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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
85/104

第85話

「それで、仲直りはしたみたいね」

「へ?」

 ソファの隣には青が座っており、正面には母が座っている。健二さんは友達と釣り堀へ出かけたようで、不在だった。

 まゆの散歩から帰って、二人で家に招かれ、ソファに座らされ、開口一番に言い渡された言葉が冒頭のセリフだった。

 母には青と何があったかはまるで話していなかった。母に話せば号泣してしまいそうな自分が嫌で黙っていた。いや、黙っていたというよりは、話すことが出来なかったと言ったほうが正しいのかもしれない。

「何があったかは知らないけど、あなたの顔色見れば何かがあったんだろうってことくらいは解るわよ。あなたより倍は年とってるもの」

「心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」

 母は私と青の表情を注意深く見て、大きく深く頷いた。

「あのっ、それで、一つお願いしたいことがあるんですが」

「あら、何かしら?」

「紅と一緒に暮らしたいと思っています。紅が今住んでいるアパートを出て、うちに来てもらいたいと思っているんです。お許しを頂けないでしょうか」

 すっとのばされた美しい姿勢に、落ち着いた丁寧な話し方、真っ直ぐに母を捉える真摯な目線。普段あまり感じることのない青の大人な男ぶりを見せられて、急に頬の温度が上昇した。

 別に普段が子供っぽいと言うわけではないけれど、少し緊張感のあるその雰囲気は普段は見ることが出来ないものだ。

 そう感じた途端に急に不安になって来てしまった。 来月から中学校の先生になる青は、いつもこんな風に大人な振る舞いをするのだろう。それを目にする女子生徒が青を好きになるのは火を見るより明らかだし、面談で青と対峙する保護者もまた目がハートになるのは必須だ。

 こんなこと考え始めたらきりがない。解っちゃいるけど、止められない。止められない止まらない、かっぱえびせんのようだ。

「そんな、私の承諾なんていらないのよ? なんなら、家を買ったらどうかしら? 不動産屋さんに知り合いがいるから、いい物件紹介してもらえるわよ?」

「いやっ、いいよ。家は私達にはまだ早いよ。頭金もないんだから」

 いくらなんでも、結婚前に家購入は早すぎる。もう結婚の日取りも何もかも決まっているならまだしも、私達の場合まだいつ結婚するかという見通しすら立っていないんだから。

「それくらい出してあげられるわよ。それより、いつ結婚するつもり?」

「何でそんなに急かすのかな」

「だって、早く孫を抱きたいんだもの。何なら先に子供作っちゃってもいいのよ? そういうの気にしない方だから」

 孫って、先に子供って……。

 とても母親の言うセリフとは思えない。どういう感覚しているんだろう、この人は。自分の母ではあるが、その思考感覚は理解できないものがある。

「ご希望に添えなくて悪いけど、私には出来ちゃった結婚みたいなのはないから」

 デキ婚を否定するつもりは毛頭ない。一つの結婚の形として理解している。ただ、自分は手順を踏みたいと思ってしまうたちなので、やはり子供は結婚してからが良いなって思うのだ。

「俺も子供は結婚してからがいいと思っています。紅にも好きなことが見つかったので、これからどうして行きたいのかを考えねばならないですし」

「好きなこと?」

 母の目がキラリと光り、私を鋭い目で一瞥した。

 何も話さなかったことには申し訳なく思っているけど、そんな鋭い目で威嚇しなくてもいいんじゃないだろうか。

「今日話すつもりだったんだよ。そんな目で睨まないでよ」

「睨んでなんかいないわよぉ」

 年甲斐もなく拗ねた物言いに溜め息を大きくついてみせた。

「絵を描くことが好きなんだって気付いたんだ」

「そんなの紅が絵を描くのが好きなのは幼い頃からずっとじゃないの。何を今更」

「あくまで落書きの範疇だったし、それを仕事にしようなんて考えてもみなかったの。中学、高校の時の同級生で、ナナちゃんって覚えてる?」

「ああ、なな……名波さんだったかしら」

「そうその名波さんのお父さんって編集社を経営しているの。主に絵本を出版している会社で、ななちゃんも会社の手伝いしていて、それでね、ひょんなことで絵本作家さんの目に私の絵が止まって、絵本の挿し絵を描くことになったんだ。これから先のことはまだ解らないけど、今はその仕事をとにかくやってみようと思うんだけど……」

 黙って聞いていた母に伺いをたてた。

「いいんじゃない? 実はね、高校の進路を決める時、どうして絵関係の所に行かないんだろうって思ってたのよ。美大に行くにはデッサンとか相当描いていないと駄目だろうし、間に合わないだろうとは思っていたけれど、専門学校にはデザイン系の学校は山ほどあるのにね。あなたが好きでもない短大の英文科を受けるって言った時には驚いた」

「そう思ってたんなら言ってくれれば良かったのに」

 あの時は自分の進路を深く考えることもせずに、先生の言うとおりにしたんだった。

「そういうのは自分で見つけだすのがいいのよ。あなたまだ若いんだし、回り道してもいいんじゃないかと思ったのよね。もし、あなたがまた絵を学びたいなら通ったらいいのよ。費用は私が出すから心配しなくていいわ」

「考えてみる。どんな風になりたいのかよく考えてみる。ありがとう、お母さん」

もし、学校に通うってことになってもお金は自分で出したいと思っている。これ以上の負担を母にかけるべきではない。

 母への負担は極力避けたい。母には健二さんという人がいるが、彼氏という肩書きで、結婚しているわけではない。恐らく二人が結婚という形をとることは、この先もないように思われる。あくまで事実婚という形を貫くような気がする。

 健二さんのことだから、きっと学費をだすと言ってくれるだろう。だが、そこまで健二さんに甘えるわけにはいかない。そう私が言えば、みずくさいと言われるだろうが、けじめは付けておいた方がいい。

「今日はご飯食べていくんでしょ?」

 疑問符がついているはずなのに、母からは決して逆らえない空気が漂っていた。

「いいんですか?」

「勿論よ。食べていかないなんて言わないでしょ?」

「嬉しいです。お母さんの料理はどれも美味しいから楽しみです」

 青と母の和やかな会話の行く末を、私は口を閉じたまま見守っていた。

 青は、母の手料理を食べながら、自分のお母さんのことを思い出したりしているんだろうかと、ふと思った。

 青は、青のお母さんの手料理を何年食べていないんだろう。

 そう考えて、悲しい気持ちを噛み締めた。

 普段、お母さんのことを語らない青。何も話さないからと言って何も考えていないわけじゃない。秘める思いもあるんだろう。

「紅っ。なにぼうっとしてるの。夕飯の支度するから手伝って」

「ああ、うん」

 一人の世界にどっぷりと浸っていた私は弾かれたように、元の世界に帰還した。

「ねえ、お母さん。お母さんはおばあちゃんの手料理、たべたくなることある?」

 味噌汁の味噌をときながら、隣で肉を炒めている母に声をかけた。

「そりゃ、思うわよ。私なんてまだまだ料理の腕は適わないもの。どう頑張ってみてもあの味には届かないわ。なんか、話してたら本当に食べたくなっちゃったわ」

「そっか……。やっぱりそうなんだよね……」

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