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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
91/104

第91話

「マスター。今日は富ちゃん来るって言ってたよ」

「へぇ、あいつ久しぶりだな」

 私は週3日しか入っていないので、中々富ちゃんに会えないと思っていたのだが、どうやらしばらく店には姿を現していないようだ。

「結婚式の準備とか大変なのかな?」

「だろうな。もうすぐなんだろ?」

 富ちゃんからは結婚式がいつなのかという詳細は聞いていなかった。

 今夜、富ちゃんが店に来るというのは、メールで知らせてくれたのだが、そのメールでさえも久しぶりのことだった。

「富ちゃんの婚約者さんはもうこっちに帰って来てるのかな?」

「どうだろうな。帰って来てるなら、今日連れてくるかもな」

 富ちゃんの大事な人。わあ、早く会ってみたいな。

 

 富ちゃんが店に現われたのは、9時を回った頃だった。

「富ちゃんっ。久しぶりっ」

「わあっ、ベニちゃん。久しぶりだよね」

 富ちゃんの隣には、一人の男の人が立っていて、その人が例の婚約者なのだと一目で解った。

「へへっ、私の婚約者の寺西聡さんです」

 寺西さんはぺこりと頭を下げると、柔らかい笑顔を見せた。

「はじめまして。いつもこいつがお世話になってます。マスターのこともベニちゃんのこともよく聞かされていたので、初めてという感じがしないのですが……」

 干したての温かくて柔らかいお布団のような雰囲気を持った人だった。柔らかく包み込んでくれそうな人だ。穏やかな日溜まりのような人。とにかくその笑顔が凄くいい。きっとどんな時でも笑顔でいられる人なんじゃないかって思う。辛さも笑顔に替えられる人。他人の不幸も中和してしまいそうな笑顔を持っている人だった。

「はじめまして。板尾紅ですっ。富ちゃんにはいつもお世話になって貰ってます」

 焦って、自分でも何を言っているのか解らなくなりかけたが、恐らく自己紹介としては、無難にこなせていたと思う。

「ベニちゃんったら、何そんなに緊張してんの。気楽にしてていいのにっ」

 無難にこなせてもいなかったようだ。

「どうも。はじめまして。富にはこの店の売り上げに貢献して貰ってるんだ。感謝してる」

 マスターの挨拶はとてもあっさりとしたものだった。

 っていうか、なんか恰好付けてない?

 という目でちらりと見上げてみれば、なんか文句でもあるのかという目で睨まれてしまった。

「それでね、マスターとベニちゃんに招待状持って来たんだ。あっ、ねぇベニちゃん。ブルーにも直接招待状渡したいんだけど、ここに呼び出して貰うこととか出来ないかな?」

「うんっ。多分大丈夫だと思う。ちょっと電話で聞いてみるね。ってことで、マスターちょっと電話して来てもいい?」

「おうっ、行って来い。俺も久しぶりにあいつに会いたいしな。お前を傷つけたこと、俺が一発殴っておかないと気もすまないと思っていたしな、丁度いい」

 まっ、まさか……。本気で言ってるわけじゃないよね? だって、私を傷つけたって言っても、あの時けっこうがつんと青に説教してたじゃないですか。それでも、まだ足りなかったって言うんじゃないよね?

 握り拳をわなわなと震えるほど硬く握っている所を見て、まさか本気ではないかと不安になった。だが、マスターの目は微塵も怒っているようには見えなかった。

 私をからかっているだけなのかな……。

 どっちが真実なのか判断出来ないまま、とにかく青に電話をかけた。

 青は丁度家にいて、のんびりとくつろいでいるところだったようだ。

 富ちゃんからのお呼びだよって伝えると、酷く懐かしがっていた。すぐに行くよ、と電話を切ろうとしたその瞬間。私の耳に入って来た言葉は、

『紅に会いたいしね』

 毎日会ってるのに、一緒に暮らしているのに、どうして、そんな甘い台詞をしかも耳元で(電話なんだから仕方ないんだけど)囁くことが出来るんだろう。

 どう返事をしていいのか解らないうちに、くすりと笑い声が聞こえて、通話が切れた。

 完璧からかわれた。

 事実は明らかに明白なのに、どうして毎度毎度同じような反応をしてしまうんだろう。それが、青の思うつぼだと解っているのに、頭では分かっているのに、体が反応してしまうんだ。

「……来るって」

「どうしたの、ベニちゃん? 顔が真っ赤っかだよ。もしかして、電話越しに愛の言葉でも囁かれたのかな?」

 ぐっと言葉に詰まってしまった。

「あらっ、図星だったみたい。いいわねぇ、ラブラブで」

「ベニちゃんだって、ラブラブじゃないかっ」

「そうよぉ、私達はラブラブなのよ。ねぇ、聡ぃ」

 寺西さんの腕に絡みついた富ちゃんが、甘えた声で同意を求める。

 富ちゃんが、色っぽっく見えるのは、寺西さんに恋をしているからなんだろう。

 普段の富ちゃんとは、まるで違う変容ぶりに、私だけでなく、マスターも同じように驚いていた。

 私のイメージの中では、富ちゃんは男の人に甘えたりしないクールな女性、という風に固定化されていただけに、そのイメージがガラガラと音を立てて崩れていくようだった。

 カラカラカランと、少々乱暴なベルの音とともに、青が店の中に走って入って来た。

「ん? あっ、ブルーじゃない。何? もしかして、走って来たの? そんなに早くおネエさまに会いに来たかったのか。ご苦労ご苦労っ」

「いえっ、そういうわけでは……」

「ちょっと、いくら事実がベニちゃんに会いたくて走って来たんだとしても、そこは私を立てて、そうなんですよって言っておくのが、礼儀ってもんでしょうがっ」

「あっ、すみません。走って来たもので、脳が上手く働いていなかったのか、つい本音が……」

 ああ、青。富ちゃんに向かって、何て失礼な言葉を連発しているのですかっ。

「ほらっ、ブルー。水でも一杯飲めっ。今日は、ゆっくりと話したいことがあるからな。逃げるなよ」

 だから、それはもういいって。

「俺っ。マスターに感謝しているんです、あの時、俺を目覚めさせてくれなかったら、もっと多くの人を深く傷つけていたんじゃないかって思いますから。でも、結局、傷つけたことには変わりないですけど。だから、その分、きっちりと俺の手で紅を幸せにしますからっ」

 青には珍しく、熱弁をふるっていた。

 マスターもその気迫に圧されて、それ以上文句も言えなくなってしまったようだ。

「そうか。でも、これ以上紅を泣かしたら、そん時は容赦しないからな。解ったな」

「はい。解ってます。そんなことはありませんから、ご心配なく」

「ちょっと、何あんた達、そこでドラマみたいな熱いことやってんのよ。今日は、私がブルーを呼んだんだからねっ。もうっ、ブルー。こちらが私の婚約者で、寺西聡さん」

「あっ、見苦しいところをお見せしてすみません。紅の婚約者の杉田青です」

 頭をお互いに軽く下げ、握手をして挨拶を交わした。

「おいっ、ブルー。お前いつのまに婚約者になったんだっ?」

「大分前です。プロポーズは大分前にして、オーケーして貰っています。ただ、結婚するのは、恐らくまだ先のことだと思います」

 ちらりと私を見て、しらっとそんな事を言う青。

 あんに私が原因で、先のことがはっきりと決まっていないのですと言っているようなものです。いやっ、確かにその通りで、申し訳ないと思っているのだけれど……。

「何だベニ。もしかして、お前。この期に及んでまだ、やりたい事が見つかってないから、なんて結婚を待たせてるんじゃないのか?」

 痛いっ。全くその通りなだけに、何も言い返せない私がいた。


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