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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
78/104

第78話

「君はさっきから何を考えているんだろうね?」

 今村先生が私にそう声をかけたのはななちゃんが席を外している時だった。

「えっ?」

「食事中ずっと上の空だ」

「あっ、すみません」

 今村先生の言うとおりだった。

 料理がくる前に今村先生が発した言葉が妙に引っ掛かっていた。今村先生の知り合いのイケメン君がどうしても紫苑さんに思えてならないのだ。そうは思っても、不躾にそんな質問をするのも気が咎める。思い切って聞いてみるべきか、やめるべきか、もし聞くのであれば何と聞けばいいのか。さっきからそのようなことが頭の中を堂々巡りしているのだ。

「会わせてあげようか? 彼に」

 今村先生は何も知らないはずなのに何もかもを知っているような口振りでそう言った。

「彼って?」

「君が会いたがっている人だよ。いや、君たちが会いたがっている人かな」

 意味あり気にくすりと笑ってそう言った。

「今村先生は何かご存知何ですか?」

 本当に何もかもを知っているように思えてならない。もしかして私のことも知っていたんだろうか。だが、やはりどう考えても私は先生とは初対面のはずなのだ。

「どうだろうね? 君はどう思う?」

 先生の魂胆が理解できない。私をからかっているだけなのか。それとも本当に紫苑さんを知っているのか。

「紫苑さんを知っているんですか?」

 思い切って紫苑さんの名前を出してみた。 

「そうだね、知っているかもしれないし、全く知らないかもしれない。紅ちゃんは俺が彼を知っているって言ったら信じるのかな?」

 笑顔でのらりくらりとかわされている気がする。

 でも、やはり紫苑さんを知っているような気がする。これはもう直感としかいいようがないものではあるが。

「信じます」

「いいの? もしかしたら、部屋に連れ込んでいかがわしいことをするかもしれないよ?」

「今村先生はしようとすればそんなこと容易く出来ると思いますけど、私にはしません」

「なぜそう思うのかな?」

「100%勘です」

 山勘ではあるけれど、こういった場面での私のそれは当たる確立が100%に限りなく近い。今回の場合、今村先生が私を騙して変なことをしようとしていることはないと、確信していると言ってもいいだろう。

「勘かぁ、君は本当に面白いね。でも、そんなに人を簡単に信じちゃ駄目だよ。本当に俺が悪い人間だったら襲われちゃうよ」

「先生はしないから大丈夫です」

 そうか、とケタケタ笑いながら呟いた。

「楽しそうね。何の話をしていたの?」

「いや、他愛のない話だよ。紅ちゃんの彼氏の話をちょっとね。あまりに紅ちゃんが照れるもんだから、見ていて面白くてついついからかいたくなっちゃうんだよ」

「駄目ですよっ、先生。そんなにからかって紅がへそを曲げたら挿絵描いてくれなくなっちゃうじゃないですか」

「ああ、そうだった。それは、困るね。ごめんね、紅ちゃん」

「いえ、大丈夫です」

 ななちゃんが戻ってからは、仕事の話を進めていくことになった。

 私が以前に描いたもの、それから、あの原稿を読んでからざっと描いたものを何枚か二人に見せた。

「やっぱり、紅ちゃんの絵は凄く良いね。頼んで良かったよ。ななちゃん、紅ちゃんを口説いてくれてありがとね」

 今村先生は、私の絵を熱心に眺めながら、ななちゃんにそう言った。

 今村先生が私の絵を見る表情はとても柔らかくて、どの絵を見る時でも口元が綻んでいた。そんな先生の姿を見て、それを描いた私は喜ばずにはいられなかった。

 高校の時にも感じていたことだけど、誰かに自分の絵を見て貰って、それを見て嬉しそうに笑顔を見せてくれることが何よりも嬉しい。褒め言葉よりも何よりも、私にとってはその表情が何よりもの褒め言葉になるのだ。

「これは、絶対に使いたいな」

 それは、原稿を読んだ直後に描いた最初の1枚だった。

 たっくんがお母さんの大好きな黄色い花を摘んでいる絵なのだけれど、たっくんはお母さんの喜ぶ笑顔を思い描いて、満面の笑みをたたえているところだ。このシーンは、お母さんが死んでしまうほんの何分か前のたっくんで、この後、たっくんはお母さんの死をまのあたりにするのだ。

 この絵は私としても、一番上手く描けたと自負している一枚であった。

「ありがとうございます」

「うん。たっくんの表情がよく描けてる。俺のイメージするたっくんとぴったりだ」

「良かったね、紅。それじゃ、もっと細かい所を打ち合わせて行きましょう。これが、ざっとした絵本のイメージになるのね……」

 ななちゃんにリードされながら、仕事の話はどんどんと具体的なものになって行く。私はそれを一生懸命聞き洩らさないように必死だった。具体的な話になればなるほど、胸のワクワクが大きなものへと変わって行った。ものを作ることがこんなに楽しいなんて忘れていた。それも、私一人の力じゃなく、それを作るのには、色んな人の力があって、そしてそれを一つにしてやっと一つの物が出来る。そんな一種の連帯感のようなものは、久しく感じていなかったものだった。

 だからだろうか、紫苑さんのことを考えるゆとりはなかった。二つのことを同時に考えることができるほどに、器用に出来ていないのだ。

「それじゃ、こんな感じでやってみましょう。紅は出来るだけ沢山描いてみてね。その中からみんなで選んでいきましょう」

「解った。やってみる」

 どうしよう。ワクワクしてしようがない。嬉しくてしようがない。

「紅ちゃんは絵を描くのが好きなんだね。嬉しそうな顔してる」

「はいっ。嬉しいんです。みんなで一つの物を作るのがこんなに楽しいことだなんて思わなかった。その一員として私が加われてほんとに感謝しています。今村先生、ありがとうございました」

「そう言うことは、本当に絵本が出来た時に言うものだよ」

「あっ、はい。そうします」

 打合せも終わり、レストランを出ることになった。

 食事は、ななちゃんの会社の経費で落ちるということで、遠慮なくご馳走になった。

 帰り際、今村先生は何かを私のコートのポケットにねじ込ませた。

 不審に思いながら、それぞれ別れた後、それを広げてみれば、そこにはメッセージと共に先生の携帯番号が記されていた。

『彼と会いたければ』

 メッセージはそれだけだった。

 今村先生は肯定はしなかったけど、恐らく紫苑さんを知っているに違いない。そして、ここでいう彼というのが、間違いなく紫苑さんのことなのだ。


「知っているんですよね? 紫苑さんを」

 開口一番にそう言った。私はすぐにその連絡先へかけてみたのだ。家に帰ってしまえば、青がいる。青がいる前では、まだ紫苑さんの話は出さない方がいいような気がしたからだ。

『ああ、よく知っている。俺の家に居候しているからね、彼は』

 とうとう紫苑さんの居場所を突き止めたのだ。

「すみません。先に、私の質問に答えて頂いても良いですか? 気になってたんですけど、どうして今村先生は私のことまでご存じだったんですか? 青のことを紫苑さんから聞いてて知っているって言うのなら解るんですが、私のことまでは紫苑さんも知らないと思うんです」

 そう、何故今村先生が私のことを知っていたのか。紫苑さんから聞いていたからと考えるのが妥当なように思う。では、何故紫苑さんが私の存在を知っていたのか。私のことなど知りようもないのではないか。


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