第84話
「紅の秘密の場所か。行ってみたいな」
「秘密の場所っていってもただの土管だよ?」
ジャイアンが友達を集めてリサイタル(?)を開く時に見ることが出来る、あれと同じような何の変哲もない土管なのだ。
「うん、紅の想い出の場所、見てみたいんだ。紅に関係することなら何でも興味がある。でも、今日は疲れちゃったから、今度ね」
「うん。いいよ」
青が見てみたいというのなら私に断る理由は何一つない。ただ、あまりに変哲のないところすぎて、かえって申し訳ないくらいだ。
「最近、紅。父さんと連絡取ってないだろ? いじけてたよ、連絡くれないって」
「そっか、最近色々と忙しかったから。連絡してみるね」
桔梗さんとの連絡は確か、バレンタインの日に青のことを聞いたときから途絶えていた。
青と会えなくなって、桔梗さんに心配されたり、気を遣われたり、桔梗さんからもしかしたらもたらされるかもしれない余計な情報を聞いたりすることがイヤで、私の方から距離をおいていた。
「お父さんにも、心配かけちゃったかな?」
「大丈夫。父さんには俺から話してあるから」
青が一連の出来事をどのように話したかは解らない。自分を全面的に否定した形の報告であったのは間違いないと思う。青だけが悪いんじゃないのに……。
「うん」
だが、それ以上何も言えずに、小さく頷いた。
「そろそろ帰ろうか?」
本当はもうちょっとここにいたかった。何をしなくてもいいの、ただゆっくりと過ぎていく時を二人で感じていたかった。
「もうちょっとここでまったりしていたいな。紅、寒い? 寒いなら風邪引かせちゃうといけないし、帰るけど」
「ううん。本当はね、私も帰りたくないの。ただぼんやりと、たまに言葉を交わしたりしてもう少しこのままここにいたい」
公園の中には梅の木が所々にあって、すでに花は開いていた。個人的には桜よりも梅のほうが私は好きだ。桜よりも柔らかいイメージをその花から受ける。まだまだ寒い中を咲いている逞しい花なのに、花はとても可愛らしい。
あともう少しすればこの公園も桜が咲き乱れるのだ。殺風景だった冬の景色から春の景色へと一気に様変わりする。
「桜が咲いたらお花見とかしたいな」
「行こう。みんな集めて」
「みんな?」
「そう、親もマスターも常連客も、友達もみんな誘って、昼間ワイワイってのもいいけど、夜桜っていうのも風流だと思うんだ」
みんなでワイワイ、お酒飲んだり、歌ったり、笑ったり。想像しただけで、わくわくしてきてしまう。その頃には富ちゃんは新婚さんで、青は新米教師になってるんだろう。
「じゃあ、沢山呼んで盛り上がりたいよね。でも、その頃には青は先生になっていて、忙しくて花見どころじゃないんじゃないの?」
「俺って案外タフなんだよ。だから大丈夫。……紅。その、突然なんだけど、一緒に暮らさないか? 今も殆どうちにいるし、紅のアパートの家賃を払ってるの勿体ないと思うし……。なんて、色んな理由並べたてたって一番の理由は、紅とずっと一緒にいたいからなんだけどね」
照れ臭そうに小さく笑って、私を見つめた。
突然の申し出に驚きはしたけれど、その申し出は私にとって嬉しいものだった。確かに今でも半同棲生活をしているのだが、やはり帰る家があるのかないのかでは、気持ちの持ちようが違ってくるというものだ。
青の家だったものが、私達の家になる。その響きを聞いただけでも沸き上がるような嬉しさが込み上げてきた。
「うんっ。嬉しいっ」
「ははっ、良かった。断られたらどうしようかと思った」
ホッとしたように微笑む青を不思議な思いで見つめていた。
私が断るわけないのに。何をそんなに心配してたんだろう。
「私が断るわけないでしょ? これからはずっと青といれるんだって思ったら嬉しくて仕方ないよ」
私の言葉に青が心から嬉しそうな笑顔を見せるので、大したことを言ったわけではないのに、何か重大なことでも言ったような気持ちになった。
「よしっ、じゃあ、そろそろ帰ろうか、紅」
もしかして、青がもう少しここにいたいと言ったのは、そのことを私に言いたかったからなのかな。残ったのはいいけれど、中々言い出せなくて、やっと勇気を出して言ったのだ。
そこまで勇気がいることでもないと思うんだけど……。
私からしてみれば、青が普段から言っているような内容、例えば、好きだとか、会いたいとか、可愛いとか、そんな聞いていて気恥ずかしくて仕方ないと思うような台詞の方が勇気がいると思うのだけど。
「ねぇ、青。一緒に暮らそうって言うのに、どうしてそんなに躊躇ったの?」
「う~ん。なんでかな、結婚を申し込んでもすぐには出来ないって断られてるから、一緒に暮らすってことも断られそうな気がしたからかな」
「結婚をすぐに出来ないって言ったのは、自分がまだまだ未熟者だって思ったからだよ。そんな状態で青と結婚したら、色々迷惑掛けてしまいそうな気がしたから。でも、イヤだとかじゃないんだよ。青のこと……、だっ大好きで、ずっと一緒にいたいって思ってる。だから、一緒に暮らせるんだって思った時は嬉しくて飛び上がりたいほどだったんだからね」
「うん。解ってる。解ってるけど、たまにはそういう言葉、紅から引き出したかった」
「もしかして、私に大好きって言って欲しくてわざと……?」
青がニヤリと笑った。
本当は、私に断られるなんて思っていなくて、勇気を振り絞ったように見せていたのも演技で、心配なんてこれっぽっちもしていなかったってことなの?
「たまには、紅の口から大好きって言葉が聞きたいなって思って。大成功っ」
なっ、なんてことなの。
青になんだか申し訳ないとか、結婚がイヤなわけじゃないのにって思ったのに、青は私の言葉がただ聞きたかっただけなんて。
したり顔の青を殴ってやりたくなった。これは、もしや高慢ちき男到来?
「じゃあ、もう満足でしょ? 全部演技だってことは、一緒に暮らす話もなしってことね?」
「ちょっ、違うよ紅。それは、演技じゃない。俺は、紅と一緒に暮らしたいんだっ」
そう簡単に高慢ちき男になられてたまるもんですか。
「え~、どうしようかな?」
「紅っ、ごめん。俺が悪かったよ」
焦る青に高慢ちきな姿はもうない。
「ぶぶっ、青ったら焦ってやんのっ。演技だよ、演技。怒ってなんかないよ」
青の焦りように耐え切れなくなって、吹き出した。
青のコートの胸のあたりをむんずと掴み、私の方へと引き寄せ、背伸びをして唇を重ねた。
「大好き。青……、大好き」
唇が微かに触れる至近距離で、心を込めて愛を囁いた。
こんなふうに自分から、自分の気持ちを素直に打ち明けることは少ない。いつも、青に促されて自分の気持ちを言わされるのだ。そういう言葉を口にするのがイヤだってわけじゃない。ただ、恥かしくてしようがないだけ。
「ねぇ、聞こえた?」
せっかく私が自分から愛の言葉を口にしたのに、青ときたら固まってしまって動く様子がない。
私の問いかけに、ハッと我に返った青は、まじまじと私を見つめた。
「もう一度」
「イヤだよ。恥かしいもん」
「もう一度、じゃなきゃ放さない」
気付けばしっかりと青に抱きとめられていた。
結局のところ、いつもと同じように青に言わされるのだ。
「大好きだってば」
「そんな投げやりなのはイヤだ」
「もう、大好きっ」
「放さないから」
「ん~、大好き」
そんな小競り合いが、暫く続き、その傍らでまゆは大きな欠伸をしていた。