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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
89/104

第89話

「もし良かったら、一緒にご飯食べに行きませんか?」

 自分でもはなはだ信じられない大胆発言に、戸惑った。

 きっと断られるに決まっているんだけど……。

「いいよ」

「はっ、……ええっ?」

 確かに紫苑さんの声だった筈。だけど、紫苑さんがオーケーするはずはないのだが。はっ、もしや幻聴が聞こえただけだったりする?

「いいつってんだよ、アホか?」

「ええっ、いいんですか?」

 自分で誘っておいて、こんなこと言うのもどうかと思ったけど、だって信じられないんだもの。

 紫苑さんにアホって言われたことも、この嬉しさで怒りすら湧いてこなかった。

「行きたくないなら、1人で食ってくる」

「いやあっ、行きますっ。行きますともっ。ご一緒させて下さい」

 慌ててそう言うと、鼻で笑われてしまった。

 どうせ、こいつガキだなとか、私のこと馬鹿にしてるんでしょうよ。そりゃ自分でも自覚してるけどさ、もっとおしとやかで、大人な女性になりたいもんだ。

「おら、さっさと行くぞ」

 紫苑さんがさっさと会議室を出ようとするので、慌ててバックを鷲掴むと紫苑さんの後を追おうとした。が、勢い良く引っ掴んだバックが色鉛筆に当たり、派手な音を立てて床に転がり落ちた。

 なんで、よりによってこんな時におっこちちゃうのかな。恐らく紫苑さんはもう行っちゃった。私が来ないから、1人で行っちゃっただろう。わざわざ私を待つわけないのだ。

 あ〜あ、せっかく紫苑さんと仲良くなるための願ってもないチャンスなのに。

 だけど、この色鉛筆は父が母と離婚する前に、私にプレゼントしてくれた大事なものなのだ。このままの状態で紫苑さんを追ってしまったら罰が当たる。

 紫苑さんとのランチを諦めた私は、一つずつ色鉛筆を集めていく。

 すっと見知らぬ手が私の目の前を通り過ぎ、私が今拾い取ろうとしていた青色の鉛筆を取り上げた。

「何やってんだ。鈍臭い」

「……紫苑さん、1人で行っちゃったんだと思ってました」

 紫苑さんは、私の話を聞いているのかいないのか、青色の鉛筆をじっと見つめていた。

「青に……、会いたくなりましたか?」

 つい聞いてしまって、慌てて口を手の平で覆った。

「ああ、会いたいな」

 怒鳴られると思った。どぎつい悪態を突き付けられるんだと思った。

 だからだろう、あまりに意外な素直過ぎる紫苑さんをまじまじと見つめてしまっていた。

「じろじろ見んな、アホ」

 私の視線に耐えられなくなったようで、紫苑さんは私に悪態をつけると、顔を背けた。 照れてるんだ。紫苑さんは、とっても不器用な人だから、ついうっかり自分の気持ちを話してしまったことに、自分でも驚きを感じているんだろう。

「紫苑さんはいつでも青に会えますよ。紫苑さんの勇気一つです。青は紫苑さんを拒んだりしません。大丈夫ですから」

 紫苑さんは視線を逸らしたまま、聞いていた。

「でも、焦らなくていいんですからね。紫苑さんには紫苑さんのペースがあると思うので無理はしないで下さい。考えすぎは体に良くないですから」

「どっちなんだよ? 会えっつったり、焦るなっつったりっ」

「紫苑さんの好きにしていいんじゃないですか? 紫苑さんの気持ち次第ですから。こればっかりは、いくら私が今すぐ会って欲しいって思ってても、どうしようもないことですから」

 本音を言ってしまえば、紫苑さんの首根っこ掴んででも青の前に放り出してやりたいところではあるけれど、それが得策だとはとても思えないのだ。

「有り難うございます。拾って下さって」

 床に落ちている鉛筆は全て拾い終わった。あとは、紫苑さんの右手に握られている青色鉛筆と左手の中にある二本の鉛筆を受け取るだけだった。

 紫苑さんの前に手を差し出した。

 青色鉛筆をどこか名残惜しそうにちらりと一瞥したあと、私の手の平に乗せた。

「ご飯、食べに行きましょうよ。昼休み終わっちゃいますよ」

「行くのが遅れたのはお前のせいだ」

「ああっ、そうでした。すみません」

 紫苑さんは先ほどと同じようにさっさと行ってしまって、だが先ほどと違うのは、入り口で私を待ってくれていたことだ。


「わぁ、美味しいですねっ」

 会社の近くの喫茶店。紫苑さんのおすすめのお店だった。

 ハンバーグが美味しいということなので、おすすめどおり、ハンバーグを注文したのだ。

「青もハンバーグ大好きですよね。今度食べさせてあげたいな」

 ああっ、もしかして、青にこの店のハンバーグが美味しいということを私を介して、伝えたかったってことなのかも。

「しっかり、青に教えときますねっ」

 親指を立てて、にかりと笑えば、紫苑さんは視線を逸らした。

 もう、紫苑さんはすぐに視線を逸らしちゃうんだから。

「別に誰もそんなこと頼んでねぇだろ」

「そうですか? じゃあ、秘密にしときます」

にこりと微笑むと、ギロリとした目が私を捉えた。

「そうやって、睨めばいいってもんじゃないんですよ。もし、この美味しいハンバーグを青に伝えたいなら、そう言えばいいんです。言わなきゃ、誰も何もやってくれませんよ? みんな自分のことで手一杯なんです。お節介やいてくれる人、必ずいるわけじゃないんです。自分が誰かに何かしてもらいたいなら、きちんと言うべきですよ」

 何私はこんな偉そうな口をきいてしまってるんだろう。だけど、ついつい言いたくなっちゃって……。

「生意気な奴だな……」

 そりゃそうだよ。私のほうが年下なんだもん。説教するほど、偉い人間でも何でもないんだもんね。

「……てくれ」

「へ?」

「食わしてやってくれよ、あいつに」

 蚊の鳴くような細くて小さい声だった。でも、私の耳にはしっかりと聞こえていた。

「はいっ。どんっと任してくださいっ」

「声でけぇよ、馬鹿」

 顔を赤めながら悪態をつく紫苑さんには、迫力の欠片もなく、いけないと解っていても、溢れだす笑みを噛み殺すことは出来なかった。

 だって、嬉しいんだもん。嬉しい時には笑顔を止めることなんて、絶対出来ないもん。

「お前。笑ってるとブスだな」

「ブスって。酷っ。こんな笑顔でも青は可愛いって言ってくれるからいいんですよ。ふんっだ」

「お前、ガキみたいだな」

 私は信じられないものを見てしまった。

 だって、こんなことってあるだろうか……。

 紫苑さんが、笑っている。その不器用な笑顔は、少なからず私の心を打った。

「なんで泣いてんだよ」

「だって、紫苑さん、笑ってくれた。初めて笑顔を見せてくれた。だから、私、嬉しくって」

 こんな貴重な紫苑さんの笑顔を見られたら、感極まって、涙がでることもあるでしょうよ。

「頼むから泣くなよ」

 だから女は嫌なんだって悪態つかれるとばかり思っていたから、心底弱り果てたというような弱々しい声に、今度は笑いを誘われ、私は泣き笑いのような状態になってしまった。

 その店を出たあと、私は泣いてしまったことを詫びた。

「まったくだ。あそこにいた女どもがみんな俺を見ていた。俺を加害者みたいな目で見やがって。会計の時、レジの女に俺が何て言われたか教えてやろうか? 『彼女泣かせちゃ駄目ですよ。大事にしてあげてください』って言われたんだ。お前なんて彼女でも何でもねぇのに。もう、あの店には二度と行けねぇよ。どうしてくれんだ、アホ」

 無口な筈の紫苑さんが、ペラペラペラペラと早口にまくし立てるように喋る様を呆然と見ていることしか出来なかった。

 文句を言われているのに、そんなことばかり考えていて、あまり話の内容は聞いていなかった。

 紫苑さんって、こんなに喋れるんだ……。

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