝染してきて、生唾を何度も飲み下した。

 桔梗さんが中でガチャガチャンという派手な音をたてたかと思うと、ほんの少し静寂のあと、パタパタと近付いてくる音が聞こえてきた。紫苑さんの声を聞いて、動揺して受話器を落とし、派手な音を立ててしまったようだ。

 桔梗さんでは想像も出来ないような乱暴さで玄関のドアが開いた。

「紫苑っ」

 玄関の前に立っていた紫苑さんに抱きついた。

「……父さん。心配かけて悪かったよ。母さんのことも、悪かったって本当に反省してるんだ」

 桔梗さんに抱きつかれたまま、紫苑さんは自分の気持ちを絞り出すように口にしていく。

「いいんだ。お前が無事でこうして俺の前にもう一度姿を現してくれただけで、俺は嬉しいんだ。俺の、俺達の方こそ長い間、お前に辛い想いをさせて来てしまった。謝らなければならないのは、俺達の方だ。すまなかった。許してくれ……、紫苑」

 桔梗さんの涙交じりの声が、私の涙腺も刺激する。

 隣りでそれを見ている青も、涙を我慢しているのが解る。

「うん、うんっ……」

 子供に戻ってしまったように、何度も何度も頷く紫苑さんの瞳からも涙が一粒、また一粒と零れ落ちていた。

 親子の絆は、そんな簡単に断ち切れるものじゃない。どんなに大きな喧嘩をしてしまっても、どんなに長い間離れて暮らしていても、会えば分かち合えるものがある。どんなに家族が崩壊してしまって、元には戻れないと絶望を感じていても、歩み寄りさえすれば、必ず開ける道がある。離れた心はまた集まればいい、砕けた心は少しずつ一緒に修復していけばいい。そして、そこからは、新しい何かが生まれるんだ。それは、切れかけた絆よりももっともっと太くて大きい、少しのことじゃ切れない、どんなに離れていても決して切れることのない頑丈な絆なのかもしれない。

「父さん。とにかく、家の中に入ろう。こんな所で、みんなで泣いてたら、近所の人がびっくりしてしまうよ」

 青の言葉に周りを見れば、何事かと、遠巻きに私達を見ているご近所の皆さんが……。噂好きのおばさま方が、特ダネかしらなんて目を輝かせているのが怖いほどに解る。今まで気付かなかったことが、おかしいと思えるほどに、その鋭い目は私達を捉えていた。

「ああ、そうしよう。みんな、家に入ろう。紅さんも中にどうぞ」

 泣き乱れてしまったことを少し恥じているような、俯き気味な桔梗さんがそう言って、玄関を開けてくれた。

「母さんは?」

 青の緊張気味な強張った声が、桔梗さんに向けられた。

「今はいない。買い物に行っているんだ。じきに帰って来る」

 青の強張った表情と声を聞いて、安心させるようにとても優しい声でそう言った。

「そっか」

 少なからず、青も紫苑さんもホッとしているのが窺える。桔梗さんと顔を合わせるよりも、やはりお母さんと会うことのほうが、青にも紫苑さんにも緊張を強いられることなのだ。

 青は、ずっと自分を紫苑さんと勘違いされている為、紫苑さんはお母さんに怪我を負わせたまま逃げだしてしまった為。

 桔梗さんにリビングに通されると、青も紫苑さんもとても懐かしそうに、家具の一つ一つを見回しては、その中にある想い出を手繰り寄せているように、その場に立ち尽くしていた。

 私はその一歩後ろで、その二人の表情を見ていた。二人とも懐かしそうではあるけれど、少し苦いものでも口に含んだような表情をしている。一番に思い出されるのは、二人ともあまりいい思い出ではないようだ。それでも、時折見せるフッと微笑んだ表情に、それだけではないのだと教えられる。

 桔梗さんは、台所にお茶を用意しに消えて行った。

 青と紫苑さんの想い出の回想は、桔梗さんがお茶を持って戻って来るまで続いた。

「さあ、みんなこっちに来て座ろう。お茶を用意したから」

 私達三人は長いソファに並んで座った。何故か、私が真中で青と紫苑さんに挟まれる形で座った。

 えぇ、私は今日は言わば部外者といってもいい役回りなのに、何で真ん中なのかなっ。

 青に目でそう訴え掛けてみたのだが、優しく微笑まれただけで、何の解決にもならなかった。

 これから、お母さんも帰って来て、4人で色んな話をするんだろうから、私なんかは端っこで良かったのに。何故こんなことに。

「紅さん、二人を引き合わせてくれたのは、君なんだろうね?」

「いえっ、私は別に何も……」

「「そうだよ」」

 謙遜でも何でもなく、純粋に否定しようと思っていたのに、両側から、言葉がかぶさるように降って来た。

 あれは、青と紫苑さんが再開したのは、私が引き合わせたのでも何でもなくて、ただの偶然だったのに……。

「紅がいなければ、俺達はきっと会ってない」

「ああ、こいつがいなけりゃ、この先ももしかしたら会ってなかったかもしれない」

 何かとてつもなく、私を買いかぶり過ぎてるんじゃないかと思うんだけでど……。

 別に、私は何もしていないのに、どうして、この家族は私のお陰みたいな風にいつも言うんだろう。

「やっぱりそうでしたか、紅さん。ありがとう。そして、こうしてここに連れて来てくれて」

「いえっ、ですから、私は何もしていないんです。感謝されるようなことは何も。ここに来たのは、私が連れて来たんじゃなくて、二人の意思ですから」

「馬鹿っ、違うだろ? 俺がお前を好きだって言おうとしたら、逃げてる男の話は聞かない。親に謝罪をしてから出直してこいって言ったのはお前だろうが」

 いやっ、そんな言い方してないと思う。

 桔梗さんが、驚いた顔でこっちを凝視している。

「紫苑も、紅さんが好きなのか?」

「厄介なことにね。こんな奴好きになっちまった。青の彼女なのにな。フラれることも解ってるんだけどな。でも、それでもいいって思っちゃったんだよな。馬鹿みたいだな」

 そんなこと言われても、私はどんな反応をしていいのか全く解らない。直接、好きだって言われたわけじゃないんだけど、いや、今も言われてるのと変わらないんだけど、私はどういう言葉をかければいいのだろう。

 だって、私の好きな人は、青しかいないんだから……。


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