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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第88話

「やあ、紅ちゃん久ぶりだねぇ。見ないうちに美人さんになって、すぐには解らなかったよ」

 ななちゃんの背後からぬっと姿を現し、ダッハッハァと豪快に口を開け、豪快に笑うこの人はななちゃんのお父さんだ。

「オジサン、お久しぶりです。この度はよろしくお願いします」

「ああ、ああ、そんな堅苦しい挨拶はなしだよ。俺はね、紅ちゃんと一緒に仕事が出来るなんて思いもしなかったよ。いやあ、生きてて良かったなあ」

 ななちゃんのお父さんは背がうんと大きくて、多少横にも大きくて、さらに声も大きいので、初めて顔を会わせた時には怖くて仕方なかった。

 初めて会ったのは、中学校1年生の時で、チビだった(今も十分チビなのだが)私にはななちゃんのお父さんの顔が遥か彼方に見えた。ちょうど光の具合で、顔が真っ黒く見えて、もしかしたらこの人は熊かも知れないと本気で恐怖したほどだ。会ってしばらくは、恐怖で近づくことも出来なかったが、ななちゃんのお父さんへの信頼感や慕う気持ちを見て、さらに二人の仲の良い姿を見るうちに、自分から徐々に近付いていった。ななちゃんのお父さんは無理に私と仲良くしようとはしなかった。決して急かさずに私が来るのを待ってくれていた。徐々に心を開いた私とオジサンは、気付けばななちゃんが嫉妬するほど仲良しになっていた。前に青に土管の秘密の場所の話をした時、ななちゃんと喧嘩をしたことがあると話したが、その原因はななちゃんが私とオジサンが仲が良いことに対する嫉妬から発展したことだ。

 あの当時、父は忙しく私が寝てから帰ってくるという生活を送っていた。私は父親のぬくもりをオジサンに強く求めていたのだ。

 ななちゃんとの喧嘩のあと、私はオジサンから少し距離を置くようになった。

 私はオジサンが大好きだった。オジサンが本当にお父さんだったらどんなにいいかと夢見ていた。憧れのお父さん像そのものだったのだ。

 どんなにオジサンの子供になりたいと願っても、所詮私は他人の子。それに気付かされたからだ。高校を卒業してからは、ななちゃんとも音信不通になり、オジサンとも会わなくなった。

 オジサンは昔と何も変わっていないように見えた。少し皺が深くなったくらいだ。

「有り難う、オジサン」

 私が微笑むと惜し気もない大きな笑顔が返ってくる。こんな風に全てを包み込んでくれそうなその笑顔で私は何度救われたことだろう。

「おっ、そうだ。紫苑君。すまないがお茶を持ってきてくれないかぁ。三つなっ」

 突然の紫苑さんの名前に、ついオジサンとの懐かしい再会に和んでいた為に大いに怯んだ。

 すぐに紫苑さんは会議室に現れた。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

 紫苑さんが、下げていた頭を上げた瞬間ばっちりと目が合った。

「はああっ?」

「なんだ? 紫苑君、一体どうしたって言うんだ」

 紫苑さんは私を見て、心底驚いたようで、言葉とも思えない奇妙な叫び声を上げた。

 それにまた驚いたオジサンが、紫苑さんに尋ねた。

「いえっ、何でもないです。すみません。知っている人に、とてもよく似ていたので、驚いてしまいました。でも、人違いのようです」

 紫苑さんって、ちゃんと会社では敬語で喋ったり出来るんだ、とそんなことに感心していた。

「何だそうだったのか、俺はびっくりしてしまったぞ。心臓が止まったらどうしてくれるんだ」

 大袈裟に心臓を押さえるオジサンに紫苑さんは、苦笑しながらすみませんと誤った。

 紫苑さんは会議室のテーブルにお茶を置くと、さっさと、まるで逃げるように会議室を後にした。

 会議室を出るその瞬間、こちらをちらりと見ると、ギロリと睨みをきかせてから去って行った。

 どうやら、怒っていらっしゃるようだ。でも、あんな怖い目をしたからって、怯む私ではないのですよ。せいぜい私の存在にあたふたすればいいのだ。

「さあ、俺に紅ちゃんの絵を見せてくれないか? 時間がなかったもんで、まだ、見せて貰えてないんだよ」

 私は、家から持って来ていた、丁度昨日完成したばかりの絵をテーブルの上に広げて見せた。

「そうかぁ、紅ちゃんは色鉛筆画なんだな。これは、また大したもんだ。昔から亮子|(ななちゃんの名前です)が、紅ちゃんは絵が上手なんだってしきりに褒めていたもんだが、こうして、じっくりと見るのは初めてだな。これは、今村先生が惚れこむのも解るな」

 オジサンがあんまりにも褒めるものだから、私は体がこしょばゆくなって来てしまった。

 体をもじもじとよじっている私を、ななちゃんは笑いをかみ殺して見ていた。

「あっ、ありがとうございます。頑張って沢山描きますので」

「ああっ、そうしてくれると、こちらも助かるよ」

 暫く、オジサンとななちゃんは、そこにいて、当たり障りのない雑談をした後、オジサンは突然立ち上がった。

「いかんっ。打ち合わせの時間だった。急いで行かなきゃ間に合わん。それじゃ、紅ちゃん、ここは好きに使っていいからな」

 私はいそいそと去っていく、クマのような後姿を頭を下げて見送った。

「杉田君、紅のこと見てすんごい驚いてたね。ぶぶっああ、可笑しい。普段、社長(会社にいる時、ななちゃんは社長と呼んでいます)の前では、いい子ぶってて、私の前ではいっつも仏頂面なのよね。私って、かなり舐められてるみたい。でも、さっきの顔、傑作ね」

 ななちゃんの弾むような笑い声につられたように、私も笑った。

 確かにさっきの紫苑さんの驚きの顔は、稀に見る傑作と称してもいいものだった。

 私も仏頂面をされている所ばかり見せられていたので、新鮮な感じがまた可笑しかった。

「おっと、いけない。私もこれから今村先生の所に行かなきゃならないのよね。ここ、煩いけど、大丈夫なの?」

「うん、静かな所より全然集中出来るからいいんだ。ありがとう。集中してかけそうな気がする」

「なんか、入り用な物とかがあったら、杉田君に言ってね。経費で落ちるから画材とか必要な物、お使いさせちゃえばいいんだからね」

「うん、解った」

 だが、私は画材と言ったら、画用紙と色鉛筆があればいいだけだし、画用紙はたっぷりと持って来てあるので、特に入り用な物は思い浮かばなかった。

 ただ、色鉛筆を削る為に鉛筆削りをお借りするくらいなものだ。

 ななちゃんも、オジサンと同様いそいそと会議室を後にすると、会議室内だけ、静かになった。だが、隣りからは電話の鳴る音とそれに対応する音が絶えず聞こえているので、寂しいとか心細いといった想いは浮かんでこなかった。

 気を引き締めて、画用紙に向かうと、すぐにたっくんの世界を描き始めた。

 見る見るうちにどっぷりと集中してしまった私は、周りの雑音など全く聞こえない状態にまでなっていた。

「おいっ、おいったら」

「はいっ」

 どっぷりと集中していたので、声をかけられたことに気付いていなかった。その声の苛立った様子から、随分何度も声を掛けられていたような印象を受けた。

 顔を上げると、不機嫌そうな紫苑さんが私とは違う方向に視線を向けたまま、口を開いた。

「もう、昼だぞ。みんなどっか食いに行っちまったよ。お前は昼食べなくていいのか?」

 はて、そんな時間にいつのまにかなっていたのか。

 なるほど、隣りからあんなにひっきりなしに聞こえて来ていた話し声が止み、今はひっそりと静まり返っていた。逆に、窓の外から聞こえる雑音が昼休みに入ったことを表していた。

「紫苑さんは? もし良かったら、一緒に食べにいきませんか?」 


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