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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第80話

 アパートまでの道を気分良く歩いていた。

 一時はどうなるかと思ったが、名取さんが来てくれて、良かった。名取さんが傍に居てくれるなら大丈夫な気がした。私への憎しみに近い感情がおいそれと消えるわけではないだろうが、いつか笑顔で話せるようになれたらと願わずにはいられなかった。

「ただいま、青」

 笑顔で出迎えてくれた青に私も笑顔で答えた。

「どうだった?」

「あのね、今村先生って男の方だったんだ。怖い感じの人じゃなかったから良かった。私の絵も気に入ってくれたし」

「男……だったんだ。若い人?」

 うっ、ちょっと拗ねていらっしゃる?

 私は、今日のことを青に聞かれたら真っ先に今村先生が男の人だったことを言おうと思っていたのだ。変に隠しだてするよりもずばっと明かしておいた方が、いいような気がしたからだ。

「三十代くらいの人かな」

「で? 見た目は? 」

「一般的にモテるタイプの人だと思うけど……。青が心配するようなことは何にもないから大丈夫だよっ。ただ、口説き癖があるってだけで、そんなの適当に流しとけば……」

 口は災いのもととはよく言ったもんだ。

 青の顔色が次第に険しくなってくるのを見て、ついいらないことまでペラペラと喋ってしまったことに気付いて口を噤んだ。しかしながら、時すでに遅し。

「口説かれたんだ? その人に」

「青っ、そんなんじゃなくて、口癖みたいなものなんだって。今村先生にしたら、あんなの挨拶みたいなもので、そこに感情なんてこれっぽっちも入ってないんだから。全然気にする必要もないんだよ」

 焦っているのは本当。

 だけど、こうやって青にヤキモチ妬いてもらってることに嬉しさが込み上げてきて、口元が緩むのを抑えるのに必死な自分もいる。

 だって、これってそれだけ私が青に愛されているってことでしょう?

「そいつ、ぶちのめす」

 だが、ここまで来ると過剰な反応といってもいいのでは……。

 握りこぶしをふるふると震わせ、今にも部屋を飛び出して行きそうな青を見て、焦りを強めた。

「青は……、私のこと信用してくれてないの? 私が他の男の人に声をかけられたら、その人のところに行っちゃうって思ってるの? 私は青のことこんなに想っているのに伝わってないのかな?」

「違うよ。紅のことは信じてるよ。ただ、心配なんだ。ごめん、嫌な思いさせちゃったね」

 立場が一瞬にして逆転した。今し方までいきり立っていた青が今度は焦りを見せ、そして、しゅんとしてしまった。

 勿論、それを狙っての発言だったのだが。

「私も青が私じゃない女の子と喋っているのを見るとヤキモチ妬いちゃうもん。だから、おあいこ。ね?」

 にこりと微笑めば、いきなり凄い強さで抱き締められて、一瞬呼吸を忘れた。

「青っ、苦しっ」

 呻き声と共にそう訴えかけると、青は慌てて飛び退いた。

「ごめん。加減を忘れた」

 自分でも驚いてしまっている青を見て、クスリと笑うと、今度は私の方から抱き付いた。

 例えば、青に抱き締められて息が止まるなら本望だと思っていると知ったら、青はなんと言うだろうか。怒るだろうか、喜ぶだろうか。

「青、これからどこかに行く?それとも……」

「紅と二人がいい。今は、少しでも二人きりでいたい」

 私に異論などある筈もない。ゆっくりと頷いた。


「青。あのね、奈緒さんは大丈夫だと思う……。今はまだ苦しい気持ちを抱えてると思うけど」

「奈緒に会ったの?」

 私は青の膝の上に座り、二人で映画鑑賞をしていた。

 その映画は、今話題のアクション作品ではあったのだが、ただ、アクションが凄いだけで、私には何が面白いのかはっきり言って解らなかった。背後にいる青もそう思っているだろう事が、背中から伝わって来ていた。

 だから、奈緒さんの話を振っても差し支えはないだろうと判断したのだ。

「うん。会った」

「何か言われた? もしかして、何かされたとかないよね?」

「奈緒さん、凄くやつれてた。こんな風にしてしまったのは、私達なんだなって思ったら苦しくなった。別に酷いこととか何もされてないよ。だけど、奈緒さんは私が憎いみたいだった」

 すぐに思い出すことが出来る。あからさまに剥き出しの敵意。

 だが、私には奈緒さんの気持ちが少なからず理解できるから、そこまで人を愛することを私は知ってしまったから、その瞳を否定することは出来ない。

「名取さんがね、迎えに来てくれたの。名取さんは奈緒さんが好きなんだね。奈緒さんは、名取さんがいれば大丈夫だと思う。絶対に大丈夫。二人を見ててそう思ったんだ」

 あの二人なら、きっとこの苦しみを乗り越えてくれる。名取さんなら、奈緒さんの苦しみを和らげてくれる。

「そっか。名取が……」

 青は名取さんの想いを気付いていたのかもしれない。気付いていて、どうしようも出来ない自分に歯痒い思いを抱いていたのかもしれない。

「また、四人で会えるといいね。そうなったらいいな」

「そうだね」

 青は多くは語らなかった。青の心の中にどんな想いを抱いているのかは、こんなに近くにいるのに解らなかった。

 青の全てを解ってあげられる存在になりたい……。ううん、全てを理解する事なんて不可能ならば、せめて、青の心の闇を中和させてあげられる存在になりたい……。


「やっぱり、俺も行こうかな。だって、絶対心配だし、紅は凄く可愛いから、もしかして好きになってしまうってことも考えられるだろう。ああっ、心配だっ」

 どんだけ、心配性なんだとほとほと呆れる。

「大丈夫だよ。今村先生のあれはただの挨拶みたいなものだって言ったでしょ。それに、打ち合わせの時はいつもななちゃんが一緒なの。何を心配することがあるっていうのよ。今村先生の口説きはななちゃんにも同じようにするんだから」

 なんとか宥めすかして青の部屋を出た。

 初めて打合せで今村先生と会った日から、1週間以上が経過していた。私の挿絵の原稿の方も着実に進んでおり、順調そのものだった。

 アパートが見えなくなるその直前に振りかえって見れば、青がいまだにこちらを見ていた。手を振ってみれば、青がひらひらと手を振り返してくれた。

 さっきまであんなに焦れていたのに、気持ち良く手を振ってくれる青に、良心が痛んだ。

 今村先生と浮気をしようっていうんじゃない、でも、今日は打ち合わせなどではなかった。

 今日、私は紫苑さんに会う。

 今村先生も同席してくれることになっている。

 紫苑さんに会うことに緊張して、昨夜はなかなか寝付けなかった。どんな人なんだろう。青と桔梗さんに似ているのかなとか、青の彼女に相応しくない女だとか思われたらどうしようとか、青と桔梗さんには二度と会うつもりはないと言われたらどうしようとか、お母さんのこと今はどう思ってるんだろうとか、考え出すときりがなく。悶々と考えているうちに朝を迎えてしまったのだ。

 青は目ざとく私の目の下にくまを見つけ、寝られなかったのかと心配そうに尋ねて来たが、本当の理由を言うわけにもいかず、イヤな夢を見たのだと言葉を濁した。

 紫苑さんとの対面の場所は、前回打合せをしたレストランだった。今村先生のことだ、私よりも早く来ている気がする。

 深呼吸してふぅっと息を抜く。緊張を解きほぐしてレストランと扉を開いた。

 いざっ、出陣!


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